第2話 追い詰められる神崎①

 華村に導かれて入ったのは、歌舞伎町の外れにある寂れた雑居ビルだった。地上は五階建てだがすべて空いていて、外壁の剥離や亀裂が目立つ。

 一見すると空きビルに見えるその地下へと降りていく。正面に扉はあるが、このビルには似合わない鋼鉄製。前後左右には目立たないよう、カモフラージュされた形で監視カメラが置かれていた。

 華村はカードを取り出し、扉の脇にあるセンサーにかざした。ICチップに反応した扉が自動で開く。

「アンタも潜入しているのか」

 神崎が訊くと、華村は嘲笑を浮かべながら「そうよ」と返した。

「私は有能なプレイヤーをマネージメントする、エージェントの役割として潜入しているわ」

「キャリア組のお偉いさんは、捜査本部でふんぞり返っているものだと思ったが」

「私もそうしたいところだけど、任せられる有能な部下がいない以上、自分で出張るしかないのよ」

 華村はどこか冷めた表情で言った。この女の部下は大変だなと神崎は察する。

「華村香織という名前も偽名か」

「そう、だから潜入先でも気兼ねなく呼んでいいわよ」

 扉が完全に開いたところで、華村に続いて神崎も中に入る。薄暗く長い廊下を進んだ先に、屈強な二人の男が立っていた。その視線はIDを持っている華村ではなく、神崎に向けられている。

「その男は誰だ?」

 二人のうち、スキンヘッドの男が華村に訊ねた。彼女は腕を組みながら平然と答える。

「新しいプレイヤーよ」

「素性は確かなのか」

「彼に確認が必要かしら?」

 もっとよく見るように華村が促した。薄暗い廊下の中、スキンヘッドが神崎に顔を近づけると、目を丸くした。

「お、お前……神崎省吾か」

 もう一人の男も近づいて来る。

「マジであの神崎だ……」

「彼が参戦したら、地下格闘ゲームの愛好家である、世界中のギャンブラーが喜ぶわよ。通して貰えるかしら」

 余裕ある態度で華村が訊ねた。二人は道を空け、華村と神崎を先へと促す。そのまま進むと、突き当りにある両開きの扉を華村が押した。防音設備で固められていた室内から、ゲームの電子音や観客の歓声が溢れ出してくる。

 最奥に一段高いステージがあり、そこで対戦者が向かい合う形で座っていた。正面にはビッグスクリーンが設置されていて、対戦中の試合がライブで流されている。ネット上で賭けに参加している会員も、同じ映像をライブ配信で楽しんでいる。

 向かって右側のスクリーンには、本日組まれている全試合の掛け率が表示されていた。単純に勝った負けたではなく、どちらかのKO勝ちか、判定勝ちか、それともドローか、五択から選べるようになっている。最も高倍率なのは発生確率が低い「ドロー」で、「KO決着」よりも「判定決着」の方が倍率は低い。

 室内全体は百人ほど入れば満員となる空間で、ちょっと広めのゲーセン程度しかない。それでも立ち見が出るほど盛況だ。

「随分と賑わっているな」

 神崎が言うと、華村は鼻で笑った。

「ここに来ている観客の賭け金なんて、たかが知れているわ。このアングラ組織がお得意様としているのは、ネット上で賭けているギャンブル狂いの資産家や裏家業の犯罪者よ」

「カジノで言うところの『クジラ』か」

 数ドルから数十ドル単位で賭ける一般の客とは違い、富豪は一晩で10万ドル以上の大金をつぎ込む。カジノの売り上げを左右する大きな存在ということから、小魚一般客を一瞬で飲み込むクジラ《ハイローラー》で喩えられている。

「第一印象はどう? やっていけそうかしら」

「ゲームが変わらないのなら、どこでプレイしようが一緒だ」

「頼もしいわね」

 華村と神崎が会場の様子を窺っていると、恰幅のいい男が近づいてきた。華村がそっと神崎に耳打ちする。

「ここの支配人よ。部下からあなたが来たと連絡を受けて、確認に来たようね」

 支配人はニコニコ顔ですり寄って来た。

「いや~、本当にあの『神のごとき神崎』が来て下さった。香織嬢、とんでもない逸材を連れて来ましたな」

「間違いなく、このコロッセオで注目の的になるわよ」

「早速試合を組ませて頂きたい。いつなら都合がよろしいですかな」

「どうかしら?」

 華村が訊ねると、神崎は無表情のまま答える。

「俺はいつでも構わない」

 金が底を突く前に稼いでおきたい神崎は、「むしろ早ければ早いほど良い」と付け加えた。支配人は満足げに頷く。

「それでは来週にでも。対戦相手と時間は追って連絡いたしますぞ」

 支配人がゴマを摺るようにヘコヘコすると、目の前で行われていたゲームが終わった。赤コーナーの判定勝ちで、賭けの倍率は1.9倍と順当な試合結果だった。そのためか、会場内には少し冷めたような空気が流れている。

 プレイヤーが舞台から降り、次の試合に向けて準備が始められている中、いつの間にか支配人がマイクを持って舞台に上がっていた。

「みなさん、少々お耳を拝借いたします。今日はいささか盛り上がりに欠ける試合展開が多く、刺激が足りていないお客様も多いかと思います。そんな皆様に朗報です。新しいプレイヤーがこの地下格闘ゲームの世界にやってまいりました。ご存知、神のごとき神崎省吾選手です!」

