#26 決着

 支え起こした蔵見の名を呼ぶと、ちらりとこちらに視線を向けた。


「……田中さん?」


 その表情には疲労が色濃く滲んでいて、蔵見自身も限界が近いのだと分かる。


「もう一度だけでいい、全力で行けるか?」

「……戦えます……!」


 その口からは掠れたような呻き声ような返事しか漏れず、なのに疲労の色濃いその顔には変わらぬ戦意が浮かんでいる。

 敵は何の意味もない突撃を繰り返す蔵見を一顧だにせず、再び老師と先輩の二人に襲い掛かる。

 疲労とダメージで今にも膝をつきそうな二人はそれでも必死にその攻撃を受け止め、受け流し続けていた。


 戦闘は、俺たちと関わりのない場所で続いている。

 俺たちには先輩の火力も老師の技量もない。決死の攻撃が牽制にもならず、居ないものとして扱われる蔵見だからこそ、出来ることがある。


 奴がこちらを無視するのは、舐めているからでも、馬鹿にしているのでもない。それだけ余裕が無いのだ。

 初めから満身創痍だった。先行班が与えた傷の数々は確かにあの魔族を追い詰めていた。


 だからこそもう一体の魔族は自らの命を捨ててまで呪いの解除を図り、そしてその貢献が戦況を変えた。

 敵にとっても、綱渡りに等しい戦場なのだ。

 こちらに無防備を晒してでも目の前の老師と先輩という脅威を片付けねばならないという焦り。奴がこちらに晒す隙は傲岸でも慢心でもなく、勝つために犯したリスクだ。ただ俺たちを脅威と認めているが故の、窮余の一手に過ぎない。


 敵はただひたすらに勝つために、俺たちを居ないものとして無視することを選んだ。

 だからこそ、それを超えればそこに勝機がある。


 一度でいい。たった一度、こちらに無防備を晒し続ける敵の、その防御を抜ける火力を得られたなら、これまで続けてきた無謀で無意味な突撃が実を結ぶ。

 その為の一手を俺は蔵見に託し、今にも崩折れそうな足を踏み締めて次に備える。


 蔵見はただ無言で頷き、再び手の届かぬ決死の戦場へ縋りつきに行く。

 俺に出来ることはただひとつ。一瞬のチャンスを蔵見に与えること。


 *


 俺には上地さんのやったような、斬り込む前衛への強化は出来ない。そのためには俺自身の練度も、連携もまるで足りない。

 先輩の火力も老師の技量もない。俺にも蔵見にも、戦局を動かすだけの力はない。


 急造バーティの足手纏い二人。迷宮において最も物を言う、ただ単純な積み重ねが俺たちには欠けている。

 だが、だがこの短剣だけは違う。因果の前借り。肉体そのものに次いで魔力を鋭敏に受け止める第二の身体。


 老師と先輩、そして他ならぬ魔族もまた決死で向き合う戦場に、ただ指先の一本でも届かせることが出来るとすれば、この短剣をおいて他にない。

 もう限界はとうに超えているだろう。それでももう一度と死地へ向かう蔵見は、しかしこれまで幾度も繰り返した決心の攻撃同様に、敵の眼中にも入っていない。欠片の意識も向ける余裕はない。

 だから奴は、俺が装備していた短剣を持っていないことも、蔵見が武器を持ち替えていることにも気付かない。


 果たして幾度、何の成果もあげられず無に帰したか分からない蔵見の突撃が、最後の突撃が成される。

 ありったけの魔力で強化したちっぽけな刃が、強大な魔族の右腕、先輩が一度食い千切った傷痕に食らい付く。


 そして、一度たりとも顧みられることのなかったその攻撃は、今ようやく魔族の強靭な表皮を斬り裂いて敵の腕に確かな傷を刻み込んだ。

 瞬間、俺は全てを振り絞り、魔法を発動する。


 俺にが老師のような、目まぐるしく動く戦況の中で、こちらの攻撃を捌こうとする敵の回避や防御を掻い潜って急所に的確な攻撃を打ち込む神技染みた技巧などありはしない。

 だがそれでも。完全に不意をつかれた敵の、驚愕と共にこちらに晒される隙がいつどの瞬間、どこに生じるか。その全てを把握し、かつ完全なフリーで敵の弱点を狙える状況なら、そんな馬鹿らしいほどこちらに有利な勝負であれば、勝ちの目は存在する。


