03 安藤恭太 2


 来るデート当日の日曜日。彼女と初めて会ってからちょうど一週間が経った。自分でもまさかこんなに早く次のデートに漕ぎ着けると思っていなかったので、夢の中にいる気分だ。


「天気最高」


 一人暮らしの狭い部屋でカーテンを開けると、雲一つない青空が広がっている。どこからかほんのりと漂う金木犀の香りが、甘いデートを想像させて気分が高揚した。歯を磨いた後、鏡の前で寝癖のついた髪の毛をワックスで整える。ボサボサだった黒髪が徐々にまとまっていく。いつもの眼鏡を外して、勝負用のブランドものに付け替えた。知る人ぞ知るハイブランドの眼鏡は去年の誕生日に自分へのプレゼントとして購入したものだ。

 僕はハイテンションのまま、今日の午後の天気でも確認しようとテレビをつける。


『……連日世間を騒がせております、YouTuber連続誘拐事件についてですが、昨夜四度目の犯行となる——』


「うわ、縁起わるっ」


 誘拐、などという物騒なワードが耳に入ってきて思わず電源を切った。この素晴らしい一日の始まりに憂鬱なニュースなど聞きたくないっ。


「行ってきまーす!」


 一人暮らしなので誰も「いってらっしゃい」なんて言ってくれないのだが、この時ばかりは近所の猫が「みゃあ」と鳴いて僕を清々しく見送ってくれているような気がした。

 愛車の自転車に乗り、いつものように京阪出町柳駅まで一漕ぎした。出町柳駅は大阪と京都をつなぐ京阪電車の終着点。駅を出るとすぐに目の前にいっぱいに広がる鴨川が、開けた視界の中で晴れた空によく映える。京大の最寄駅でもあるこの駅は、観光客も多く、駅周辺は世界遺産として有名な下鴨神社に行く人や、叡山電鉄というワンマン電車に乗り換えて貴船神社に行く人など、連日賑わいを見せている。


 彼女とは祇園四条駅で待ち合わせしていた。清水寺に直行するなら市バスに乗り「清水道」で降りるのが近いのだが、せっかくのデートということで少し回り道していくことになった。


 京都の街は碁盤の目のように道が区切られているので、道が分かりやすく散歩をするにはちょうど良い。女の子と二人で歩くのにも最適な街なのだ。(と勝手に思っている)

 兎にも角にも、爆上がりしたテンションのまま祇園四条駅にたどり着いた。


「江坂さん」


「あ、安藤くん」


 江坂さんは祇園四条駅にある某コーヒーチェーン店の前に佇んでいた。チェックのスカートに真っ白のカーディガンを羽織った彼女はさながら天使そのものだ。ちゃんと僕とのデートを意識して服を選んでくれたことが分かり、それだけでもう有頂天になりそうだった。


「ほな行きますか」


「うん」


 祇園四条駅にはいくつか出口があり、僕たちは南座の位置する四条通側から外へ出た。四条通を東に一直線に進むつもりだ。そこは言わずと知れた祇園の繁華街で、様々な土産物屋さんや食事処が立ち並んでいる。京都に初めて訪れた際にはこのザ・観光地な街並みに見惚れてしまったものだ。


「こういうの、久しぶりだな」


「こういうのって?」


「なんか、観光客みたいなコースを行くの」


「言われてみれば確かにそやな。僕も一回生ぶりかも」


 なんて、彼女に合わせてちょっぴり嘘をついてみる。本当はいつ可愛い女の子とデートをしてもいいように、一人で何回も王道デートコースを練り歩いたものだ。一人が寂しくなってたまに学を連れて男二人で京都散策することもあるが、冴えない二人組で学生カップルたちに埋もれていると余計惨めな気持ちになった。


