#23 突入

「田中、ほんとに良かったのか?」


 ようやく目を覚ました先輩を後ろに引き連れて、老師は俺にそう訊ねた。


「ええ、もちろんです。そもそも、お二人だけじゃ外との連携も取れないでしょ?」


 支給品のトランシーバーをこれ見よがしに見せつけると、老師はやれやれと軽く頭を振って苦笑する。その後ろで、先輩は口を開くタイミングを探してなんだかそわそわしていた。


「ヤバくなったらすぐ逃げろよ?」

「状況がよくわかんないんだけど、ぼくのスマホ知らない?」


 *


 今回『さくら荘』が後詰として組むギルド『上地商会』は、『さくら荘』以上の少数精鋭型である。総勢三名と、ギルドの規模でいえば小規模もいいところであるが、代表の矢萩さん、狙撃手の氷川さん、魔法使いの上地さんの三人はそれぞれが名うての武闘派として知られているそうだ。

 これまでに何度か目にした目元に古傷のある男性が矢萩さんで、目元に泣き黒子のある女性が氷川さん、そして最も若い眼鏡をかけた男性が上地さんだ。


「ま、よろしく頼むよ」

「はい、よろしくお願いします」

「矢萩さんどこかでぼくのスマホ見なかった?」


 フレンドリーな態度で握手を求める矢萩さんの手に応じると、人懐っこい笑みを浮かべる。そのまま彼は面倒な話は抜きにしよう、と言わんばかりに新しい話題を切り出す。


「後詰とは言うが、要は予想外の面倒事は全部対処しろ、って意味の無茶振りだからね。ま、そんなに気張らずいこう」


 二人目以降の未知の魔族、スマホの呪いの不発、隠しエリアのギミック全て。作戦には失敗が付きまとう。であれば最初から想定外を想定しておくのは必然であり、そして後詰に求められるのはそういった想定外へ即座に対処できる即応力である。経験の浅い俺には最も難しい注文である。

 ちなみに『さくら荘』側の人員は俺と老師、先輩の三人。チャールズ氏は本部要員としてテントに残る。呪いのスマホの起爆や周辺状況の取得と連絡などが彼の仕事だ。ヤバい役回りから逃げたなこの人、という感はあるが、事実彼が担った工作活動は作戦全体を見ても貢献度で頭一つ抜けている。


「先行班が出発するようだね。僕らも続こう」


 矢萩さんの音頭で、ダンジョンへと足を踏み入れる俺たちに、もうひとつ背後から掛かる声があった。


「待ってください。わたしも行きます」

「蔵見さん?」


 そこに居るのは、見慣れたダンジョン探索用の装備に身を包んだ蔵見さんだった。言っても聞かないだろうな、という強い視線が俺たちを刺す。


「撮影係のバックアップを志願しました。盾にでも囮にでも使ってください」


 *


 先行班が魔物を処理した後を辿る道のりは不気味なほどに静かで、着いていくのもやっとのペースは先行班が警戒と掃討を隠密に果たした後であることが信じられないほどだ。

 巧妙に隠蔽されていたであろう隠しエリアの入り口は、今や獲物を求めて涎を垂らす怪物のあぎとに見える。


 ここから先は、完全に未知の世界だ。

 隣を行く蔵見の身体が少し震えているのに気が付いた。得物を握る手に力が入りすぎて蒼白になった指。

 無理もないだろう。彼女は魔族との戦闘を一度経験している。谷場さんたち、仲間たちが二度とは戻らなかった絶望的な戦いを。


「む、武者震いです……」


 けれど牙を剥いて笑うその表情は、ただの強がりとは言い切れない昂ぶりが確かにある。先行班は既に突入済み。作戦本部からの通信が、彼らがまだ接敵していないことを伝えてくる。

