第5話 豪傑VS神崎⑤

豪傑に勝利して関係者席に来た神崎に、華村が言う。

「ヒヤヒヤしたわよ。ちょっと油断したんじゃない?」

 すべて作戦どおりだ、そんな強気の発言が返って来るかと思ったが、神崎の口から出たのは意外にも弱気だった。

「筐体の個体差を掴むために時間を要したが、それ以上に豪傑が強かった。四天王の中で最もレーティングが低い豪傑との差が紙一重ということは、この先は勝てそうにもない」

 実戦から離れていた三年のブランクは、神のごときと評された神崎であっても容易には埋められない。周りが思うほど簡単には乗り越えられない歳月の空白。対戦相手が強くなれば強くなるほど、それがハンデとなって神崎に重くのしかかっている。

 潜入捜査を進め、闇組織の中枢へと辿り着くためには勝ち続けるしかない。華村は表情を強張らせて言う。

「負けるようなことがあっては困るわよ」

「このままでは勝てないと言っただけだ。これから手を打つ」

 俺だって金が要る。そう言い残して神崎は荷物を取りに控室へと戻って行った。その背中は全く諦めた様子がない。それを見て華村は少し安堵した。

 控室へと続く廊下で、豪傑が背中を丸めて立っていた。「兄ちゃん、負けちまったよ」と呟きながら。

「いくら必要なんだ」

 挨拶もなく神崎が声を掛けた。豪傑が慌てて振り返る。

「な、何の話だ」

「弟か妹かは知らないが、兄であるお前が治療費だか入院費だかを稼がないといけないんだろ」

 豪傑は目を丸くした。それから苦笑いを浮かべる。

「やはり、聞いていたのか……それでも容赦なく俺を叩きのめすとは、さすが表の世界で頂点を極めた男、図太い神経だ」

「お前と同様、俺にも負けられない理由があるだけだ。だがお前の場合は、金さえあればカタが付くはずだ。いくら必要なんだ」

 少し悩んだ豪傑だが、やがてその重い口を開いた。

「妹が難病を抱えていてな。技術が進んでいるアメリカでの先進治療が必要だが、あと十万ドルあれば助けられる」

 それを聞いた神崎が、一つの提案をする。

「俺がこのコロッセオを制したら、エージェントから報奨として十万ドルを受け取ることになっている。それをお前にくれてやる」

 豪傑は呆気にとられた。何かの冗談かと思い、半笑いで言う。

「俺とお前の間に貸し借りなんてない。縁もゆかりもない俺の妹のために、なぜ十万ドルもの大金を渡すんだ?」

「タダでくれてやるとは言っていない。お前は東堂や一馬、仙人と対戦経験があるだろう」

「それぞれ一度ずつある。東堂と一馬には負けた。仙人とはドローだ」

「お前は四天王の動きを直に知っている。それを再現して欲しい」

 豪傑はこれまでの話を整理して訊ねた。

「――お前のスパーリングパートナーになれ、そういうことか?」

「そのとおりだ。俺が三人に勝ったら十万ドルを渡す」

「そうなると神崎、お前が受け取れるファイトマネーの総額よりも多い額を俺に渡すことになるぞ」

「それで構わない。勝ち続ければ俺への注目度が上がり、この先のファイトマネーが自然と上がる。だが、負けてはすべてが潰える。お前に払う成功報酬の十万ドルは、勝ち続けるために必要な先行投資なんだよ」

 悪くない提案だった。むしろ有難いくらいだ。豪傑はその提案を受け入れるため、最後に訊ねる。

「一つだけ確認させてくれ。神崎、お前は三年前に不正行為を働いたのか」

 男気を重要視する豪傑にとって、汚い真似をする奴の話は受けられない。神崎は毅然とした態度で首を振る。

「俺はやましいことなんてやっていない。誰かにハメられた」

 何一つ淀みがないその表情と態度を見て、豪傑はフッと表情を緩めた。

「確かに、俺に勝つほど強ければ、不正行為など働く必要はないもんな。お前の提案、有難く受け入れさせてもらうぜ」

「そうと決まれば、さっそく明日からスパーだ。『リアル』の筐体があるゲーセンまで来てもらうぞ」

 荷物を手に取って控室を出ようとする神崎の背中に続きながら、豪傑が訊ねる。

「もう一つだけ質問させてくれ。お前の負けられない理由とはなんだ?」

 神崎は少し迷った。潜入捜査については口外できない。だから神崎は自分の理由を述べた。

「俺が生きるべき場所で、自尊心を取り戻すためだ」

 格闘ゲームこそ、自分が存在すべき世界。そこで失った誇りと名声は、同じく格闘ゲームで取り戻すしかない。喩えそこがアンダーグラウンドの世界でも、生きている実感が出来る、この場所で。

 そんな神崎の覚悟を見て取った豪傑は、親指を突き上げてニカッと笑う。

「そのための協力なら、惜しまないぜ」

 神崎は豪傑の力を借りながら、三年のブランクを埋める手立てを講じて次戦に臨む。今後の手立てが決まったところで会場に戻ると、すでに観客は退場していた。

 残っていたのは支配人と華村に加え、数名のプレイヤーたち。そこには四天王の東堂、一馬、仙人の姿もある。

「役者が勢ぞろいで何かあったのか」

 神崎が声を掛けると、見たことのないメガネの男が正面に立った。何の前置きもなく、一方的に対戦を要求する。

「うちのシノブが世話になったようだが、このままではメンツが丸潰れだ。本来なら戦うようなレーティングではないが、相手が神崎省吾なら不足は無い、私と勝負して貰おうか」

「初対面の相手とはまず自己紹介から始めろと、学校で教わらなかったのか」

 あしらうように言う神崎に対し、横から一馬が口添えした。

「そいつは東堂一派のナンバー2、二岡だよ。レーティングは一応、四天王に次ぐ第5位だ。そうは言っても、俺たちとコイツの間には、越えられない壁があるけど」

 見下された二岡が、ギロリと一馬を睨みつける。

「黙っていろ。私は貴様ではなく、神崎省吾と話をしているんだ」

「おいおい、東堂の腰巾着がなにイキがってんだよ。俺はお前があまりにも身の程知らずだから、忠告してやっているってのに」

「なんだと」

「豪傑でさえ神崎には勝てなかったんだぜ。お前なんて逆立ちしたって勝てねえよ」

「私と戦ったこともないクセに、わかったような口をきかないでもらいたい」

「だったらやってやるよ」

「なに?」

「神崎大先生のクビには十万ドルの懸賞金が懸かっているんだ。これから腕に覚えがある猛者たちが、こぞってそのクビを狙いに来るのに、お前のようなカスを相手にしていたらキリがねえだろ。そういうコバエはこの俺様が振り払ってやるっての」

「貴様、いい加減にしないか!」

 二岡は歯軋りをしながら、一馬に詰め寄ろうとした。それに対し東堂が口を挟む。

「二岡。挑発されたケリはゲームでつけろ」

 東堂から制止された二岡は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも引き下がった。一馬は東堂にもチャチャを入れる。

「忠実に飼い慣らしているな」

「そういうお前は、首輪も貰えない野良犬だろう」

「いいや、俺は自由に歩き回るオオカミだ。百獣の王ライオンとも互角に戦えるぜ」

 一馬がニヤリと笑う。この二人、口先では罵っているが、互いの力量は認めあっている。冷静さを取り戻した二岡が、眼鏡をクイッと上げながら言う。

「いいだろう、一馬。神崎の前にまず、貴様とケリをつけてやる」

「そう来なくっちゃな。俺にとっても良いスパーリングになるぜ」

余裕の態度を崩さない一馬に対し、二岡は鋭い視線を向ける。

「お前は神崎とは戦えない。私に負けるからだ」

 その発言を一馬は笑い飛ばした。

「寝言は寝て言えって。俺にとってお前との戦いは、神崎とやる前の単なる余興だっての」

「その言葉、そっくりそのまま熨斗を付けて返してやる。負けて吠え面をかくなよ」

「こりゃ楽しみだ」

 へらへらと笑う一馬に、顔を紅潮させて憤る二岡。そんな二人の間に、仙人が穏やかな口調で割り込んだ。

「一馬が二岡と戦うのなら、ワシが神崎と戦わせてもらおうかの」

 思わぬ対戦要求に、全員の視線が仙人に向かう。

「おいおい仙人、割り込みなんてそりゃないぜ。俺だって十万ドルが欲しいんだからさ」

 一馬がブーイングを飛ばすが、仙人は「フォッフォッフォッ」と軽くあしらう。

「ワシでも力量不足と言う気かの」

「いや、むしろ勝ちそうだから困るんだっての。豪傑には勝ったけど、神崎はまだ三年のブランクを解消してないんだぜ。そこに仙人の老獪なテクニックで翻弄されちゃ、神のごときと称された男でも、流石に厳しいって」

 一馬の見解を受けた上で、神崎が答えた。

「俺は構わないが、どうするんだ」

 そのまま華村に視線を送った。彼女はフッと冷静な笑みを浮かべながら頷く。

「私も構わないわよ。どうかしら支配人、近々どこかで神崎対仙人のマッチメイク、入れて貰えないかしら」

 この好カードなら間違いなく賭け金が上がると踏んだ支配人は、恵比須顔で揉み手をする。

「善は急げ、さっそく次の週末に試合を組みましょう。もちろん、メインイベントで」

「決まりじゃな。神崎よ、ワシが地下の洗礼をお主に浴びせてやるわ。楽しみに待っておれ」

 煽ってくる仙人に対し、神崎も負けてはいない。

「ジイさんにとっては楽しめない勝負になるだろう。次の試合が引退試合になるからな」

「フォッフォッフォッ。このワシに引導を渡すというのか。愉快な男じゃ」

余裕の笑い声を飛ばす仙人とは違い、一馬は首を振った。

「おいおい、神崎さんよ。アンタ分かっていねえな。いいか、アンタは三年のブランクがあるだけではないんだぜ。俺たちはこれまで表舞台で戦っていたアンタのプレイを、嫌というほど見て来たんだ。今でも大会動画がアップロードされている。つまり対策はバッチリたてられるんだ。それに引き換えアンタは、地下で戦ってきた俺たちのプレイを全く見ていないだろ。上位プレイヤーと初見で戦うなんて、それだけでもかなりのハンデを背負っているんだぜ」

 一馬の言い分はもっともだったが、神崎は意に介さない。

「誰も簡単に勝てるとは思っていない。だが、俺もそう簡単に負けるつもりはない」

 そう言い切る神崎の表情は、全盛期を彷彿とさせる威圧があった。仙人は少し、引き攣った笑みを浮かべる。

「あらためて楽しみじゃ。どうせ倒すのなら、強い神崎省吾を倒したいからの」

 二人の戦いに対し、一馬が言う。

「悪いけど、俺は神崎を応援するね。仙人に倒されたんじゃ、俺の出番がなくなっちまうからさ。東堂、お前は俺の後だぞ。割り込んで来るなよ」

「構わんさ。どうせその順番は俺まで回って来る。懸賞金もそのままでな」

 四天王の三人も互いに牽制を始めた。懸けられた十万ドルが呼び水となって、神崎を中心とした群雄割拠がにわかに活気づく。

 そんな緊張感あふれるやり取りを、ホクホク顔で見つめている支配人。最も漁夫の利を得るのは、賭け金の上昇につながるこの男かもしれない。

「では神崎選手、本日のファイトマネーをお支払いしましょう」

 前回同様、支配人室に導かれてハンドペイにより現金が支払われる。ベンジャミン・フランクリンンの肖像画が大きく描かれた青白い100ドル紙幣が九十枚、神崎の手のひらに一枚一枚確かめながら乗せられた。二つ折りにするとかなりの厚みになるそれを、神崎は二つに分けてジーンズの両ポケットにねじ込んだ。

「次のファイトマネーには、帯が付きそうですな。あなたが強敵に勝てば勝つほど注目を集め、さらに稼げますぞ」

 支配人が恵比須顔で言うと、神崎も言い返す。

「俺は勝たなければ金にならないが、アンタら主催者は俺が勝とうが負けようが、キッチリ利益を上げるだろ」

「おっしゃるとおりですが、強ければいいというモノでもないのが難しいところですな。やはりプレイヤーに観客を惹きつける華がないと、賭け金は増えないもの。あなたのプレイにはその魅力がある」

 逆転の神崎は、表舞台にいた時から世界中のゲーマーを魅了してきた。そこには国境も言葉の壁もない。必要なのはただ、夢中になる熱量だけ。その価値観については表舞台もアンダーグラウンドも変わらない。

「これからもよろしくお願いしますぞ」

 支配人に言われるまでもなく、神崎は金のためにも、自尊心を取り戻すためにも、この地下で勝ち続ける覚悟がある。

 コロッセオから出て階段を上がり、地下から地上に戻る。新宿の街はまだ、眠ることを知らない夜の喧騒に包まれている。

「今回のドル紙幣も、出して頂戴」

 当然のように華村から手を差し出され、神崎は有り金のすべてを華村に渡した。代わりに京王プラザホテルのルームキーが手渡される。

「終電はもうないから、同じようにホテルに泊まりなさい」

「しばらくこの昼夜逆転のルーティンが続くんだな」

「あなたが勝ち続ける限り、という条件付きだけど」

「あの闇組織が解明されて解体されるまで、だろ」

 俺は誰が相手でも負ける気はない、そう神崎は言っている。そんな孤高の天才プレイヤーに、華村は頼もしさを感じた。

「その頃にはきっと、あなたも一生食べて行けるだけのファイトマネーを稼いでいるわよ」

それだけこの闇組織は根が深いということ。世界中に張り巡らされた裏のネットワークは、どこまで広がりを見せているのか、警察組織をもってしてもその全容は掴めていない。

 何度となく失敗した潜入捜査。それなりのプレイヤーが潜り込んでも、勝ち切ることが出来ない世界。

神崎省吾は警察組織にとって、最後の望みとなっている。

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