生徒の話⑤

ライブハウスに着いた。重い扉の前。歌が漏れ聞こえてきたタイミングで深呼吸して、中に入った。


大きな音楽が鳴り響く。

向かって中央で歌う女性アーティストの右側に、伊坂はいた。

客席側ではなく、右端のドラム側に置かれた譜面台を見ながら弾く伊坂は、いつも通りの横顔で、長すぎる前髪に表情を隠してる。


視界の片隅に伊坂を捉えながら、座席をサッと見渡す。

1列目に1席、2列目に3席ほど空いていて、それ以降後ろの席は埋まりがちだった。

小箱のライブハウスでよくある、最前中央が空いている状態。


ライブに慣れてない頃は、後から来たのに先にいる人の前に座ることに抵抗があり、後ろで立ち見をしてたけど、今はもう抵抗ない。


3列目に座ってる人の前に堂々と座る。伊坂の目の前、1列目の人の後ろ、2列目。

直線距離で3メートルってところか。

どう考えても気付くだろう。いやもう気付いてる?

髪の毛の隙間から見える表情を凝視する。

演奏中の伊坂は譜面しか見てないので無防備だ。安心して見ていられる。

伊坂の顔が若干強張ったような気がした。



ギタリストはみんな変顔する。

歯茎を出して、顔の中央に皺を集めて目を細めたあの顔。通称ギタリスト変顔。

堂々としてて、吹っ切れてて、演じてる。


伊坂は綺麗な顔を崩さず、綺麗な顔のまま弾く。ギタリスト変顔など見たことない。

真剣に譜面を見ながら弾く。

あまりにも真剣すぎて、口が少し開く。本人は気づいてないのか、口呼吸してて、時折そのせいで乾く唇を噛み締める。

その顔がどことなく苦しそうで、切なくて、色っぽい。

キャラに合ってる。


ギタリスト変顔はギタリスト変顔が似合うキャラの人やるからカッコよくて見えるのであって、キャラ違いの人がやったらただのブサイクで終わるのだ。

カッコつけてるつもりなのか、似合わないのに無理してやってる人を見るたびに思う。


顔面に色気を蓄えた伊坂を見ていると、途端にノースリーブでいることが恥ずかしくなった。

カーディガンを羽織る。


伊坂の左右にいるドラムもベースも、口を閉じて、少しの笑みを浮かべながら穏やかに演奏している。

中央の女性アーティストは、肩の出た白いワンピースを着ていて、右斜め後ろで全身真っ黒の服を着ている伊坂と、良い感じのコントラストになってて美しい。


再び伊坂に視線を送る。伊坂は譜面を見てる。

この一方通行の感じがたまらない。

何も求めない。見てるだけで幸せだ。


バレンタインに好きな男の子の机の中に名無しのチョコレートを忍ばせるみたいな。

気持ち悪いよね。ごめんね。

何もいらないし、気付かれたくもない。その場に存在してくれているだけで良い。勝手に見て、勝手に楽しむ。


あそこにいる伊坂はピッタリハマってる。

単体で見ても、集として見てもハマる。

主張の強いホストの横で、みっともなく引き立て役になってる伊坂とは違う。


ギタリストの伊坂がカッコ良ければカッコ良いほど、写真でしか見たことのないホストの伊坂イメージは下落する。


いやほんと、なんでホストやってんの。だっさ。気持ち悪い。穢らわしい。お前誰だよマジで。伊坂を汚すなよ。

私のギターの先生を汚すな。


心の中で毒吐いて、脳内のホスト伊坂を殺しておく。

ライブ中はギタリスト伊坂だけ見ていたい。あいつは邪魔だ。頭の中から出ていけ。死んでくれ。


大切だと思う人や物を傷つけられることは、自分を傷つけられることより許せない。

同じ伊坂であっても、私が大切にしてる伊坂を傷つけることは許さない。憎い、殺してやると思ってしまう。


曲が終わり、MCに入った。

伊坂と目を合わせないようにずっと女性アーティストを見ながら、チラッ、チラッと伊坂を見るけど、

伊坂も譜面を見たり、下を向いたり、女性アーティストを見たり、そわそわしてるなと思うのは傲慢だろうか。


気づいてる?気づいてますかー?!と心で叫んで、手を振っている自分を想像する。本当はその場で実際に手を振りたいけど、恥ずかしいからしない。

おかしくなって笑えてくる。

2人して、気付かないふりゲームをやってるみたいな気持ちになる。ちょっと嬉しい。

元気そうでよかった。


黒いギターストラップの肩のところにある金のロゴが光って、ネックレスをしていない鎖骨周りを華やかに見せて強調する。

何年前だっけ?3年前か。

ちょうどコロナでライブが全然なくなった頃。

3年も経てば、革製品は体に馴染むだろう。

あの時は立ってエレキを弾く機会なんてなかったから、あのギターストラップをライブで見るのは今日が初めて。


そんなことを考えると、やっぱりギターやっててよかったと思うし、今日も来てよかったと思う。


女性アーティストさんの出番が終わった。

入れ替えの時間を伊坂の前で待つほどの度胸はまだないので席を立つ。

頭の後ろに伊坂の視線を感じながら、後方にあるドリンクカウンターへ向かう。


次は、チケットを買ったアーティストさんの出番。

ビールを受け取って振り返ると、ステージにいた伊坂が消えていた。

代わりに、男性が1人。次に歌うアーティストさんだ。


前回見た配信ライブで、伊坂のサポートで歌った人の中で一番良かった人。

だから、この人のチケットを買ったのに。

今回は、サポートはつけないのかな。

ちょっとガッカリしながら席に座る。


アーティストさんはお金を払ってサポートを雇う。

どのギタリストを雇うかは、技術だけじゃなくて、ノリの良さとか、雰囲気とか、ルックスとか、人としての常識とか、誰かの紹介とか、

まぁ、色んなことを考えながら誰にするか決めるのだろう。


伊坂を使ってください。


心の中で願う。

何様だろう。


でも、伊坂を使って欲しい。

伊坂を使うアーティストさんを、私は全力で応援したいと思う。

人の繋がりを大切にしたい。


オケが流れて、男性アーティストさんの歌が始まった。アップテンポで、ノリの良い曲。

ステージに置かれたままの伊坂の2本のギターが視界に入る。

鳥のアコギと、エメラルドグリーンのエレキ。

5年習ったけど、この2本しか見たことがない。コレクションのように何本もギターを持ってるギタリストもいるけど、伊坂は必要のないものは持たない。

物を大切に使う。きっと愛着があるのだろう。

キャラになるなと、改めて思う。


1曲目が終わり、2曲目が終わり、MCに入った。


そういえば前回この男性アーティストさんは、「家の更新があって次回バンド雇えるか分からない」って言ってた。

サポートという仕事は、アーティストがいなければ成り立たない。

1回いくらなのか。1曲いくらなのか。

次回は伊坂を使って欲しいなと願う。

成功する人は、より多くの人を巻き込んで、支えていける覚悟のある人だから。


ふと、私の横を黒い影が通った。

突然だった。


匂いと足音で分かる。背筋が伸びる。

MCは続いてる。


前を歩く細くて黒い背中に視線を送る。


伊坂が、ステージに上がっていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る