#25 全力全霊の

 打撃音というよりは砲撃を思わせる音と共に、魔族の硬化した腕と熊の剛腕が交錯する。

 後に兵舎としてでも使うつもりであろうこの仮拠点は、この部屋だけでも学校の教室程度の広さはある。暴れるには十分な広さだが、それは人間サル同士のじゃれ合いでの話だ。


 卓とベッドが消し飛んで、壁際まで押し込まれた魔族は背後の石壁にぶつかってあまりの衝撃に亀裂を発生させる。


「調子に乗るな! 畜生がァ!!」


 怒りの形相で振り上げられる魔族の腕より、先輩の牙が早い。

 巨体に似合わぬスピードで喰らい付くあぎとが魔族の右腕を半ばまで食い千切る。

 しかし次の瞬間、その腕が先輩を殴り飛ばす。先輩と魔族の間に決定的な体格差がある。だがその体格差を覆して余りある衝撃が先輩を吹き飛ばす。


 見るも無残に抉れていたはずの魔族の腕がゆっくりと、歪ながらも再生していく。気付けば先行班が与えていた無数の傷も塞がり、魔力による肉体再生が為されている。


「魔法ってのはなんでも出来るんだねえ……上地くんはどう?」

「こっちはなんでもは出来ませんし、もう一度が限度ってとこっすね」


 後方で息を整えていた矢萩さんがそうぼやきながら構え、上地さんが応える。

 俺でも分かる。長期戦は不味い。魔族の再生速度は常軌を逸している。あの様子だと腕の一本や二本は再生されかねない。


 魔力を弾く他者の肉体への魔力の付呪は、最も難しい分野のひとつだ。長年の熟練と連携だけがそれを成し遂げる。

 矢萩さんへの強化を終えた上地さんは恐らく様子を見る限りこれ以上戦えないだろう。あまりにも多くの魔力を費やした彼はその場にへたり込んで荒い息をしている。

 先輩の猛攻も、氷川さんと老師の援護を得てなお魔族の再生力相手に僅かずつ押し返されつつある。

 そもそも先輩の捨て身の攻撃以外はあの魔族相手には牽制にさえ足りないと言わざるを得なかった。

 全力全霊の一撃。先輩と魔族のフィジカルが拮抗しているうちに、戦況は大きく傾ける決定打を叩き付ける必要がある。


「それじゃ田中くん。僕のかっこいいところ、ちゃんと撮っといてね」


 深く沈みこんだ矢萩さんが一度大きく息を吸い、限界まで熱した鍋に注いだ水が蒸発するような破裂音を音を立てて床を蹴る。カメラで捉えるのも困難な速度を必死に追う。壁を蹴り、天井を蹴り、空間を縦横に使ったその速度に目を見開いた魔族が、迎撃の体勢を取る。

 対する矢萩さんは天井と壁を使った三角飛びで低く低く更に加速し、すれ違いざまに魔族の脚を深く切り裂く。


 姿勢を崩した隙に先輩が襲い掛かり、叩き伏せられた魔族がそれをのたうって弾き飛ばし、更に老師の刺突剣が魔族の左の眼球を貫く。そのまま捻じり込もうとする老師を、遅れて突っ込んだ蔵見もろともに振り解いて、二撃目を切り込もうとした矢萩さんにどんぴしゃのカウンターが刺さる。


 剣が折れ、間違いなく骨もいくつか折れたに違いない痛烈な反撃で、吹き飛ばされた矢萩さんが地面を跳ね転がって壁に激突する。

 苦悶の声を上げ、もがくばかりで立ち上がれない矢萩さんに向かって放たれた魔力。矢萩さんを庇い射線上に立ち塞がった氷川さんを、だがそれは容赦なく飲み込む。

 こちらに傾きかけた形勢は一気に逆転した。


 魔族が、左眼に突き刺さったままの老師の刺突剣を抜き取って叩き捨てる。

 再生速度が遅い。間違いなくダメージの蓄積はある。


「ガキと畜生、残るは貴様ら二人だけ……」


 だがそれ以上に、こちらの戦力が底を尽きつつある。

 あの怪物と正面から殴り合い続けた先輩は最も消耗が大きく足元がふらつき、果敢に挑み続ける老師の小さな体も絶対的なタフネスという点で大きく劣る。


 そして、俺と蔵見は戦力外。悔しいがそれは事実だ。

 この戦場に立つには足りないものが多すぎる。自らの力不足を痛感し、歯噛みする。

 どうする。どうやってこの窮地を乗り越える。考えても答えが出ないまま、戦況は刻一刻と動いていく。


 老師と先輩が動き、蔵見が続く。敵が再生する以上、手を止めることはそのまま死に直結する。

 やるしかない。そう思い剣を握る手に力を籠め、踏み出そうとする。だがそれよりも先に、かすかに響く声に気付いた。


「田中くん……」


 矢萩さんが俺を呼んでいる。

 声を発することさえ苦痛であろうに、血反吐を吐きながらそれでも矢萩さんは続ける。


「行くな……それは君の役割ではない……」


 それが何を意味するのかは分からなかった。声には、悲痛さにも似た響きがある。

 俺の役割。それは撮影係だ。後に続く戦いのため、あの化物に対抗するための情報を少しでも多く集める事。しかしこの戦いに負ければそれもすべて水の泡だ。

 そう思っていた。

 だが違うのだと、彼は言っている。


 この戦いに負けたとしても、情報を持ち帰ることは出来る。

 必勝を期した作戦、だが仮に負けても。言葉の意味に思い至る。俺はこの戦いの記録係だ。なら、今できる最善の事はなんだ?

