生徒の話④
韓国の男性シンガーだった。初めて見た伊坂のライブ。
ドキドキした。変装してバレないようにしてたから、伊坂はあの日私が見ていたことを知らなかった。
初めて飲みに行った日にそのことを告白したら、驚いていた。だから、「ストーカーみたいなことしてすみません」と軽く謝っておいた。
どう受け取られたかは知らないし、知りたくもない。
私としては、生徒が習っている講師のライブを見たいと思うのは、ごく当たり前のことだと思う。
ライブどころか、生い立ちや家族構成、どういう学校に進み、誰に習って今に至るのか。
そして今現在何をしてて、将来はどう考えているのか。
その全てを、知れるだけ知りたいと思う。
許されるのならば、「今のその行動は何を思ってしたのですか」と、その対象が動くたびに逐一聞いて確認したい。
思考、思惑、考え方のパターンを知りたい。
それを知れれば、コピーできるから。
伊坂を知れれば伊坂になれる。
ギターを練習中によく考える。弾けないところがあっても、「伊坂だったらたぶんこう考える」と思えればやる気が湧くし、伊坂になったつもりで弾いてる自分に、思う存分酔うことができる。
そんな中毒じみた考え方をする人間を、私は私の他に知らない。
それが結果的に、小説を書くことに非常に役に立っていることは、知っている。
一歩間違えればストーカーや変態になることも知ってる。
だから殻に籠る小説家が多いんだ。
自分のことをヤバい奴だって、自分が一番知ってる。
伊坂が何を考えてるのか、全部知りたい。何もかも全部。
初めてライブを見た後日のレッスンで聞いてみた。
「サポートって、つまらなくないですか?自分の好きな曲弾けないじゃないですか」
素朴な疑問をそのまま口にした。
サポートしてる伊坂はとても素敵だけど、本人はどう思ってるのか。
「いや、そんなことないですよ。世の中に出回ってない曲が弾けるので。」
伊坂はちょっと苦笑いしながら言った。
意外だった。
レッスン始めて間もない頃は、サポートがどんな仕事なのかもよく分かっておらず、ギターはバンドで弾くものだと思っていた。
こんなにカッコいい伊坂が、どうしてサポートなんかやってるんだろう。そう思って、あの時、今思えばかなり失礼なことを聞いた。
あの頃の伊坂は今も健在だろうか。
有名な曲、好きなバンドの曲、自分で作った曲。
とにかく、自分が弾きたい曲を弾くのが一番!と、どこかのギタリストYouTuberが言っていた。
与えられた曲、世の中に出回ってない曲を弾くのが楽しいという、変わった価値観を持つギタリストがいることを、その人に教えてあげたい。
ええなと思った。
主役だけで映画は作れないのと同じで、優秀な脇役がいるから主役が映えるのだ。
伊坂がステージにいるだけで、どんなアーティストもそれっぽくなる。
だらだらしない感じ。引き締まる感じ。
身内感が消え去る感じ。
ちょっとカラオケ上手いレベルの人が、きちんとアーティストとなる。それでいて、伊坂自身は目立ちすぎない。
黙々と、譜面を追う。最高のサポートギタリスト。
カレンダーを見て、伊坂のサポートライブがもうすぐあることに気付く。
ピンクのペンで「伊坂のライブ」と書かれて、雲で囲まれてる可愛い文字。
旦那が見たらちょっと嫉妬するかもしれないと思いながらも、嬉しさと楽しみを抑え切れなくて書いた文字。
自分で書いた文字なのに、見るたびに口角があがる。
仕事は休みを取ったけど、配信で見ればいいと思ってた。
たくさんのアーティストが出るライブで、伊坂にとっては、たくさんの、世の中に出回ってない曲が弾ける機会。
「あんた結局行くの?行かないの?どうせ行くんだろライブ」
ニヤける私に向かって旦那が言った。
「いや、迷ってるけど、配信あるし、、」
「ホストに貢ぐ女だな」
旦那がからかってくる。
「そうじゃないよ!私がなんで迷ってるかっていうと、文句言ってきたらヤダなって思ってるの!会いたくないじゃん!小説書いちゃったし!怖いじゃん!」
「言ってくるわけないだろ。ホストなんだから。慣れてるよ。チャラそうにニコニコしながら話しかけてきて機嫌とって、金使わせるんだよ」
「金の鳳凰はそういう人じゃないの!」
つい、いつも調べている五星三心占いの話が出てしまう。
頑固、真面目、自分のルールを変えない、愛想がない、会話が下手、視野が狭い、決めつけが激しい、一途、忍耐力がある。
うさぎと亀なら、亀のような人。
忍耐力があるので、絶望的に向いてない仕事でも長く続けられる。結果、それなりになる。
どんなことも最終的に、時間をかけてそれなりに結果を出すのがこのタイプ。金の鳳凰。
向いてないと思ったら秒で辞める私とは真逆の人。
この忍耐力は見習うべきだと、伊坂を見るたびに思う。
真っ黒な瓶に入ってて中身の見えない伊坂。
調べられる部分は調べ尽くしてる。
結局、来場チケットを買う。
「カートに入れる」をクリックすると、ライブに出るアーティストさんの名前がズラリと並んでて選べるようになってた。選んだ人にお金が入る仕組みかな。
サポートバンドのドラムとベースの名前はあるのに、ギターの伊坂の名前はなかった。本当に出るんだろうか。
伊坂のサポートで歌うであろうアーティストさんの名前をクリックした。
伊坂にサポートを依頼するアーティストさんがいなければ、伊坂はこの場には存在しないのだから。
アーティストさんに感謝した。
ーライブ当日ー
ライブは13時から20時という長丁場。
1組目の演奏を配信で見る。
伊坂はステージにいなかった。
けど、お馴染みの、鳥が描かれた赤茶のアコギがあった。
伊坂はいる。
体温が上がる。持ってるスマホに汗が付着してベタつく。
コロナで伊坂のサポートライブがなくなってから3年。配信では1、2回見たけど、ステージの上でギターを弾く伊坂を生で見るのは3年ぶりだ。
3年は長い。
もう、ギタリストとしてステージで演奏する伊坂を見る機会はないんじゃないかと思ってた。
ここ最近は、ダサくてみっともないホストバージョンの伊坂しか見ていなかった。
曲が終わる。すぐにオケが流れ出す。
行かないと。早く。
家を出た。
マスクをしていこう。なるべくバレないように、こっそり見れればいい。
バレたら?文句を言われたらシカトすればいい。
笑って話しかけられたら?笑って誤魔化せばいい。
頭の中で何度もシュミレーションしながら電車に乗った。
遠い遠い距離感を楽しむと決めた。関わりすぎない絶妙な距離感を。
この時間なら、3組目が始まる前には着ける。
入れ替えの時間に入ったら気付かれるから、曲が始まってすぐに入った方がいい。
伊坂は譜面しか見てないから。
大丈夫。見るだけ。チケットも買った。私は見る権利がある。大丈夫、大丈夫。
冷房のきいた電車の中で、着てきたカーディガンを脱いだ。
久しぶりに見れる。やった。
ライブでギターを弾くカッコいい伊坂。
胸が高鳴る。手汗が出る。マスクの下の口元は緩んでる。
ノースリーブなのに、暑かった。
ホストに貢ぐ女になってるのかな私は。
ただ、ギターを弾いてる伊坂を見たいだけだ。
私の中にいる伊坂は、いつもギターを弾いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます