伊坂の話【最終話】
来てくれたんだ。
目の前の2列目に座る圭子さん。結構近くて、少し恥ずかしい。自然と口元が緩んでしまう。昔から、笑みを堪えるのは苦手。
この曲が終わったら、次の次の人まで待機だから、声をかけに行こう。
たぶんあの人のことだから怒らない。怒っていても顔には出さない。ヒステリックに怒る香織とは違う。香織も昔はそうだったのに。
何を考えてるのか分からないけど、いつもその笑顔に救われる。何を言っても不機嫌にならない相手の前では、つい口数が多くなりボロが出てしまう。
練習してなくて適当にレッスンしても、譜面を忘れても、遅刻しても、けして怒らなかったのに、あの時ばかりは違った。
「縁切りたい感じですか?」
怒るという段階をすっ飛ばして結果を突きつける。そういう人だったっけ?と驚いた。
2、3歩どころか、数十メートル先に進んだところで起こってる問題を、後ろにいる自分が判断なんかできない。
なんでそうなる。ちょっと待って。と呼びかけたところで、声も届かない。そんな感じ。
あの既読スルーしてしまったLINEを思い出すと、ヒュッと心臓が縮こまる。
曲が終わった。入れ替えだ。
ギターを置く。
譜面を持とうとしたら、手が震えてた。
唇が乾く。緊張してるのか、俺。
正直言って、「縁を切る」の意味が分からなかった。付き合ってるわけでもないのに。
レッスンにはもう行かないってことなのか?それなら辞めますで良いのに、縁を切るとは。
しかもこうしてライブにも来てくれているのだから。
大丈夫だ。きっと。
譜面を持ってステージの階段を降りる。
圭子さんは、カバンの中を漁ってた。
ここで声をかけないと、たぶんこの先ずっと無理だと思う。
近づいても、圭子さんは気付かない。
肩に手を触れてはいけない気がした。香織や店に来てる姫達にはなんの躊躇もしないのに。
この人には壁がある。飲みに行った時も、全く顔色を変えずに楽しそうに、でもどこか淡々としてた。
酔ったか酔ったふりをして、体をくっつけてベタベタ触ってくる女に慣れすぎていたせいで、
色気のない会話のネタに困った。
だからつい言ってしまった。ホストやってるって。
持ってる譜面で軽く肩を叩いた。叩いた後で、譜面で叩くのはちょっと失礼だったかもしれないと思った。
圭子さんが顔を上げた。
「お久しぶりです!この前は、すみません!」
笑顔で、いつものノリで言った。
上手く言えたと思う。その証拠に、圭子さんはニコニコ笑ってた。
何か、言ったかな?聞こえなかっただけかな。
とりあえず、大丈夫。よかった。怒ってない。
お辞儀して、楽屋へ行く。
スマホを開いて姫達からのLINEを確認する。
その中に香織はいなかった。
香織に切られた先月の稼ぎは最悪だった。途端にランキング外。掃除組。
ホストなんてそんなもの。売れないホストの稼ぎはサラリーマン以下。
それなのに、ホストというだけで稼いでる、モテる。というイメージがつく。
何年も彼女がいないのは事実なのに、「そういう設定でしょ」と思われて相手にされない。
好きになった女の子に「ホストをやってる」って言ったらフラれるし、フラれなくて、受け入れてくれるような女の子は浮気する。
周りの音楽仲間はどんどん結婚して家庭を築いてく中、俺だけ取り残されてるようだ。
「今日休みー?何してんの??」
「友達とライブ行ってるでー」
嘘ではない。出る方だけど。
20代前半はそのままでも稼げた。男を支えるのが好きな女の子達は若いホストを応援するし、
会話が下手でも若さ故に許されて、可愛がってもらえた。
20代後半くらいからは、徐々に女の子達の質が変わって、甘えてくる女の子が増えた。
求められるものの変化で、顔だけでは許されなくなった。
このままではいられないと思った。
「今月、金ない。店行けない。体調悪いし。はぁ」
「無理せんでええよ」
本当に。無理しなくて良いのに。
それなりに努力してきた。女の子への接し方、言葉遣い、楽しませる会話、距離を縮める話し方、
売れてる先輩をマネしながら努力した。
もうホスト歴は11年目。
ギターを続けるために始めたホストだったけど、気付いたらホストという仕事を好きになってた。
あまりイメージがよくない仕事だってわかってるけど、
酒が好きで、女の子が好きで、セックスが好きで。