 次の戦いに向け、情報を持ち帰ること。俺がやるべき役割はそれなのだと矢萩さんは言っているのか。


「俺に、皆を見捨てて逃げろと言うんですか……!!」

「それも……選択肢の一つだ……」


 苦しげな眼の光がこちらを見据える。

 それを選ぶこともまた、俺の仕事だということか。命懸けの戦い。挑む覚悟は出来ていたつもりだった。

 だが、逃げる覚悟のことを、俺は考えもしなかった。


 かつて『鋒山』の戦いが蔵見がそうしたように、生きて帰りさえすれば後に繋がるものがある。谷場さんたちが蔵見を逃がし、彼女は絶望的な道行きを超えて生きて帰り、それが今この戦いに繋がっている。

 無駄死にするくらいであれば、俺もそうすべきなのだ。

 俺が無力故に、仲間を見捨てて逃げることが俺の為せる最善であるということ。

 導かれる結論は身を切るほどに苦しい。だが悔しくとも、許せずとも、呪うべきは自分の無力だ。


「ちくしょう……っ!」


 

 唇を嚙み、何も出来ない自分への怒りに震える。

 そうか。本当にそうか。俺に出来ることは何もないのか。

 あの恐るべき魔族をここまで追い詰めたこの場を逃して、次に続くチャンスがあるのか。

 ここで負ければこの山榛に集う戦力のほとんどが失われ、もはや敗北は覆せないものになるのでは? だが戦場はここひとつではない。無数のダンジョンがこの後に続く。そのダンジョンに集う人々の希望を、逃げたくないという意地ひとつでみすみす潰すのか?


 絡み合った思いが胸の内で暴れ回って、少しも答えが出せる気がしない。

 手の内のカメラを覗き込む。画面に映る、仲間たちの戦いを。後に続く人々の希望かもしれない、目の前の絶望を。


 前にもこんなことがあったことがする。

 そうだ。あれは始めてダンジョンに潜った日。双頭犬との闘い。

 画面越しの死地の奇妙な冷静さ。どこか他人事な自分の一部が気付く、死地の内にレンズだけが捉えた細く確かな活路。


 フィルターを通した現実が冷静さをもたらし、冷えた頭がようやく噛み合って回りだす。仲間たちの戦い。そこに見える今この瞬間の希望。

 まだだ。まだ俺には出来ることがある。

 一つの思いに辿り着き、死地の中立ち上がる。やるべきことのために、再び地を蹴り駆け出した。


 *


 先輩と老師が傷付き、幾度も打ち倒されながらも起き上がり挑みかかる。

 魔族は強い。その腕は一撃で骨を砕き立ち上がろうとする意志を挫き、その肌は並大抵の攻撃を通す事はない。


 氷川さんや上地さんら後衛組の支援攻撃や、急所以外への老師の攻撃さえほとんどダメージを与えられない。

 俺や蔵見の攻撃など、敵は完全に眼中に入れてすらいない。

 事実何度も突撃を繰り返す蔵見は、この戦いにおいても、その前の炎の魔族に対しても、何一つ傷を与えられてはいなかった。


 蔵見。

 撮影係のバックアップとしてこの場に来たくせに、囮や弾除けにでも使えと言ったくせに、戦いが始まるとなんの迷いもなく突っ込む馬鹿野郎。

 一切の戦力になっていないにも関わらず命懸けの突撃を繰り返し、何度跳ね返されても立ち上がろうとするその肩に、俺は手を貸した。


 すごい奴だ。

 俺などただこの戦場に立つだけで足が震えるほど恐ろしくてたまらないのに、どれほど繰り返しても一筋の傷さえ与えられない現実を目の前にしても、命懸けで戦い続けるお前はすごい奴だ。

 老師と先輩さえ潰せば戦いは終わり。敵のその判断に間違いはないだろう。

 蔵見と俺には足りないものが多すぎる。それはどうしようもない現実だ。


 だからこそ敵は俺たち二人は取るに足らない存在と無視し続けてきた。この戦いにおいて何一つ変えることのできない無力な存在と見なし、重傷を負った矢萩さんにしたように踏み潰そうとさえしない。

 その判断が間違っていることを、奴に突き付けてやらなければならない。

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