第2話

 スープーは星の見かけの明るさと絶対光度を比べはじめた。次なる星々はもっと遠くなることが予想された。アムルゼッスンもそれを了承した。上限は十万光年先になった。

「スープーさん。わたしはもっといい物件を、と思って提案を退けてきましたがもうそろそろ、ここという物件を見つけたい。協力を頼みます」

「そうですねぇ……鎧球がいきゅう座の一等星ちかくを見てみましょう。もう、このへんだと物件は少なくて、連星の片方が別の不動産星系の物件だったりする例も珍しくありません」

「それっていいんですか?」

「まぁ、貸す側の意向もありますよ」

「誰なんです?」

「多くの星々を持つ高等生命体〈オーヤ・サーン〉は第十二階梯の知性種族の始祖とされています。〈オーヤ・サーン〉はすべての星々を生きとし生けるすべての生物に明け渡した神話上の生命体であり、原始的な種族のあいだでは神と言われています」

「〈オーヤ・サーン〉はいったいどこにいるんです? かれらと交渉できれば、すべての生命体は安住の地を、いや母なる大地を手に入れることができる」

「そう簡単なことでもないんですよ。宇宙は無限大の広がりを持ちます。その無限大の広がりほぼすべてに〈オーヤ・サーン〉は、固有の名と強い宇宙生命原理に基づく住みよい土地を与えました。かれはわれわれとは違った次元でものを考え、違った法則でわれわれを導きます。かれと交信できるのは不動産星系を統べる特別なシャーマン〈シャッ・チョサン〉のみです」

「なんてことだ……」

 アムルゼッスンは頭を抱えた。

「われわれには次の母なる星が用意されているんですか? 教えてください。スープーさん」

「善処します。わたしたちもこんなに宇宙の距離はしごを使って物件探しの旅に出るとは思っていませんでした」

 スープーは明るさが周期的に変わるセファイド型変光星を見つけ、その周期と絶対光度から一定の関係性を抽出した。そして不動産星最大規模の宇宙望遠鏡を使って六〇〇〇万光年先の銀河団まで、かれの視野は広がった。

 アムルゼッスンが遠くの星からとある星を見つけた。

「あ! あの星なんていいかもしれない」

闘球とうきゅう座。たしかにこの銀河団のなかでは適していそうだ、一旦降りてみましょう」

 もうこの頃になるとデータベースは底を突き、宇宙船による内覧が始まっていた。ふたりは宇宙服を着込み、闘球座スクラムの第七惑星に訪れた。

「どうでしょうか?」

「悪くない、なんという広さ、重力。申し分ない」

 アムルゼッスンが決めた、と言おうとしたその時だった。

 スープーの腕時計がけたたましく鳴りはじめた。

「アムルゼッスンさん、高重力反応です」

「逃げろっていうのか? なぜだ」

「ブラックホールです」

「なんだ、それは?」

「光さえ逃れられない死の天体ですよ。ブラックホール、ブラックホール」

 アムルゼッスンは初めて聞くその名に好奇心を覚えていた。スープーはそれどころではない様子でアムルゼッスンを宇宙船に乗せて飛び立ち、スクラムの第七惑星がつぶれていくさまをふたりで眺めながら、ブラックホールの事象の地平面の境界ぎりぎりをスイングバイして加速、脱出した。

「すばらしい!」

「危うく死ぬところでした」

「こんな気分になったのは銀河公国歴二〇〇一年のお祭りの夜、敵将の首でバーベキューをした時くらいのものだ」

「……けっこう残忍ですね」

 〈チ・ンタイ〉に戻る途中、スープーは振り返った。

「あれは……」

 おおきな重力レンズができていた。

「見てください、お客さま。あんなに遠くの星々が見えますよ」

「あ、ほんとだ」

「行ってみましょう。いい物件があるかもしれない」

 ふたりは宇宙船で遠くの星々に向かった。

 星座の名前もわからない。恒星のまわりの惑星には魅力的な物件がたくさんあった。スープーはデータベースを見ながら茫然とつぶやく。

「〈オーヤ・サーン〉も知らない星ですよ、すごい。ブルーオーシャン!」

「そうなのか? 降りてみよう」

 ふたりは惑星に降り立つ。そこには大気がすこしあった。宇宙服を脱いでみる。

「すごい、すごい。空気が美味い!」

「そうですねぇ。ここは穴場かもしれない」

 ふたりは惑星を探検した。背丈ほどの大きな木がならび、神殿のような石柱が見えてくる。ピンク色の空に紫色の雲。楽園と言っても過言ではない。

 石畳の道をふたりは歩く。明らかな文明の痕跡。さきに定住している生物がいるのかもしれない。おおきな音がする。これは鳴き声? アムルゼッスンは腰にぶら下げた光線銃ブラスターに軽く手を伸ばした。

