008.信仰心は虎を殺すのか
というわけでバイバーイそう言い残しぼくは彼女と本殿の中で別れた。
小國に聞くと神社はやはり近所にあるようで、外観はなぜか新しいものになっていた。本殿は変わっていないのだが灯籠は滑らかになり苔などはなく手水舎からは水が流れている。そして増築されていた。最近の傾向からして神社の整備などはあまり行き届いていないところが大半だろう。その微妙に熱を持ったぼくの知識がさらなる不信感を持たせた。不審というか不穏というか、裏で怪しい商売でもしているのだろうか。
だがどうしたものだろうか。この家に戻るわけにもいかないし…またサクちゃんのあの顔を見るのも辛いな。手はまた少し薄くなっていた。
「どうしたもんかな…」
小さく呟いた。そのとき山の中が少し騒めき出していた。
風に巻かれ出現…いやぼくに視えるように出てきたその女は…
「ご機嫌よう、はかりくん」
神様である。髪は乱れ、その存在感はずっしりと重く。藍色の髪はより美しく、靡いている。
「そんなに苦しい顔しないでよ羽狩くん」
前より口調が少し乱暴な気がした。
「そんな顔をしてると私の宿主も悲しい顔をするんだぜ」
「なんだって?」
夜神楽すずしではないようだ。
「ますます間抜けだな羽狩。宿主もなんでお前を好んでいたのか分からなくなるよ」
夜神楽がぼくのことを好んでいた?どういうことだ?
ぼくど夜神楽が出会ったのはたったの2日だ。いや2日なのか?
「いいや違う。私と君は昔会っている。遠い昔に。」
「なんだって?」
ぼくの記憶は徐々に絆されていった。氷は解けた。
目の前に立つ少女は昔と何一つ変わらない。首は曲がり、指はもげ、腹の辺りに血の池が出来ている。そして、そんな彼女に踏み付けにされた一匹の蛇。それがこいつだ。思い出した瞬間にとてつもない吐き気を催した。あの時の蛇はまだ彼女に絡みついたままなのだ。
「やっと気ヅイたって感じカ」
目の前の少女の手、指、更に髪はは無数の触手に侵され、揺れ、目は抉れ黒く塗りつぶされていた。まさしく妖怪や悪魔そのものだった。
「お前が…お前ごときがなんで夜神楽を…苦しめられる道理があるんだ!!!!!」
怒り。醜い怒りだ。
「なんデ?なんでダロうナ?そこに居タからダナ」
変わり果てた彼女の顔でにちゃりとそれは笑みをこぼした。
「この外道があああああああああああああ!!!!!!!」
ぼくはこの縄を握りしめ走り出した。その化け物、アリスに。小國の言ったことが正しいなら僕があの化け物にこの縄を巻けば消滅するのだろう。ぼくには戸惑いがなかった。やつと僕との距離は10mもない。先に動き出した僕のほうが若干有利であることは違いない。
「遅イヨ?」
その化け物は僕の背後に一瞬にして移動した。そしてその触手の一本に触れると僕は神殿へと吹き飛ばされた。
「ああああああああああ!!!!」
あまりの痛さに悶えた。木の板が僕の腹に少し突き刺さっているようだった。
「羽狩さん!」
裏から神殿にいた小國が走ってきた。
「こっ…に来…な」
「そんなわけにはいきません!私も戦います!」
無理だ。あんなのに勝てるわけがない。あのシスターでなければ無理だ。
いやあのシスターでももしかしたら…
「兄姉(けいし)、儚きも果てるひかりよ。理を保ち、その力この世に顕現せよ。
光火閃!」
その光はその化け物を一直線に指し、爆散した。
「羽狩さん!ここは危険です。早く中へ!」
「ああ…すまん…」
だがそいつはそうさせなかった。
「危ナイね、危ない、危険、アブナイ危ない危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイ危ないアブナイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
そいつの触手は小國の胸を突き刺した。
小國は口から赤いものを吐き、嗚咽した。
「こ…ぐに…」
「大丈夫です。そろ…ろ…効き始めるころ…です…ら」
その瞬間それは分散した。そのどす黒い破滅は静かに崩れた。
黒い泥に溶け、崩れていく。いい気味だ。
「ぐあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
やった…のか、?
「まだ!羽狩さん!早く縄を!お願いします!!!」
手には縄が1つ。やることは決まっている。何をやればいいのは身体が理解していた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
僕は走り出した。それは強く握りしめられていた。これが僕の妹達を救うのだ。僕の妹達をここまで追いやったこいつを、この化け物を今、殺すんだ。
握りしめた拳は汚泥の中に手を突っ込んだ。何をするかは分かっていた。僕は探した。一匹の蛇を…間違いない。そいつが全ての元凶だ。
こいつだ。一匹の白蛇。大蛇。
僕は腕程の太さのそいつに縄を巻きつけた。
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「おねえちゃん!はいこれ」
一輪の菜の花。目の前には涙を溢す1人の少女がうずくまっていた。
「ありがとう。はかりくん。」
「またいじめられてたの?」
「うん」
少女は泣いていた。少女は理解されなかった。誰よりも優秀で誰よりも美麗で、誰よりも優しかった彼女は、誰よりも弱かったのだ。
「ぼく、大きくなったらお姉ちゃんとけっこんするんだ!だからお姉ちゃんが泣かないで」
「分かったよはかりくん、はかりくんは優しいね」
「あたりまえじゃん!ぼくはお姉ちゃんのお婿さんなんだから!」
「うん、ありがとう…ありがとう…」
「泣かないでよ、お姉ちゃん!すずし姉ちゃんは泣き虫なんだから!」
「約束ね、お姉ちゃんは僕の前で泣かないこと!」
「うん…分かった!」
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「うおおおおおおおおおおお!!!!…いたいいいいいいいい!いたいいいい………はかりくんはかりくんはかりくんはかりくん…いたいよいたいよいたいよいたいよ…」
泥は溶け、少しずつ光になって消失してゆく。黒で塗り潰された眼からは他の箇所より多くの泥が出ていた。
「小國…すずしはどうなるんだ…?」
「さっき言ったでしょ…あの子は消え去るの…この世から…神様の救いもなく。魔力回路を持たない人はみんな地獄に送られる。そして苦しみを感じなくなるまで審判を受け続け、魂が浄化するまで罪に見合ったものを受け続ける。」
「そうか…そうか…」
不思議と涙は出なかった。夜神楽のことよりも妹達が心配だった。でもそれよりも…
「この腹の傷どうしたもんかな…」
血は今も流れ続けていた。当たり前だ。戦いが終わったと言っても、今までが全て清算されるわけじゃない。罪は消えるわけではないのだ。
「はかりさんは気にしなくていいよ。彼女はどうしようもない罪を持ってしまったからこうするしかなかったんだ。」
小國は遠くを見つめていた。目はただ虚だった。なぜそんな顔が出来るのだろうか?人が死んだんだ。たった今、目の前で、僕は人を殺した。
僕の春はどこまでも真っ青な静脈を流れる血の様な季節だった。
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