第3話 敗北の理由②
契約にあたり、神崎は支配人から直々に概要説明を受けた。
「――ということで、このコロッセオでは、対戦成績に応じたレーティングが与えられ、基本的にはこのレーティングの近似値同士で戦うことになっております」
「一方が強すぎると、賭けが成立しないからか」
「おっしゃるとおり。それにどちらが勝つかわからない、手に汗握る好ゲームの方が盛り上がりますからな」
「地下デビューしたばかりの俺はレーティングが低い。当面はパッとしない相手と戦うことになるんだな」
支配人は「通常ではそうなりますが」と、意味ありげに言う。
「東堂一派のナンバー3であるシノブ選手を相手に、TKO勝ちを収めた確かな実力がある。現在のレーティングが正しい実力を反映していない以上、近似値の選手と戦っても、賭けが成立せんでしょうな。一方で、上位プレイヤーがレーティングの低いあなたと戦って負けた場合、大きく成績を落とすことになる。あなたは今、最も注目を集めるプレイヤーだけに賭け金も跳ね上がり、ファイトマネーも高額になるでしょうが、これまで積み重ねてきたレーティングを失うリスクを背負ってまで戦ってくれるかどうか。シノブ選手を相手に華々しいデビューを飾ってしまった代償として、上位陣は『神のごとき神崎』を必要以上に警戒することでしょう」
試合を組む相手を探すだけでも難儀する。この潜入捜査は最初から躓きそうだと神崎は懸念したが、華村は強気で言い切る。
「マッチメイクはエージェントである私が首尾よくまとめていくから、神崎は気にしなくていいわ。あなたは試合に勝つことだけに集中しなさい」
その確固たる口調に、神崎よりも支配人がニヤリと笑う。
「さすが香織嬢、相変わらず心強いお言葉を発せられる。主催者であるウチとしても、神崎省吾には大きな期待を寄せておりますからな、良いマッチメイクを期待しますぞ」
そう言いながら、支配人は一枚の契約書を取り出した。
「それでは機密保持契約を取り交わします。この『地下格闘ゲーム』の存在は、くれぐれも他言無用ですぞ。漏らした場合、命の保証は出来ませんので」
冗談とも本気とも取れる口調で、支配人はペンを差し出した。それを受け取った神崎は、ざっと目を通してサインして返す。契約締結を確認した支配人は、真顔で助言する。
「気を付けてくだされ。あなたは強すぎるが故、無意識に恨みを買って敵を作ってしまう」
「知っている。三年前に経験済みだ」
「あの時は濡れ衣だけで済みましたが、ここはイリーガルな地下組織。あなたに直接危害を加えることがあっても、おかしくはありませんからな」
改めて神崎は、自分が闇の世界に飛び込んだことを自覚した。だからといって後悔はない。むしろ今の自分が生きられる場所は、ここしかないとさえ思っている。
「心得ておく」
「覚悟が出来ているのなら結構。神崎選手のレギュラー参戦が正式に決まったところで、本日のファイトマネーをお支払いします」
支配人が合図をすると、黒服の男が神崎の前に立った。
「手のひらをお出しください」
言われた通りに神崎が右の手のひらを出すと、黒服の男はその上に百ドル札を数えながら一枚ずつ載せていく。
「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ――」
ハンドペイで百ドル札が五十枚、最後に細かい端数の紙幣が乗せられた。
「間違いございませんね」
「ああ。受領のサインは必要か」
「いいえ。ここはアンダーグラウンドの世界ですので」
黒服は真顔でそう答えた。存在自体が知られてはいけない地下組織。当然、その金は税務署の手など届かない裏の金。
支払いが済んだところで、支配人が丁重に挨拶する。
「神崎選手のご活躍、祈願しておりますぞ」
本当に願っているのは賭け金の増加だろう。それがわかっていても、神崎はあえて口に出さなかった。
華村と一緒に、神崎は地下格闘ゲーム場『コロッセオ』を出た。深夜二時を回っているというのに、新宿の街はまだ活気に満ちている。
「受け取ったファイトマネー、渡して頂戴」
華村が手を差し出して来た。神崎は無表情で訊ねる。
「全額、俺が貰えるはずだが」
「念のために紙幣を調べさせて貰うわ。偽札ではないか、紙幣番号が盗まれたものとして登録されていないか、確認するのよ」
あくまで潜入捜査が目的。警察組織を敵に回しても何の得にもならない神崎は抵抗せずに、受け取ったばかりの米ドル紙幣をすべて華村に渡した。
「もう終電もないから、私たちが取った京王プラザホテルの部屋に泊まりなさい。部屋番号は覚えているわよね」
ルームキーを渡しながら華村が言う。神崎は頷いてそれを受け取った。
「一つ頼みがある」
「なにかしら?」
「格闘ゲーム『リアル』の筐体を用意して欲しい。中古で構わない」
「実機で練習を積むってことね。いいわ、あなたの自宅に届けておく」
それだけ言い残すと、華村は颯爽とした足取りで街の中へ溶け込んで行った。神崎もホテルへと向かって歩き出す。
三年振りに人前でプレイした。高揚感に包まれている神崎は、その疲労をどこか心地よく感じていた。
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