 震えているのはむしろ自分かもしれない。さっきから喉がひりついて仕方ない。

 覚悟はある。そのための準備は精一杯してきたつもりだ。


「こちら後詰班。これより突入します」


 トランシーバーに呟きながら腰から提げた短剣を撫でる。

 魔術や結界術において、起点と呼ばれる補助具は武器であることが多い。

 迷宮がその腹に外界とは理の異なる異界を抱くように、人もまたその身の内に自分の世界を抱えている。


 人体という境界がその内側に切り取った世界の断片。

 自らに内在する世界と現実との差分を、自己という特異点に向けて引き寄せる術たる魔法の、もっとも強く働く対象は自分自身の肉体である。

 その力は対象が自らから離れる程に弱まっていく。物理的な距離、心理的な的な距離、あるいは共有した時間に、対象に向ける理解や興味。


 魔法使いは自らに強く共鳴する縁を持つ品を経由させることでその魔術をより強く外界へと広めていく。

 自分の持つ自分だけの世界。自らの肉体から切り離すのが難しいものであるそれを、永く、そして幾度も使い込んだ品に託して魔法は紡がれていく。


 腰の短剣。いつぞや老師に連れて行ってもらったファンシーショップの片隅で手に取ったその剣は、買ったばかりでありながら驚くほどに手に馴染む。


 因果の前借り、と呼ばれる現象が存在する。

 初めて手に取るはずの物品が、まるで長年使い込んだ愛用の品のように、あるいはそれ以上に触媒として機能すること。

 それはダンジョンによる因果の混濁がもたらす未来の縁であると言われている。

 そして、それはその冒険者の運命を大きく変える瞬間に先立って起きるのだとも。


 人の手の入っていない洞窟が、進むにつれかすかに何かの気配を漂わせ始める。それは踏み締められた地面であり、押し退けられた岩くれであり、あるいは意識に上がりさえしない、近い過去にそこに誰かがいたという様々な証拠。

 戦いの時は近い。

 一行は口をつぐみ、足音さえ押し殺してゆっくりと進む。


 ここは既に先行班の進んだ道のはずではあるが、先に敵に出会うのがこちらではないという保証もない。

 視線の先にぼんやりとした光が見えた。

 先行班のはずはない。であれば、あれは敵の放つ光だ。

 

 本部が報せるスマートフォンの反応はすぐそこのはずだった。

 魔法は使っていない。そのかすかな魔力の残滓さえこちらの居場所を露呈させる致命的なミスになるかもしれない。

 限界まで音量を絞ったトランシーバーから本部の声が聞こえる。


『後詰班、停止してください。現在位置から十五メートル先で先行班が敵影を確認しました』


 通信内容を手振りで味方に伝える。緊張が伝播し皆が無意識に息を止めた。


『先行班、突入まで……3……2……1……』


 戦闘が始まる。

 それと同時に、こちらが仕掛けた呪いが弾けたはずだ。

 遠隔であらゆる制限を解除したスマートフォンが魔族の張っているであろう結界を突破に掛かる。


 得体の知れない物のもたらす呪いに結界術で対処する方法は、大まかに分けて二つ知られている、とチャールズ氏は語っていた。

 ひとつ、対象の移し替え。

 まずは別の所有者がいると誤認させる方法。とはいえこれは基本的には不可能だと思った方がいい、とも彼は付け加える。これは非常に限定的な状況下で一時的に移し替えが出来れば上等、という類のものであるらしい。

 ひとつ、触媒の同質性を用いた軽減。

 如何に高度な機能を持つ得体の知れない物体であっても、その構成する物質まで分からないということは少ない。それ故に、その物体を構成する素材と同じ素材を触媒としてその周囲に幾何学的に配置することで、その高次的な役割や権能を無視して、理解の及ぶその存在の基礎部分を捉える手法。


 その両者に共通する弱点として、単純な力技が挙げられる。

 常軌を逸した爆音で、呪いのスマホに着信が掛かる。操作の必要もなく勝手に繋がった回線が、陰謀を巡らせる作戦本部に繋がる。


『ハロー!? 魔族ノ皆サン?! 元気シテル?!!』


 音、振動、光、可能な限りすべての手段で周辺に配置された同質性の檻から逃れながら、この一言は、所有者が『魔族ノ皆サン』であることを、スマホ側から主張したことを意味する。


 同時に、それは戦いの始まりを告げる鐘の音でもあった。

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