#22 決戦前
「こうなったら、最終手段ですね……」
先輩に強制的にスマホを紛失させる方法、それはつまりダンジョン初日に俺がやらかしたことの再現である。
不用意に電源をONにすることで先輩を呪いで卒倒させ、我々には触れられないスマホを仕方なくその場に放置して先輩だけを連れ帰る――、
いや待ってこの人体重何百キロあんの……?
小山の如きその体躯を前にして、これを引き摺って表まで持ち帰る想像だけで眩暈がしてくる。比較対象は恐らくグランドピアノか何かであり、帰り道は凸凹どころか無数の傾斜が待ち構えている。
(まさかアレをやるってか……!?)
(他に手はないですよ!! 人命には代えられません!!)
かといって他にスマホを放棄させる方法もないとなればもうこれしか手段はない。俺と老師は覚悟を決めアイコンタクトを交わす。老師はおもむろに立ち上がり、先輩の方へと歩み寄りながら話しかける。
「なあそれ、『電源ON』って言ったら電源ONになんの?」
「わはは、流石に電源入ってないときは音声操作できるわけないじゃん! 老師も案外機械音痴だよね! もうぼくの方が詳しいんじゃないの?」
違うのである。彼が電源が入っていないと認識しているその状態は、正式には単なる休止状態に過ぎず、全ての機能が停止しているわけではない。そしてこのスマホに関しては、こんなこともあろうかと特定のワードに反応して動作を再開するよう予め設定されているのである。
設定されたそのワードは、先輩が間違っても口にしないよう、普段の先輩であれば絶対に口にしないであろう文言である。
「ふーん、『全然使えねーなこのスマホ』」
老師が口にしたその呟きに反応して、スマホが先輩の手の中で起動する。
そして恐るべきダンジョンの呪いが、自分はスマホを理解し始めていると思っていながらその実、片っ端から誤った知識を放り込まれまくった機械音痴に襲い掛かる。
先輩が吐いた。
穴という穴から何かよく分からない汁を滴らせて、先輩はその場で気絶してぐらりと傾いで倒れ伏す。
「ちょ、これ大丈夫か?!!」
「いや全然大丈夫じゃないでしょこれ気道確保死んじゃうゲロで喉詰まって窒息死しちゃうヤバいヤバいヤバいですって!!」
もはや演技もへったくれもない状況に俺たちは互いに顔を見合わせると、急いで先輩の蘇生に取り掛かる。
先輩がようやく息をし始めた頃には、スマホも作戦のことも頭から消し飛んでいた。
*
「はー……しんどかった……」
ピクリとも動かない先輩を引き摺って、どうにかダンジョンの外まで連れ出した老師が大きく息を吐いてどかりと腰を下ろす。
もちろんこっちも疲労困憊も良い所である。
「ソフィアさん! 田中さん!」
こちらに駆け寄って声を懸けてきたのは、この作戦に連絡員として走り回っている蔵見だった。
「大事ありませんか?」
「ええ、俺たちは。先輩も呪いで卒倒してるだけなんでその内目を覚ますと思うんですが……」
ちらりと先輩を一瞥した蔵見は自分の吐瀉物と泥に塗れたその悲惨な有様に顔をしかめて呟く。
「……敵を欺くためとはいえ、ここまで身体を張るとは……下田さんの覚悟、お見それしました……」
いや、この人は騙されてる側です、我々が敵を欺くために他人にここまで身体を張らせているだけなんです、とはまさか言えない。
「あとは……置いてきたスマホがどうなっているかですね」
「その件ですが、既にスマホに動きがあったのをこちらで観測しました。予定外のエリアに移動したのでもしや、と思ったのですが」
だとすれば、敵が撒き餌にかかったのは間違いなさそうだ。後は侵入経路を特定できるかだが、とにもかくにもそれを知るには待つしかない。
「すぐブリーフィングを開始するそうです。さくら荘の皆さんもこちらへ」
蔵見に促され、俺たちはダンジョンの入り口脇に設置されたテントへと移動する。通信装置が据え付けられたそこには、既に数組の冒険者たちが集まっていた。
先輩を適当な場所に寝かせ、俺と老師は端に用意された椅子へと腰を下ろす。