 スポットライトが神崎に当てられた。会場中の視線が彼に集中砲火を浴びせる。

「相変わらず策士だわ、食えない支配人だこと」

 華村は呆れ顔で首を振る。場の空気が停滞していると見るや、燃料を投下して人工的に盛り上げようと、支配人は神崎を利用した。伝説のプレイヤーを目の当たりにした来場者は支配人の計算通り、一気に噴火する。

「マジモンの神崎省吾じゃねえか!」

「神のごときと称された凄腕のプレイヤーが地下に?」

「これは楽しみになって来たぜ!」

「今日やるのか? やるんだろ?」

「やれやれ! 絶対賭けるぜ!」

 想像以上に客のボルテージが上がってしまい、支配人は困惑した。不正行為を疑われて表舞台から追いやられた神崎だが、このアンダーグラウンドでは問題視されない。

そもそもこのコロッセオ自体、非合法な存在。ここで賭けに参加する人間にとって、大切なのは賭けに勝つ事と、熱く盛り上がる試合内容。不正行為をしなくても充分に強いことを知っている客たちは、神崎の魅せるプレイを歓迎している。

「本日交渉し、神崎選手の試合は来週行われることになります」

 客を落ち着けようと柔和な口調で言う支配人だったが、一度火が付いたものは止められない。

「ふざけんな! 今すぐやれ!」

「そうだそうだ! ずっと塩試合ばかり見せやがって。今夜は神崎の試合を見ないと帰れねえぞ!」

 殺気立った怒号まで上がり始めた。青冷める支配人に部下の一人が近づいて耳打ちすると、支配人の顔はさらに固まった。ネットの向こう側にいる大口の金を賭けるクジラたちも、神崎に試合をさせろと要求してきている。

 闇組織の上層部もこの圧力を看過できず、支配人に試合をまとめるよう促してきた。自分で蒔いた種で首を絞めることになってしまった支配人は、急ぎ神崎の元へと走った。

「きょ、今日にでも試合をお願いしたい」

「随分と急だな」

「確かいつでも良いと、早ければ早いほど良いと、おっしゃっていましたな?」

 支配人は神崎の言葉尻を逆手にとって迫った。華村が横目で神崎を見る。

「どうする? 私は構わないけど」

「俺も構わない。ただ、今日はアケコンを持っていない」

 支配人は「それなら心配無用――」と、説明を始める。

「――このコロッセオでは不正を防ぐため、ゲームセンターに置かれている筐体と同じものを使うことになっておりましてな、自前のコントローラーは使用できない決まりとなっているんですよ。三年前、あなたが不正行為で追放になった時のように、疑念を持たれないようにするための工夫ですな」

 支配人は窺うような目を見せた。神崎は冷めた目を向ける。

「俺はコントローラーに細工などしていない」

「もちろん、我々もあなたが不正を働いたとは思っておりませんぞ。ただあなたは強すぎた。他のプレイヤーから嫉妬を買うには、充分すぎるほどに――」

 支配人の見解は、神崎が抱いている想いと一緒だった。自分を妬んだ何者かが、愛用のコントローラーに細工を施した。匿名の通報があったと言われて調べられた結果、不正が発覚したが、何も知らない神崎はそのイリーガルなシステムを使っていない。そう主張したが、聞き入れてはもらえなかった。

「――使用する筐体は毎回、我らが誇る公正な技術者が手入れを行い、差が出ないよう万全の体制で整えております。安心してプレイできますぞ」

「条件はわかった。対戦相手を用意できるのか」

「今すぐ募ります!」

 支配人は目を輝かせて再び舞台に上がり、マイクを手にした。

「神崎選手より対戦の許可を得ました。急遽本日のメインイベント後、エクストラ・イベントとして試合を行います。どなたか挑戦者はおりませんか」

 相手が『神のごとき神崎』だけに、並みの相手では務まらない。会場内がザワザワとする中、ショートボブで、華村に負けないほど気が強そうな一人の若い女が手を挙げた。

「私が相手になるわ」

 会場中から「オオッ!」と歓声が上がった。神崎が横目で見ると、華村も警戒心を見せている。

「強いのか」

「このコロッセオで最も幅を利かせている『東堂一派』のナンバー3よ。女子では最強のプレイヤーだわ。立身に意欲的な性格をしているから、あなたのクビを討ち取って名を上げたいんでしょ」

「相手に不足は無いようだな」

「大丈夫かしら。あなたには三年ものブランクがあるけれど」

「警察が用意した『賞金十万ドルのプレイヤー』に勝ってみせたはずだが」

「慣れた環境である自宅と、人前でプレイする実践では違うでしょ」

「俺には関係ない。戦っている最中は周りなど見えていない」

 平然とした顔で神崎が言う。それを見て、華村が笑いながら頷く。

「だったらいいわ。任せたわよ」

 支配人は意気揚々と声を上げる。

「なんと、シノブ選手が手を挙げてくださいました! 突発的でありながら、これはとても素晴らしい組み合わせ。本日の最終試合は『神のごとき神崎』VS『女傑シノブ』の一戦とさせていただきます!」

 盛り上がる会場、さっそく用意された賭けのボード。それを見つめながら神崎が華村に訊ねる。

「一試合当たりの平均賭額はいくらだ」

「通常は前座で数万ドル、メインイベントで二十万ドルから三十万ドルといったところね」

勝てば1%のファイトマネー。二千ドルから三千ドルの金が手に入る。神崎はいつもの通り、首を左右に振って『コキッコキッ』と鳴らして臨戦態勢を整えた。

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