キャスト同士の仲も良い。
酒飲んで喋って楽しい時間を過ごしてお金が得られる仕事。嫌いになんてなるはずないだろ。
「次の曲でラストです!」
ステージから声が聞こえてきた。
これが終わったら、次のアーティストさんのサポートだから戻らないと。
急いで残りの姫達に返信する。この積み重ねが大事。数時間空いただけで不機嫌になってしまう姫達。
香織がいなくなった今、バースデーイベントのためにも、1人も逃したくない。お店に来てもらって、お金を使ってもらわないと格好がつかない。
年に一回。この日で200万はいきたい。
曲が終わった。入れ替えだ。
真っ直ぐ前を向いて座っている圭子さんの横を通ってステージに上がる。
次はアコースティック。
ハミングバードを手に取って構える。
椅子に座ったせいで、圭子さんと目線が近くなった。それでも、けして視線は交わらない。
ずっと、ギターを見てる。俺の手元を見てる。
ホストの時も、ギタリストの時も、みんな俺の顔ばかり見てる。
初対面であっても「初めまして」の次の言葉は「イケメンですね」
うんざりだ。
金目当てで近寄ってくる女の方がまだマシだ。
顔目当ての女は、自分がそのイケメンに愛されたいから近寄ってくるだけ。自分と釣り合うかとか、俺の気持ちとか、なんも考えてない。
「イケメンに愛される私」でいたいがために利用される。
この人の視線はいつも顔以外にある。
飲みに行った時も、カウンターを指定され、置かれたグラスやメニューばかり見てた。それだけならまだしも、目の前で動くバーテンダーの手元を見てた。
だから悔しくなる。
注目してほしい。好いてほしい。
譜面を譜面台に置いた。
これでたぶん、手元は見えない。
絶対に視線が合わないことは分かっているけど、早まる鼓動を感じながらチラッと圭子さんの方を見た。
圭子さんは、フロアの右側にある物販を見ながら、目元を細めて笑ってた。
だから!どこ見てんだよ!
脳内で思わずツッコミ入れたらおかしくなって、ニヤけた口元が直らなくなった。
チューニングしながらフロア全体を見渡す。
この空気が好きなんだ。
アーティストさんのために演奏して、合わさったその演奏を聴いてくれる人がいる。
1人だけでは達成しない。
ギターは個人プレイだけど、ライブは協力しないと成り立たない。
それぞれがそれぞれの役割を持って演じ切る。
ギター、ベース、ドラム、歌、そしてお客さん。
1ヶ所に集まって、儚く終わるその時間。
ホストにはない、やり切った感がある。
ホストは好きだけど生活のため。
ギターの仕事は、将来のためにも、ずっと続けたい。
今はそれだけでは食っていけないけど、ホストだって、いつまでも続けられはしない。
不安は常にある。だからこそ、やれるとこまでやりたいんだ。
演奏が終わった。
今までで1番笑って弾けた気がする。
客席を見ると、圭子さんがカバンを持って席を立っていた。
あぁ、そうだった。この人は、1番良かったタイミングで帰る。
好きなアーティストとの接し方は様々ある中で、接触を求めないタイプ。
だらだらと居座らない。
「縁切りたい感じですか?」
縁は、、切れたのか。
切れたとしても、俺がギターを続ける限り、きっとまた会う。
だから、続ける。
「お店に行ってみたい」と言われた時、咄嗟に「来ないでください」と言ってしまった。
ホストとしては、1人でも多くの女の子を店に呼びこまないといけないのに。
ただ、恥ずかしいと思ってしまった。
圭子さんの前でホストを演じられる自信がなかった。見られるのが、嫌だった。
本当は、仕事として演じなければいけなかったと思う。けど、どうしても。
ギタリストとして見られてるだろうか。ホストやってるって言った時、どう思われただろうか。想像するのが怖い。
言わなければよかった。なんで言ってしまったんだろう。
ホストやってますか?って聞かれて、やってないって言えばよかった。どうせ黙ってればバレなかったのに。
嘘がつけなかった。
ドアを開けて外に消える背中を見送った。
ふと、この後のライブがあと何時間続くのか考えた。
目の前2列目の空席に、早く人が座ってほしいと思うのに、その席はずっと空いていた。
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