#24 呪いと怪物

 突入した未知の敵拠点、その空間は想像よりもはるかに文明的な佇まいを見せていた。

 一見してホテルの一室を思わされるのは、物が少ないせいだろうか。その景色は、ダンジョン前、作戦本部の仮設テントと重なった。だが向こうにはなくてこちらにあるもの。それは生活感だ。仮設であるが故の簡素さはあれど粗さはない。人の生きる場所だ。


 自分に言い聞かせる。相手は人間じゃないぞと言い聞かせる。そうでなければ尻込みしてしまいそうだった。

 これから殺し合う相手が、この場所で寝て起き、食事を摂り、そしてこちらを殺す算段をしている場所。


 人でなしの化物は二体いた。

 既に戦闘を始めている先行班の背後、奇襲を仕掛けようとする二体目、その更に背後から襲い掛かる。

 魔法でカメラを構えた俺の隣をすり抜けて、蔵見と老師の二人が躍り出る。


 呪いは効いているようだ。明らかに動きの鈍い魔族に向けて、氷川さんの射撃と上地さんの火炎魔法、『上地商会』の後衛組が前衛の合間を縫って攻撃を飛ばす。完全に意図しない方向からの攻撃に加え、俺の目では追うことも出来ない速度で矢萩さんと老師が肉薄する。

 決まったと思った次の瞬間、魔族は目を疑うような勢いでその体を変形させた。上地商会の面々の放った攻撃が、その身体を穿つよりも先に空中で燃え尽きる。


 赤褐色に変色した上半身から、緑色の炎を迸らせて、その異形は咆哮する。

 四方に放たれた魔族の火炎は、しかし前衛組の体捌きで危なげなく躱される。だが千載一遇の好機は失われた。炎を避けた僅かな一瞬で態勢を整えた魔族が上地さんの直剣と老師の刺突剣を辛うじて捌く。


 問題は後衛組の攻撃を燃やし尽くした炎だ。銃弾と火炎魔法を焼き尽くした炎。通常の火ではありえない。

 完全に不意を打たれる形で高速で飛来した銃弾を己に届くまでのわずかな時間で焼き消し、実体のない炎さえ燃やし尽くす炎。

 不可能を可能にする魔法を極めると、ここまで理不尽な結果を導くことが出来るのかという目眩にも似た衝撃。もしもあれを生身で受けたならばどうなるのか、最後方に居る自分でさえ冷や汗が出る恐るべき魔法に、肉薄して晒される前衛組が感じるプレッシャーは如何ほどのものか。


 その炎に躊躇わず踏み込む者が二人いる。

 矢萩さんと老師に一歩遅れる形で続いていた蔵見と先輩が、鉄さえ溶かす炎の壁を突っ切って斬りかかる。

 躊躇など何ひとつ感じられないその勢いのまま、二人の斬撃が魔族に突き刺さる。


 焼け死にはしない。

 敵の魔法攻撃に対して最も強い抵抗を示すのは、肉体そのものだ。迷宮の魔力に侵され変質した肉体は、魔力を持ち魔力による攻撃に強い耐性を示す。

 しかし鉄すら溶かす炎を受けて無傷とまでは行くはずもない。おそらく、敵が銃弾と魔法を焼き払った炎の盾と、能動的に放った炎は別物だということ。


 二人の攻撃の内、先輩の一撃は硬質化した肌に傷を付けるも振るわれた腕にまとめて吹き飛ばされる。


「くそ、構わず突っ込むのが正解だったか」

「チャンスを逃したね……」


 矢萩さんと老師が敵の間合いから距離を取り、飛ばされた先輩と蔵見への追撃を牽制しつつ機を窺う。

 その間も後衛組の二人は攻撃を続けていた。俺もそこに加わって異形の魔族へ金属片を飛ばす。今度は炎の盾に焼き消されることなく攻撃は届き、敵は僅かに被弾しながら後退し遮蔽を取ろうとする。


 つまり初撃を防いだあれは、恒常的に発動できる類のものではない。

 とはいえもし喰らえばひとたまりもないのは間違いない。後衛組の波状攻撃で手の内を暴くのが得策だろう。

 だが、老師が叫ぶ。


「日和るな! 攻め続けろ!!」


 呼応するように先輩が獣吼を上げ再度突撃する。

 そうだ。そもそも相手は今、呪いを受けて本来の能力を発揮できない状態なのだ。様子見でこちらが得る以上のものを、時間を許せば相手は取り戻す。

 こちらの攻撃を防ぎながら後退する魔族に向け、先輩が進路上の全てをなぎ倒しながら突き進む。

 瞬間、鮮血が舞った。先輩の突進に隠れるように老師の放った投げナイフが敵の手首に突き刺さり、先輩が身体ごとぶちかます。魔族の体が無防備に浮いた瞬間、後衛組の魔法が炸裂する。


