第3話 敗北の理由①

『残り1分20秒! 神崎選手絶体絶命のピンチを迎えております!』

 最終ラウンドで3ポイント差を付けられている神崎。少なくとも二度のダウンを奪わなければ追い付けない状況下ながら、ガードを固めるシノブに対し、小刻みなローキックを繰り返すだけで、有効打を狙いに行かない。次第に観客からブーイングが起こる。

「やる気あんのか、テメエ」

「ペシペシとローばっかり蹴りやがって」

「お前に賭けてんだぞ、この野郎!」

 歓迎ムードから一転、神崎に向けられる声は怒号に変わった。無事にこのコロッセオから出られるかどうか、それさえも怪しくなるほど物騒な言葉が飛び交う。それでも神崎は動じない。無表情のまま、ただ画面だけを見つめて試合を続けていく。

『残り1分を切ったぁ! このままでは神崎選手の判定負けが濃厚!』

実況を聞きながら勝利を確信したシノブが、ほくそ笑む。

「あらあら、可哀想に。すっかり過去の人ね。惨めなあなたに変わって、私が見せ場を作って盛り上げてあげようかしら」

 シノブはまた剛腕を振るおうと、前に突進した。その時だった。

「――えっ」

 シノブのキャラが思うように前進できず、足を引きずっている。

『な、なんとシノブ選手のキャラが動きを鈍らせたぁ!』

 いきなりの変調に、実況が叫んだ。相手との距離を詰められず、自慢の剛腕が出せないシノブの顔色が青ざめていく。

「ずっとガードを固めていた。私は動いていない。スタミナが切れるわけがない。だったらなんで――」

 客席もそれまでの批判が静まり、画面に注目が集まる。

「なんだ、急にシノブの動きがおかしくなったぞ」

「神崎は何もクリーンヒットさせてねえだろ」

「ずっとローで相手の出方を窺っていただけだぜ」

「そう、ローキックばかりで――」

 その時、会場中の誰もが神崎の狙いを覚った。

「神崎はただ、相手の突進を牽制するためにローを蹴っていたんじゃねえ。ずっと同じ場所を狙って、シノブの脚を削っていたんだ!」

 シノブの動きが鈍ったのを見取って、神崎が間合いを詰める。素早いローキックを精密機械のように正確に、同じ場所へ集中的に繰り出していく。

『神崎選手のローキックが勢いを増したぁ!』

 神崎は無表情のまま、ぶれないローを蹴り続ける。

『まるで木こりが大木を切り倒すように、シノブ選手の脚、それも同じ場所を何度も何度も削っていくぅ!』

 シノブのキャラクターは、あからさまに足を引きずり始めた。体を支えることが難しくなり、上半身が揺れている。

「な、なんなのこれ……」

 シノブは時間を見た。残り40秒。このままローキックを受け続けていては、ダウンしてしまう。しかも脚に重いダメージがあると、立ち上がれずにKO負けする可能性すらある。

「に、逃げないと――」

 ポイントは自分が勝っている。あと40秒弱耐えれば勝てる。シノブの頭に『攻め』の文字はなくなり、『逃げ』一辺倒になった。

 その鈍くなった動きで後ろに下がり、神崎のローを避けた。神崎はその瞬間を見逃さなかった。

 ローキックの勢いをそのままに回転すると、神崎は鋭い裏拳を繰り出した。意識が下に向いていたシノブのガードは自然と緩んでおり、反応も遅れた。

「し、しまった――」

 裏拳がクリティカルヒットした。観客席から噴火のような歓声が上がる。

『この試合初めて、流れが神崎選手に傾いたぁ! いや、神崎選手が狙いすまして、自ら流れを引き寄せたぁぁぁ!』

 さらに前蹴りを食らったシノブのキャラは、コーナーまでヨロヨロと下がった。残り30秒、ここで神崎が牙を剥く。

『神崎選手の怒涛のラッシュが始まったぁぁぁ!』

 シノブのボディにパンチをめり込ませる。ガードが下がったところで今度は顔面にフックを浴びせ、慌ててガードを上げたところでまたボディ2発、さらにアッパーカットでアゴを跳ね上げる。

