第1話 神のごとき神崎③
十万ドルもの大金を受け渡すのに、会社のオフィスでもなく、銀行でもない、人の目が多いロビーを指定してきた相手の意図がわからない神崎だったが、今は金が手に入れば何でも良い。多少は危ない橋であっても、渡らないわけにはいかない。
指定された場所で待っていると、黒いスーツをまとった男が周囲を気にしながら近づいて来た。低く野太い声で「神崎様ですね」と訊ねて来る。
神崎が頷くと、スーツの男は「賞金の件でお話がありますので、どうぞこちらへ」と誘った。男の後ろをついてエレベーターに乗り、ある部屋の前に通される。
「ここで賞金を貰えるのか」
訊ねると、スーツの男は「責任者が中でお待ちです」と、はぐらかすように扉を開いた。怪しい雰囲気を感じずにはいられなかったが、ここは名の知れたホテルだけに、野蛮な真似はそうそう出来ないはず。
神崎は導かれるままに室内に入った。部屋の中央まで進むと、新宿副都心の夜景をバックに、ソファに身を委ねている女がいた。
年齢は神崎と同世代、タイトなスーツを身にまとったキャリアウーマンに見える。黒く長い髪をかき分ける仕草には、色気と貫禄が感じられた。
「プレイヤーネームが『神崎』だったからまさかとは思ったけれど、本当に神崎省吾だったとはね」
セクシーな声色で女は言った。神崎はそれに反応せず、淡々と話しを進めていく。
「アンタが責任者か」
「そうよ。若い女で驚いたかしら。この国は性別や年齢に対する偏見に満ちているから、仕方がないけど」
「年齢も性別も、俺にとってはどうでもいい。約束の十万ドルを頂こうか」
神崎は手を差し出した。女は顎に手を当てながら言う。
「それはこちらの捜査に協力してからよ」
思わぬ発言に、神崎は差し出した手を下ろした。
「アンタ、警察関係者か」
「自己紹介が遅れたわね。私は警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第二課管理官、
その若さで管理官ということは、キャリア組のエリートかと神崎は察した。
「組織的な国際犯罪を取り締まるお偉いさんが、なぜゲームに関わっているんだ」
「主要都市を中心に、大規模な『地下格闘ゲーム』が行われているのよ。そこでは非合法な賭けまで行われ、ネット配信により世界中の資産家やギャンブラーが参加している」
「犯罪の温床にもなっているのか」
「そう。資金洗浄はもちろん、あらゆる裏取引が行われている。その実態解明のためにゲームの腕が立つ潜入捜査官を探していたけれど、残念ながら警察関係者には中途半端なプレイヤーしかいないのよ」
「だから賞金ゲームを開き、募集したというわけか」
「最強の腕を持っていないと、組織の奥深くまで潜れないでしょ。勝利したあなたは合格、晴れて潜入捜査官の資格を得たというわけ」
「俺は警察の捜査に協力する気など微塵もない」
「だったら賞金十万ドルも渡せないわね」
「勝った時点で貰えるはずだが」
「注意事項をよく読んでいないのかしら。『勝利後、主催者の指示に従うこと』と条件が掛かれていたはずよ――」
何も読まずに戦った神崎は、それが事実か否かわからない。そもそも後からweb上に条件を書き足されていても、それを指摘する術がない。
「――言っておくけど、これはあなたにとっても都合のいい話なのよ。なぜなら地下格闘ゲームでは、ファイトマネーを貰えるんだから。eスポーツ業界から追放されて三年、そろそろ現役時代に稼いだ貯金が尽きる頃でしょ」
見透かしたように華村が言う。神崎は見栄を張ることなく、事実確認をした。
「非合法の闇組織から、カネを受け取っても良いのか」
「警察はあなたが主催者から受け取ったお金には、一切関知しないわ。潜入捜査がバレないために必要な行動として、黙認するわよ」
「いくら貰えるんだ」
「掛け金総額の1%が勝者に与えられる。人気が出れば出るほど、ファイトマネーが上がるというわけ。そのためにはアグレッシブな戦いが求められる。現役時代『逆転の神崎』と称され、多くのゲーマーたちを魅了してきたあなたなら、あっという間に人気者になるわ」
敗者には何も与えられない、天国と地獄を分ける戦い。それが非合法たるアンダーグラウンドのゲーマー世界。
自分には格闘ゲームしか生き残る世界はない。表舞台に立てないのなら、喩え日の当たらない地下であっても、活躍の場を求めるしか道はない。
「――わかった、潜入捜査を引き受けよう」
神崎が小さく頷くと、すべてが計算通りと言わんばかりに華村が「フフッ」と笑う。
「さっそく行くわよ」
「どこだ?」
「決まっているじゃない。東京にある地下格闘ゲーム場、通称『コロッセオ』よ。そこでトッププレイヤーに君臨したら、間違いなく組織の幹部が接触してくる」
「そうなったら、十万ドルを払ってもらえるんだな」
「もちろんよ。でも今日まで、その任務を成し遂げた者はいない。あなたには期待しているわよ」
華村は立ち上がると、「付いて来なさい」と命じながら、モデルのように颯爽と歩きだす。神崎は無表情のまま、その後をゆっくりとついて行く。
そして二度と後戻りが出来ない、アンダーグラウンドの世界へと足を踏み入れた。
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