「お客さま?」

「獣の咆哮だ」

「やっかいですね」

「だいじょうぶだ」

 神殿の奥に巨大な大蛇がいた。石のように、硬い鱗を持っている。手元のブラスターでは歯が立ちそうにない。

「だいじょうぶ、じゃないな……」

「何者だ?」

 と大蛇は言った。言葉が理解できるようだ。

「おまえは何だ?」

 大蛇はこちらを睨みつけてくる。

「わしは、この土地に長らく住んでいるものだ」

 スープーが叫んだ。

「わたしたちはいい物件を探しに来たのです。敵意はない」

「物件だと? 侵略者か。いいだろう。わしを倒してみろ」

 言葉がまるで通じていない。

 大蛇の尻尾がふたりに巻きつこうとしてくる。アムルゼッスンとスープーは咄嗟に草むらに隠れた。大蛇はじっとあたりを見渡しつつ、

「無駄だ。おまえたちを殺すのは簡単だ」

 大蛇は頬をふくらませた。なにか、くる――。

 炎だ。燃え盛る息吹がふたりを襲う。

「お客さま!」

 スープーがアムルゼッスンの盾になった。スープーの甲羅が黒焦げになる。

「スープーさん!」

 彼のもうひとつの頭が、

「熱い!」

 と叫ぶ。スープーがとなりで、

「わたしは大丈夫」

 と言った。

「でも、スープーさんが。甲羅が融けてしまいます」

「確かに。このままではまずいですねぇ……」

 じりじりと時間が過ぎていく。

 アムルゼッスンが天を仰いだ。

 ――神よ、たすけてくれ。

 ピンク色の空が裂けた。青白い光が大蛇のはらわたを引きちぎる。

 大蛇はおおきく呻いた。

 スープーは甲羅を冷ましながら、その光をじっと観察した。

「あれは、わたしが一〇〇〇年前にいちどだけ見た〈オーヤ・サーン〉の光だ」

「〈オーヤ・サーン〉、あれが?」

 光は、巨人の姿になってアムルゼッスンたちの前に立つ。

「すまない。全宇宙でわたしの知らない星があったとは。わたしの使命、それは宇宙生命たちのために住みよい星を整備して、知性階梯に上る生命を生み出すことなのに」

 言葉が頭のなかに直接、流れこんでくる。

 これが〈オーヤ・サーン〉との接触コンタクトか。

「これから、この星の地鎮祭をする。〈シャッ・チョサン〉を呼びなさい」

 スープーはいったん、宇宙船で〈チ・ンタイ〉に戻った。しばらくアムルゼッスンはこの星でひとり佇む。〈オーヤ・サーン〉の光はうつくしい。こんなに感動したのは本当にひさしぶりだ。アムルゼッスンの四つの目から涙が溢れた。

 幼い日の記憶、母親の匂い。

 こっぴどく叱られた日の、涙味の食事。

 父親のビークルから眺めた山頂のむこうの夕陽。

 すべての感情が凝縮された崇高な気持ち。

 我に返ったとき、〈オーヤ・サーン〉はすでにいなかった。

 スープーが隣にいた。

「お客さま。地鎮祭の件なのですが、そのですね……いまからしばらくのあいだ時間が必要になりまして……。〈シャッ・チョサン〉の地鎮祭は二〇〇〇年ほどのあいだ行われます。「手水」で体を洗い清めてから「直会なおらい」までの時間です。ほとんどは〈シャッ・チョサン〉と集まった宇宙生命たちがお神酒で酔っ払った結果の後片付けに費やされるんですけどね。申し訳ございません」

 アムルゼッスンは遠くを見た。

「いいんだ。大切な記憶を思い出せた気がする」

「はぁ、そうですか。まぁ、いいです」

 ふたりは〈チ・ンタイ〉に引き返した。銀河路線図を見ながらスープーはなにかを呟いている。スープーは電波望遠鏡による観測と光学赤外線望遠鏡による観測の組み合わせから渦巻き銀河のスピードと明るさの関係を導き出し、二十億光年むこうの星々を映し出す。

「もうここまでくると、交通の便は度外視ですね」

 アムルゼッスンは顎を触りながら言った。

「そうですねぇ……。氷球ひょうきゅう座から通ってる〈モノ・クゥ〉社員もいますよ」

〈モノ・クゥ〉から五五億光年むこうの星だ。

「えっ、そんな遠くからですか? じゃあ遠距離通勤はわりとポピュラーなのかな」

「かれらはまぁ、移動中はコールドスリープして、何代も、世代を重ねて移動してきます。毎朝、三〇〇〇くらいの世代をかけて通勤してきます」

「そんなことが」

「われわれは長命な種族ですから移動中の時間が問題になることはほとんどありません。出社時間は比較的ルーズです。成果主義なので結果を出せれば問題はない。〈モノ・クゥ〉でいちばん好きなルールです」

「初めから言ってくださいよ。そもそも時間を無視していいなら、もっといい星から紹介したのに」

「わたしはスープーさん、あなたを見誤っていた。身を挺して客であるわたしを守ってくれた。あなたはわたしの恩人だ」

「お客さま……」

 もうひとつの頭のほうの、目から涙が流れた。

 ふたりは宇宙船に乗り込んだ。遠い、とても遠い。宇宙は無限大の広がりを持っている。しばらくのあいだ、アムルゼッスンは眠ってしまった。

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