第7話 一馬VS神崎①

 仙人との激闘を終えた翌朝、目を覚ました時に華村の姿はなかった。

 ドル円の両替はいつも領収証のいらない捜査費から捻出されているが、今回は百万を超える高額のため手許にキャッシュがなく、支払いは数日後になると言われている。

 久々にゆっくりとした朝を過ごせると、神崎は自分でカーテンを開いた。新宿副都心のビル群が朝焼けを反射して、どことなく幻想的な世界を作り上げている。

 シャワーを浴び、備え付けのコーヒーを淹れる。途端に大人びた香りが部屋中に広がった。コーヒーの香ばしさにはアロマのようなリラックス効果を感じる。

 チェックアウトをする前に、神崎はダイニングで朝食をとることにした。いつもの如く前日の戦い前からロクに食べていないため、朝から食欲がわいている。

 メニューをざっと眺めてから『伝統のビーフカレーセット』をチョイスした。ライスとルーに加えてサラダとポタージュが付いて来る。

それなりの格式を持つホテルだけあって、このカレーセットは消費税とサービス料を加えて二千八百円と、少々値が張る。金に困っていた頃なら手が出なかった値段だが、三試合を終えて二万六千ドル以上稼いでいる今の神崎にとっては、痛くも痒くもない。だが、この優雅な生活を続けていくには、地下で勝ち続けるしかない。

カレーのルーは品よくソースポットで運ばれてきた。それをライスだけ盛られた皿に移しながら食べる。まろやかでコクのある朝カレーは、とても贅沢な味わいを口の中に広げた。

 十時過ぎにチェックアウトして自宅に戻る。電車に揺られながら、昨夜その目で目撃した一馬の動きを頭の中で何度も蘇らせる。まるで無重力の中にいるかのように、自由気ままに動き回る一馬のキャラクター。そのプレイに規則性はなく、相手の動きを読んでカウンターを合わせることを得意としている神崎にとって、最も厄介なタイプと言える。

 自宅に戻ると、リアルの筐体に向き合った。一馬の動きを想定しながら、自分のキャラクターを操作してみる。1/60秒が勝敗を分けるコンマ以下の世界。当然、レバーにはミリ単位の操作性が要求される。表舞台にいた頃から思い返してみても、これほどまでにシビアな神経戦はなかった。一馬という男は、それだけのレベルに達しているプレイヤーだと神崎は認めている。


 翌日、立川にあるゲームプラザで豪傑と落ち合った。一馬戦を想定したスパーリングを今日から開始する。

 勝ち得たファイトマネーから一万円を両替機で崩し、百円玉を用意する。それは楽しむための硬貨ではなく、アンダーグラウンドで勝利を収めるための先行投資。妹の治療代が必要な豪傑も、神崎勝利のため慣れない一馬の動きを再現していく。

 一万円を使い切ったところで、豪傑が「一息入れないか」と提案してきた。神崎は自然と強張っていた体の力を抜いた。途端に肩と背中が重く感じる。同じ姿勢を保ちながら目と手を酷使する格闘ゲームは、上半身を重く固めてしまう。

 凝った肩を揉み解しながら、二人は駅前のマクドナルドに入った。豪傑はビックマック二つにポテトのL、チキンナゲットとLサイズコーラを頼んだ。それに対して神崎はフィレオフィッシュをすべてMサイズのバリューセットで頼む。喩えスパーリングでも、睡魔を招かないよう軽めに済ませるのが神崎流だ。

 支払いはすべて神崎もちで、ポケットにねじ込んでいた五千円札を差し出して釣りを受け取った。キャッシュレスが全盛の時代でも、神崎はQR決済だけでなく、クレジットカードさえ一枚も持たず、いつも現金で支払うことにしている。金が手許になければ使うことはない。プロゲーマーという不安定な職に就いた時からのモットーだ。

「お前のクビに十万ドルを賭けた奴、誰だかわかってんのか?」

 ライオンがシマウマにかぶりつくかの如く、ビックマックを豪快に頬張りながら豪傑が訊ねた。神崎は首を振る。

「エージェントが調べているが、未だ手がかりもないらしい」

「あの華村って女史か。見るからにデキる女って感じだよな。どこで知り合ったんだ?」

 本当のことは言えない神崎は、適当に誤魔化す。

「SNSを通じて、ダイレクトメールでスカウトされた」

「そうなのか。華村はそこそこのプレイヤーを連れては来るが、どいつもこいつも今一つパッとしなかったんだよな。地下の殺気立った雰囲気にのまれる、根性なしばかりでよ。あまりスカウトの腕は良くねえと思っていたんだが、まさか神のごとき神崎を地下に召喚してくるとは恐れ入ったぜ」

 三年の月日が流れているというのに、ゲーム業界における神崎のネームバリューは根強く残っている。それだけの実績がこの男にはあった。

「賞金首にされるほど、恨みを買う覚えはないのか?」

「心当たりがあり過ぎて、見当も付けられない」

 それを聞いた豪傑が声を上げて笑った。

「そりゃそうだろう。逆転の神崎という異名の通り、お前はいつも最終盤で劇的な勝利を収めてきた。対戦相手は99%勝ったつもりでいたのに、そこから奈落の底へと突き落とされるんだ。通常の負け方よりも精神的に応えるぜ」

「好きで接戦を演じているわけではない。楽に勝てるのならそうしている」

「カウンターを得意としているお前のファイトスタイルだと、相手の出方次第なところがあるから自然と力が拮抗してしまうんだろうが、結果的にお前が印象深い勝ち方で注目を集めるから、負けた相手にしてみれば踏み台にされたと思うんだろう」

 無意識に恨みを買ってしまう。それが逆転の神崎における最大のリスク。

「お前を陥れようと企んでいる奴は、知らぬ間に間近まで迫っているかもしれないぜ。せいぜい気を付けろよ。俺に約束の金を払うまでは無事でいて貰わねえとな」

 冗談めかして言う豪傑に対し、神崎は意味深長に呟く。

「間近に迫っている、か……」

 三年前はそれに気づかず、コントローラーに罠を仕掛けられた。同じ魔の手がまた、アンダーグラウンドの世界でも伸びているのか。

 神崎は残り一本となったフライドポテトを摘まんで口の中に放り込んだ。すっかり冷えていたそれは、何の歯ごたえもないまま、ただ油と塩分を口の中に広げるだけだった。

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