第4話 2003年4月14日

《2003年4月14日月曜》


 大学で四時限目の講義を終えたかけるは、ここ的場まとばキャンパスの構内を横切るようにして正門に向かっていた。


 正門の真正面に建つ一号校舎から正門にかけて、まるで学園祭の時期のように大勢の人で賑わっている。その全てが学生だが、中には帝央大学の本条ほんじょうキャンパスから来ている者や、他大学の学生もいる。

 出店こそないが、広い通路の脇には立て看板が並べられ、その手前側にはプラカードやチラシを持った人がたむろしている。一部ではユニフォームのような服装をした者も見受けられる。


 この大賑わいの理由を翔はよく知っている。


「テニスサークル『パプリカ』、本日新歓コンパやりま〜す‼」

「ラクロス部では体験入部を受け付けてるぞ!」

「野球部だ! 六大学リーグ悲願の一勝は君の手に懸かっている‼」

「登山愛好会、みどりの日に高尾山行くよー」


 正門を出て駅の方へ向かおうとする学生達に、左右に陣取った学生達が騒々しく声を掛ける。

 つい、足を止めてしまった学生の周囲をいずれかの団体の者らが取り囲み、どこかへと連れ去って行く。


 ――そう。四月のこの時期は毎年、各種のクラブやサークルが主に新入生を狙って勧誘活動を活発に行うのだ。


 現時点ではどこの団体にも興味のない翔は、足早にその場を通り抜けるはずだったが、ふと足を緩めてしまう。

 翔の視線の先には、プラカードを持った一人の女学生の姿があった。


『帝央大学舞踏研究会』


 シンプルな白いプラカードには、それだけが記されていた。


(そっか。今日は月曜だから――)


 そのまま何気なく歩いていた翔は、不意に誰かからがっしりと肩を組まれた。


「!」

「――君、新入生?」


 横目でそれが誰かを確認した翔は、驚きに目を見張った。


(菅原先輩!? ――なんで、今ここに!?)


 垂れ目がちだが渋い細面の彼の名は、菅原恒輝こうき

 翔が時間遡行そこうを経験する前の人生では、今から約一年後――二〇〇四年の四月が彼とのファーストコンタクトだった。


「そ、そうですけど……」


 翔がなんとかそれだけ答えると、菅原は「いいね」とつぶやく。


「『社交ダンス』って知ってる? 俺らそのサークルやってるんだけどさ」


(あ、ヤバい)


 完全に勧誘の対象としてロックオンされてしまった、と翔は今更になって気づいた。


 菅原がプラカードに記されていた『帝央大学舞踏研究会』の会員だということを、翔は知っている。

 翔の迂闊うかつな行動が、菅原の勧誘を誘う呼び水となってしまったのだ。


「知ってますけど、今はちょっと……」

「知ってるんだ! 珍しいね。なんで知ってるの?」

「いや、それは別に……」


 翔は内心で舌打ちした。

 やんわりと勧誘を断ろうとしたのだが、言葉尻を取られてしまった。


(相変わらずトーク力高いな、この人……)


 そんな風に翔が菅原と正門付近で押し問答をしていると、そこに舞踏研究会の別のメンバーが現れる。


「おぉ、菅原。もう一人捕まえたのか。よし、君! 今すぐ文化センターに行こうか!」


 そう言って、大柄な男性が朗らかな声を上げ、翔の肩を掴んできた。

 文化センターというのは、当時の舞踏研究会が練習場として使っていた、ここ的場キャンパス内の施設の一つだ。


 その人物もまた、翔にとっては懐かしい顔だった。


(今度はトムさんか。まずいな……)


 色白で糸目の彼の名は御前田おまえだとおるというのだが、名前のイニシャルから常に「トム」というあだ名で呼ばれていた。


 翔はあまりの状況の悪さで、額に脂汗がにじんできたように感じた。

 翔の記憶が正しければ、文化センターでは「パーティーステップ講習会」なる社交ダンスの体験会が開かれているはずだ。


「ちょ、ちょっと待って!」


 翔は強引に肩を振りほどき、菅原と御前田から距離を取った。


「何? なんか予定とかあるの?」

「これからバイトなんですよ!」


 菅原の問いに翔がわめくように答えると、二人は一様に「あ〜」と残念そうな声を上げる。

 しかし、それであっさりと引き下がりはしないのが、菅原という人物である。


「バイトかあ……何時から?」

「六時からですけど……」


 と、素直に答えてしまってから、翔は判断を誤ったことに気づく。

 菅原は、腕時計をかざして時間を確認する。


「――お、まだ一時間半もあるじゃん。行ける行ける」

「い、いや……移動とか準備とかもありますから!」

「あーね。……でも、実は三十分ぐらいなら行けるでしょ?」

「……」


 菅原の問いに対して、翔はつい時間を計算してしまう。


(三十分……行けなくはないけど、そう答えたら「詰み」だ)