「皆さん集まりましたね」
しばらくして仮設テントの作戦本部で篠宮さんがぐるりと皆を見渡して口を開く。
「まず、今回の作戦の目的です。これは既に周知の通りですが、目的はダンジョンに侵入したと思われるイレギュラーの魔族を発見し排除、およびその侵入経路を特定し増援を防ぐことです。現在、既に敵はこちらの罠にはまっていると考えられます。敵に拾得させたスマートフォンの現在位置と操作状況がこちらです」
モニタに表示されるダンジョン一層の地図と、そこに表示されている青い点。だがそれは、地図上において何も描かれていない点に表示されている。
前回の調査隊にも参加していた目元に古傷のある男が手を挙げる。
「この情報は、正しい情報と見ていいのかな?」
「ええ。恐らくは我々の把握していない隠しエリアと思われます」
魔族の拠点が何処にあるか、というのは作戦を進めるうえで大きな不確定要素として議論の的ではあったが、これでひとつはっきりした。
かなり前向きな情報だ。敵の拠点と侵入経路が深い階層にあれば、電波が届かず見失う危険があった。ダンジョン内部での中継基地の設置は命懸けな上、察知されてしまえば作戦が瓦解しかねないこちらの泣き所だったが、敵の拠点が一層であるということは、その中継基地は必要ない。
「敵は当然スマートフォンの解析を試みるでしょうが、一朝一夕に理解しうるものではありません。とはいえ猶予はありますが、向こうの世界に持ち帰られるなどする可能性もあります。可及的速やかな急襲と制圧を提案します」
篠宮さんの言に、その場に集った冒険者たちから異論の声は上がらない。静寂の内に籠る熱気が、彼らに満ちる闘志を雄弁に物語っている。
*
敵拠点への突入は二部隊に分けた少数精鋭で行う。
ギルド『カラテモンク』と『MoonMochi』が突入部隊。
そして、我々『さくら荘』と『上地商会』が後詰めを務める形だ。
「これは私からの個人的な依頼なのですが、田中さんには今作戦の撮影係をお願いしたいと考えています」
ブリーフィングを終えた篠宮さんが、改まって俺にそう告げる。
「撮影係、ですか?」
「はい。この山榛ダンジョンと同様に、各地のダンジョンにも同様に侵略のための先兵が派遣されていると予想されます。その対応の呼びかけと、対策のための情報共有。今後予想される魔族との全面戦争に備えて、我々は一致団結してこれに当たらねばなりません」
「そのために、映像資料が必要だと?」
「はい。命懸けの危険な仕事になることは間違いありません。用意できる報酬もほとんどないものと思ってください」
篠宮さんの話には、このところ力不足を痛感し続けていた俺をさえ駆り立てようとする切実さと誠実さがあった。
深く下げられた頭は、俺たちとは縁もゆかりもないどこか遠くのダンジョンで、『鋒山』の人々のような、あるいはそれ以上に犠牲となる人々を守ろうとする意志の表れだ。
目の前に迫る危機に対して未だになお重い腰を上げようとしないダンジョン管理課の上層部と、その中で必死に駆け回っている篠宮さん。
そして、それにこたえて立ち上がった冒険者たち。
いつぞや、自分は正義の味方になるために冒険者を目指しているのではないと、自分を戒めもした。あくまでも俺が命を懸けるのは、金を稼ぐためであって、ヒーローになるためではない、と。
それでもやはり、自分がダンジョンに潜るという行為を選んだ理由に、名誉やロマンを求める気持ちが一片もなかったなどと言えるだろうか。
生きるだけであれば危険を冒す必要などない平和な時代に生まれて、命懸けで未知のフロンティアに挑むことの意味を、ただ稼ぎの良さという言葉で言い表せるだろうか。
俺は、何のために迷宮に潜ろうと思っただろうか。
「分かりました。任せてください」
わかるのは、それがきっと、俺が自分に恥じない道を選んだ先にあるだろうということ。
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