第7話 一馬VS神崎⑥

 ゆっくりとリング中央へ歩み寄る二人。

神崎はもちろんの事、普段はチャラチャラしている一馬も、周囲の騒音が気にならないほど筐体に集中している。

 慎重な立ち上がりになるかと思われたが、あと一歩で互いの手が届く距離になったところで、一馬が不意に飛び込んだ。

『一馬選手、挨拶代わりの大きな右フック!』

 最初からコンセントレーションを高めていた神崎はそれを難なくダッキングで避け、逆に右フックを放つ。一馬もそれを軽いステップワークで交わす。このやり取りだけでも、二人の反射能力が高度だと分かる。

「出鼻であんな大振りのフックが飛んで来きたら、普通は面食らいますよ」

 関係者席で見ていた東堂一派のナンバー2、二岡が呟いた。東堂は腕を組みながら応じる。

「神崎はなんの躊躇もなくダッキングで避け、すぐさま反撃に転じた。それをあっさりと見切ってステップワークだけで避けてしまう一馬。やはりこの二人、次元が違う」

「しかし避け方を見る限り、余裕があるのは一馬の方では」

「だろうな。反射神経比べでは、流石の神崎も歯が立たない。何かトリッキーな一馬を捕まえる作戦でもない限り、神崎に勝ち目はない」

 一馬と神崎、大振りの後は互いにジャブやローキックを出し合う牽制に入る。双方とも距離を測っている。どちらが先に間合いを制するか、それがこの試合のカギとなる。

 徐々に一馬のジャブが神崎の顔面にヒットし始めた。軽いパンチのためダメージはないが、一馬が距離を支配し始めている証拠に見える。

 神崎も負けじと高速のワンツーを放つ。だがそれらはすべて、一馬に紙一重で避けられてしまう。

「次第に地力の差が出て来たな」

 戦況を見守っていた豪傑が唸った。隣にいる華村が言う。

「これも想定の範囲内なんでしょ」

「確かにそうだが、早すぎる。差が出るのは第2ラウンド以降だと考えていた。神崎がどれだけ一馬の動きに順応できているか、場合によっては厄介なことになりそうだ」

「大丈夫でしょ、神崎省吾なら」

 自分に言い聞かせるように言う華村。豪傑は「すぐにわかるさ」と短く答える。

『第1ラウンドも残り時間1分を切りました! 徐々に一馬選手がペースを掴んでいるように見えます!』

 実況が伝えるように、同じ「けいかい」でも、一馬の動きは『軽快』、それに対して神崎の動きは相手を『警戒』している。

 ガードを下げたまま、余裕を見せて攻撃を続ける一馬に対し、ガードを高く上げて凌ぐ神崎。次第に後退し、いよいよコーナーに追い詰められた。

『神崎選手、後がない! 一馬選手がここで決めてしまうのか!』

 一馬は遠慮なく渾身のパンチを神崎に浴びせていく。神崎もアームブロックで決定打を許さない。そしてタイミングを計ると、神崎が前に出た。

「その動き、読み筋だぜ神崎!」

 一馬は得意のバックステップで神崎のパンチを避けようとした。だが、神崎はさらに半歩大きく踏み出す。

「二岡の真似か、俺には通じねえよ」

 バックステップの後、一馬は上体を大きくスウェーさせた。リンボーダンスでもするかのように仰け反って神崎の攻撃を避けようとする。だが、神崎のパンチはさらに伸びた。

「なに!」

 神崎の拳が一馬の顎の先端をかすめた。大きく仰け反らせていた一馬のキャラクターはそのまま体勢を崩し、尻餅をついた。

『一馬選手ダウーン! この試合、最初にダウンを奪ったのは神のごとき神崎選手です!』

 場内が騒然となった。神崎に賭けている客は立ち上がり、一馬に賭けている客は頭を抱えている。

「なんで倒せたんだ……」

 半歩踏み込んでも当てられなかった二岡は愕然とした。神崎の動きを見切った東堂が説明を加える。

「神崎は踏み出しだけでなく、腕も伸び切ったところからさらに押し出した。それで一馬に届いたんだ」

「パンチを当てたというよりも、押し倒したということですか」

「そのとおりだ。一馬にダメージはまったくないが、フラッシュでもダウンはダウン。ポイントは神崎だ」

「これが神崎の戦略……」

 拳や蹴りでなぎ倒すだけが勝利ではない。ルールにのっとって勝ちを拾う。この勝利にこだわるクレバーさが自分には足りなかったと、二岡は省みる。

「チッ、しくじったぜ」

 すぐに立ち上がる一馬。軽くピョンピョンと跳ねてキャラクターの状態を確かめる。やはり押し倒されただけで何の違和感もない。

『さあ、試合再開です!』

 またリング中央に歩み寄る二人。先ほどまで調子よく攻撃していた一馬は一転、再度ジャブやローで神崎との距離を測り直す。神崎もまた、無理に攻め立てることはない。そのまま第1ラウンドは終了した。

『ここでゴングです! このラウンドはダウンを奪った神崎選手の優勢です!』

 会場内に張り詰めた空気が一瞬、緩んでいくのがわかった。試合中はここにいるすべての人の全神経がリングに注がれている。

「良いぞ神崎! その調子で行け!」

「負けないで、一馬ぁ!」

「どっちが勝ってもKO決着で頼むぞ!」

 野太い声に黄色い声援、それぞれの賭けに応じた歓声が入り乱れ、場内の熱気が上がり続けている。

「作戦が見事に嵌まったじゃない」

 少しほっとする華村。それに対し、豪傑は渋い表情を見せる。

「今のところはそうだが、一馬相手にそう何度も押し倒せるものじゃねえ。あと一度、良くて二度が限界。その間に一馬の猛攻を受けてKOされたら元も子もない。いくらダウンを奪っていても負けちまう」

「一馬が神崎をKOするって? それは本気で言っているのかしら」

 にわかには信じがたい華村だったが、豪傑は充分にあり得ると頷く。

「元々、一馬はこの一戦に期するものがあった。それが今のダウンでさらにリミッターが外れた。ここからの一馬はおっかねえぞ」

 豪傑の見込み通り、一馬の心中は燃え盛っていた。

(やってくれるぜ神崎。ここはもう、倒すしかない。そのためには一気に距離を測るため、無理攻めをするしかないようだ。どうせ押し倒されるだけ、ダメージはない)

 一馬はもう一度ダウンをする覚悟で、第2ラウンドを迎えた。

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