 勝てる。そう確信したのはそれに続く矢萩さんの痛烈な一撃が無防備な魔族に致命的な一刀を加えたからだ。

 魔法で強化された体表を完全に貫いて、その奥の胴体を半ばまで損なわせた矢萩さんの切り札の一発に対し、魔族の反撃はあらぬ方向へと飛んでいた。誰も居ない、何もない場所に――、


 次の一瞬で、その反撃が焼き切ったものを視界に収め、俺の頭は理解を拒否していた。


「不味いです! スマホをやられた!!」


 魔族へのとどめに意識を向けていた皆に、それを伝える。

 呪いのスマホは、こちらの作戦の要点でありながら、同時に敵にとっては罠と分かった上でさえ確保しておきたい貴重な戦利品だった。

 だからこそ、こちらの搦手に対して魔族はスマホを破壊するという、最も単純で最も効果的な対応を今の今まで取らなかった。


 呪いのスマホは、スマホが極度に高度な機能と役割を持つが故に成立する呪いだった。集積回路と複雑なプログラム、現代地球の科学と技術がなければ製造が不可能な代物であるが故に、異界の魔族にとっては強烈な呪い足り得た。


 もはや違う。電子と電機のアーティファクトは、単なるプラスチックと金属のガラクタと化し、理解の及ばぬ全ての機能を失った。

 そして魔族は今止めを刺した一体とは別に、もう一体この場に居たのだ。


 この場に生じていた二つの戦場が、二通りの決着を果たした。

 先行班、『カラテモンク』と『MoonMochi』は、もう一体の魔族に対し、優勢に戦闘を進めていたのだ。

 スマホが破壊されるまでは。


 目に見えぬ巨大な力場が、二つに両断されたスマホを更に粉微塵に破壊する。

 かつて俺に権藤を名乗った男の面影を残した、見覚えのあるもう一体の魔族が、傷だらけの身体を引き摺ってこちらへと殺意の籠った視線を向けている。


 満身創痍だ。死にかけといっていい。

 だがその身を縛り上げていた呪いから解き放たれたもう一体の魔族は、満身創痍であるというのに、いやそれ故に恐ろしい。


「こりゃちょっと、シャレになんねえな……」


 いつの間にか敵と後衛組の射線上へと移動していた老師がそう呟く。

 老師の焦燥感を孕んだ声には答えず、矢萩さんも無言で剣を構え直していた。

 戦場が再び緊張を帯びる。

 このままでは勝てないと誰もが理解している。


「そのスマホは、ぼくのだ……」


 相対する魔物の腹の底まで冷え切るような殺意に、同等以上の殺気で応える白熊一匹を除いて。


 *


 元来熊とは臆病な生き物だ。嗅覚や聴覚に優れ、用心深く、天敵がいないが故に少しでも危険があると判断すればその場を退くことも珍しくない。

 リスクを取るのは弱い生物の戦略だ。生態系のほとんどが自分に蹂躙される存在であるが故に、未知の相手に命を懸けて挑むことはない。

 己の執着する何かを横取りされた時以外は。


 そもそも彼は、常識に縛られていたのだ。

 我知らず、カメラを魔族でなく先輩に向けていた。

 生来の温厚な性質故に全力を振るうことなく生きて来た。人の身で人間の限界を超えた力を振るうことのできる迷宮で初めて、彼は人間の限界を超えた力を振るうことができた。そもそも生まれつき、当たり前に振るい得た人の限界を超えた力を。


 魔力を帯びた肉体は、超常にして理外の力を振るう。

 枷となるダンジョンの恒常性と自身の常識。呪いという試練を越えた時、迷宮は祝福を、限界を超えた力を冒険者に授ける。


 咆哮。

 向こうが化け物ならこちらも化け物だった。

 目にも止まらぬ速度で突撃する数百キロの巨体は、本能的な恐怖を思い出させるに充分余りある地響きを伴って、怒りのままに魔族へと襲いかかる。

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