「ガ、ガードしないと……ガード!」

 シノブは自分に言い聞かせるようにコントローラーを裁いた。だが、自分が上をガードすれば神崎はボディに、ボディをガードしようとすると顔面を狙われる。

「よ、読まれている……私の動きがすべて読まれている!」

 3ラウンド終盤まで戦った中で、神崎はシノブの癖を見抜いていた。残り20秒、神崎の攻撃が面白いようにヒットする。

『神崎選手による怒涛の攻撃ぃ! シノブ選手ガードできない! 何発もまともに喰らっているぅ!』

 息をもつかせぬラッシュ。シノブのキャラが何度も顔面を跳ね上げ、体の芯を失ってフラフラと揺れている。本来ならダウンするところだが、神崎の猛攻が倒れようとするシノブを強引に立たせた状態にしている、そんな有様だった。

「なんなのよ……なんなのよこれ!」

 勝利を確信していたシノブは受け入れ難い状況に陥り、パニックを起こしていた。ただ額に脂汗を滲ませながら、顔面蒼白でコントローラーをやみくもに動かす。

『シノブ選手の意識が飛んでるぅ! それでも神崎選手の攻撃が終わらない!』

 会場内のボルテージも最高潮に達している。残り10秒、ここでレフリーが割って入った。両手を大きく振っている。

『レフリーが止めたぁぁぁ! 3ラウンド2分50秒、神崎選手の大逆転TKO勝利ぃぃぃ!』

 実況が声を裏返しながら叫んだ。「うおおおおお!」と地響きのような叫び声が会場内を包み込む。

「スゲエもん見せてもらった!」

「逆転の神崎は伊達じゃねえ!」

「最初から計算どおりだろ、これ」

「やっぱりあの男、『神のごとき』だぜ」

 神崎が無表情のまま、静かに立ち上がった。拍手や歓声と共に、「神崎っ! 神崎っ! 神崎っ!」と神崎コールが巻き起こる。それに対し、涼しい顔で片手を挙げて応える神崎。怒り心頭のシノブは「バンッ」と両手で筐体を叩いた。

「私が勝っていた……私が勝っていたのに!」

 奥歯を噛み締めながら小刻みに震えているシノブに、神崎は冷めた目を向ける。

「俺は最初からKO狙いでローから崩していった。それに対し、お前は奇をてらうだけで一貫した戦略が感じられなかった。相手の作戦も見抜けないまま、終盤に守りに入った時点でお前の負けは決まっていた」

「う、うるさい! 偉そうに説教するんじゃないわよ!」

 涙目で唇を噛みながらシノブは吠えた。神崎は表情一つ変えずに舞台から降り、華村の元へと戻る。

「見ていてヒヤヒヤしたわよ。盛り上げるために、わざと手を抜いたのかしら」

「自分のアケコン以外でプレイするのは久々だから、筐体の感覚を掴むのに時間が掛かっただけだ」

「なるほどね。劇的な大逆転勝利のおかげで、支配人がホクホク顔で来るわよ」

 神崎が振り返ると、支配人がヘコヘコと頭を下げながら歩み寄って来る。

「いやあ、さすが『逆転の神崎』と呼ばれただけのことはあって、これ以上ない大盛り上がりとなりましたよ。今日は塩試合が多かったので、大変助かりました。終わり良ければすべて良し、ラストにあなたの試合を組めて本当に良かった。是非、これからも参戦して頂きたいのですが、いかがでしょうかな」

「ファイトマネーを貰えるのなら、俺はいつでも戦う」

 その言葉を聞いて、支配人の顔がパッと明るくなる。

「これは心強い。ではさっそく、レギュラー参戦に伴う契約を交わしたいのですが、よければ少々お時間を頂けませんか」

「俺は構わない」

 そう言いながら、神崎は華村に視線を送る。

「私も良いわよ」

「では支配人室へ」

 神崎と華村は、軽快な足取りで進む支配人の後に続いた。

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