 そして、その馬鹿げた状況が今俺の目の前にある。

 魔族の意識に俺という存在はなく、その意識の全ては老師と先輩に向けられていた。

 そこに突如差し込まれた蔵見という異物。この戦いでようやく初めて、奴の意識が彼女を捉える。

 だからこそ俺の存在は、今この瞬間もなお、奴の中で透明なままだ。


「……次はこっちを見ろ、糞野郎」


 強化の付与で魔力切れ寸前の今にも途切れそうな意識の中で、俺は呟き、決め打ちで用意していた渾身の魔法を解き放つ。

 賭けはこっちの勝ち。


 加速された無数の金属片が、一度老師に抉られた眼に向け突っ込んでいく。

 飛来するそれらを振り払おうとした腕は蔵見の一刀で半ばまで断ち切られ、まともに動かない。


「がああああッ!!」


 右腕と両目を失った魔族が出鱈目に振り回す、残る左手が最後の一滴まで力を振り絞った蔵見を薙ぎ払おうとする。

 その腕を、横合いから駆け込んできた巨体がふら付きながらも身体を張って受け止める。そしてそのままあらん限りの力を込め、先輩は魔族に残された唯一の武器を抑え込んだ。

 皆で繋いだ文字通りの逆転の一手。

 あとは、老師の仕事だ。


 解き放たれた矢のように、二本の刺突剣を構えた老師が無防備に晒す魔族へと突進し、その切っ先が魔族の両目を再び抉る。

 今度は逃がさない。深く深く頭蓋の内にねじ込まれた二本の剣を、組み付きながら更に引き絞って捻じり込む。


 尋常ではない再生力を持つ魔族をさえ、確実に仕留めたと確信できる必殺の一撃。


 魔族と同時に、全員が倒れ込んだ。

 誰もが勝鬨の声ひとつあげられない放心と疲弊の極みにあって、ただ息遣いだけが静かに響く。


「やった…………」


 ただその一言が漏れ出すまでに、随分と長い時間を必要とした。


 *


 その後、駆け付けた篠宮さんとチャールズ氏が倒れた皆を救助し、作戦は全ての目標を達して終了した。

 魔族の領域へと繋がるダンジョンの道も、魔術的物理的な手段双方で封鎖され、山榛のダンジョンに訪れた危機は幕を閉じた。


 幸いにも、先行班を含め作戦に参加したメンバーの中に治癒限界を超えた者は居らず、いずれは皆元通りに回復するだろうとの事だった。

 単に魔力切れを起こしただけの俺と上地さんは回復も早く、その日の夜には動けるようになり本部要員も交えてのささやかな乾杯を交わした。


 聞くところによると、討伐に差し向けられた二班が敗北したときには隠しエリアの入り口部分でダンジョンを発破・封鎖する手筈だったようだが、篠宮さんはスマホが破壊され情報が途絶えた時点で迷宮内に駆けつけようとしていたらしい。実際には観測機器経由でこちらの生存を掴んだチャールズ氏に制止され、待機させられていたようだ。

 何にせよ、生き埋めにならなかったのを喜ぶべきだろう。


 そして翌日の陽が昇り切る頃には、怪我が重く搬送された矢萩さんや先行班の数人を除き、皆がどうにか動けるようになって、改めて勝利の宴が催された。

 重傷組の何人かは参加できない宴だが、冒険者というのは宴会が好きな生き物である。どうせまた彼らが完治すればまた改めて騒ぐ算段だろう。


 その末席に加わろうとした俺と蔵見を、皆が中央へと引きずり込もうとしたのを覚えている。二人とも本当にありがとうね。生還できたのはお前たちのおかげ。口々に掛けられた言葉はそんな感じだったと思うが、俺たちはそれにどう答えたのか覚えていない。覚えているのはむず痒さと、皆の傷だらけの笑顔。


 ただそのとき生き延びた実感がようやく湧いた気分そのまま、俺の記憶は途絶えている。

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