 そんな翔の思考を読んだかのように、菅原が翔の背中のリュックに手を添える。


「よし! じゃあ、行こうか!」

「いやいやいや! やっぱり無理です! 今日、初日だし」


 翔は駅側の方にまた一歩踏み出しながら、手をパタパタと左右に振った。気づけば、正門を越えてキャンパスの外に飛び出していた。

 すると、さすがの菅原もこれ以上引き留めるのは難しいと思ったのか、片手で頭をポリポリとく。


「初日か〜。それなら仕方ないか。じゃあ、来週は来てよ!」

「……気が向いたら、ということで」


 翔は言質げんちを取られないようにそれだけ答えた。

 すると、御前田――トムも口を添える。


「金曜もやってるよ。絶対楽しいから、一回はおいでよ」


 ――知ってます。


 翔は危うく、そう答えてしまうところだった。


「……金曜は、まだ予定がわかりません。それじゃ」


 無難な言葉を選んでは返し、翔はようやく二人に背を向けて駅へと歩を速める。



「あいつ、ちゃんと次は来るかな?」

「いやー、あれは脈ないだろ。次、行こうぜ」


 翔が立ち去った後、御前田と菅原はそんなやりとりをしていた。



(そうか……。菅原さんもトムさんも、いま二年生なんだ)


 的場キャンパス前駅のホームで電車を待ちながら、翔は頭の中で時系列を整理していた。

 時間遡行前の学生時代よりも一年早く彼らと出会ったので、彼らが一年若いのは必然だ。


 かつての翔も所属していた社交ダンスサークルの舞踏研究会では、的場キャンパスでメインの練習会を行うこともあって、的場に通う二年生が中心となって新歓活動を行うのが通例となっている。

 翔自身もサークルで二年目のときは勧誘側となって正門周辺で活動をしたものだ。


 ――今回の人生でも、舞踏研究会に入るかどうか。


 そのことについて、翔は一度は考えたものの、まだ方針を決めかねていた。

 入会するとしたら、更に別の選択肢が生じる。――時間遡行前と同様に大学の二年目で入会するか、それとも今年――つまり、二〇〇三年の今の時期に入会してしまうか、という選択肢だ。


 かつてのサークルでの苦い経験を思い出し、翔は表情を歪める。

 そんな翔の胸中を無視するように、電車がホームに滑り込んで来る。


 翔は思考を棚上げにして、多くの学生らに混ざって車両に乗り込んだ。



    †



 その日の夜、ハウディ社でのアルバイト初日の業務を終えて、翔が羽根木寮の自室に帰宅したのは二二時過ぎだった。


 シャワーを浴び終えた翔は、下着を身に着けた後、姿見に映った自分の姿に気づく。

 受験勉強を終えたばかりで、運動らしい運動をしていないこのときの翔は、細く生白い――有り体に言って、貧相な体つきをしている。


 夕刻の菅原達とのやりとりを思い出した翔は、ふと社交ダンスの動きを試したくなる。


(どのくらい動けるものなんだろう)


 そこには純粋な興味があった。


 時間遡行前の学生時代、舞踏研究会でラテンアメリカンの種目を専攻した翔は、サークルを辞めるまでの約三年間で相当な時間を費やして社交ダンスに打ち込んでいた。

 ブランクの期間は十数年に及ぶが、基礎ステップの動きは未だ脳に染み付いているようにも感じられた。

 ――ただし、これからその動きを再現するのは、社交ダンス未経験の人間の体だ。


 翔は足を肩幅に開いて姿見の前に立ち、軽く左右に体重移動をして、腰をひねる。


「うわ。めっちゃ違和感」


 翔は思わず声を上げた。


 脳が覚えている体の動きに対して、現実の肉体の動きがあまりにぎこちなく、翔は思うように動くことができない。

 例えるならそれは、長年放置して錆びついた自転車のチェーンを無理やり回すような感覚だ。


 翔はその後しばらく、鏡に向かってラテンダンスの基本動作を試していた。


「……くしゅんっ」


 下着姿のままだった翔は、すっかり湯冷めしていた。



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// 【落ち穂拾い】


・この日、翔のバイトは二〇時までだったが、ハウディ社員の椎葉に誘われて軽く食事を奢ってもらうことになった。お金を節約したい翔にとって、断る理由はない。

・椎葉はこの日残業をしていて、翔への食事代はポケットマネー。それだけ翔に対する期待が高いということの表れ。


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// 【改稿履歴】

(2024-08-12)「青年館」→「文化センター」に変更

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