「ねえ、あれ美味しそうじゃない?」


 駅を出て少し歩くと不意に彼女がある店を指差して言った。


「お、江坂さん見る目あるね」


「知ってるの?」


「自慢じゃないけどファンなんだ。『おはぎの丹波屋』さん」


「一回生ぶりの祇園なのに覚えてるんだ、すごいね」


「……あれ、確か小学校の修学旅行でも来たような」


 僕のちっぽけな嘘に矛盾を感じたらしい彼女が鋭いツッコミを入れてきたが、まあ構うまい。

 『おはぎの丹波屋』とは、関西で展開する和菓子屋さんだ。名前の通りおはぎが売りのお店だが、お団子や豆大福なんかもある。


「あれ食べようよ。みそ団子」


「ええよ」


 どうやら彼女は先ほどから香ばしい匂いを漂わせる「みそ団子」に興味を持ったようだ。みそ団子は僕の丹波屋さんのイチオシでもあったので嬉しい。「みそ団子」はお餅に味噌だれを絡めたシンプルなお団子で、一本の串に二つお団子が刺さっている。

 僕たちは一人一本ずつ「みそ団子」を購入し、食べながら四条通りを進んだ。大きくて柔らかい餅に甘辛い味噌だれがマッチしてとても美味しい。何度か食べたことがあるが、何度食べても飽きないこの味! しかも今日は隣で口元にたれをつける彼女と一緒とくれば、美味しさは数倍だった。


「あー美味しかった」


 満足げに笑う彼女を見て僕は幸福感に満たされていた。序盤からこんなに順調でいいんだろうか。


「八坂神社の方からねねの道に入ろか」


「ふふ、詳しいんだね」


「ま、まあ伊達に三年半も京都暮らししてへんから」


「私も一緒なんだけど、道覚えるの苦手で」


 てへへ、という声が聞こえてきそうな仕草で彼女は肩をすくめた。


「大丈夫。今日は僕が案内するし」


「よろしくお願いします」


 おお、なんだこのむず痒いやりとりは。僕の人生で一度も味わったことのない甘い展開とやらか? 

 とにかく妄想が止まらない僕はにやけ顔を悟られないように少し俯きながら歩いた。


「危ないよ」


 下向き加減に歩いていたせいか前から来る人にぶつかりそうになり、とっさに彼女が僕の腕を掴んだ。


「……あ、ありがとう」


「ううん。ちゃんと前見て」


 なんと。

 僕の人生初の「女の子から腕を掴まれる」体験じゃないか。不意打ちすぎてその感触を噛み締める間もなかったのが少し悔しい。しかし、彼女の手の柔らかさがまだ余韻で残っている——。


「安藤くん、どうかした?」


「い、いや。なんでもない。それよりほら、八坂神社にもう着く」


「そうだね。神社の中から行くんだっけ?」


「ああ。途中でねねの道に出るからついてきて」


 女の子は「俺についてこい」タイプの男が好きなことが多いと学が言っていた。ここは、彼女を上手くリードして「頼れる男」を演じなければ。

 僕たちは祇園の店が立ち並ぶ四条通りの突き当たりで朱色の鳥居を構える八坂神社へと足を踏み入れた。爽やかな風の吹く十月、日曜日ということもあって神社もなかなかの混み具合だ。八坂神社の入り口では普段からからあげやはしまきを売る露店が鎮座している。「らっしゃい!」という威勢の良いお兄さんの声をBGMに、僕たちは神社の奥へと進んだ。


 しばらく歩くと右手に横道が現れる。そこがねねの道へと続いているので、僕たちは横道へと足を踏み入れた。「ねねの道」はその名の通り、北政所ねねが十九年の余生を送った地として知られる高台寺の、すぐ西側の道のことだ。美しく整備された石畳と脇から姿を覗かせる紅葉の葉が京都の風情を際立たせている。


「久しぶりだな。ここ、何回歩いても素敵な道だよね」


「あ、分かる? 実は僕もねねの道が好きで。今日祇園で待ち合わせにしたのもここを通るためなんだ」


「そういうところ、いいなあ」


 目を細めて僕の方を見つめた彼女の瞳に、僕は自分の心拍が速まるのが分かった。

 今、彼女はなんて言った?

「そういうところ、いいなあ」って。

 それって、僕のことをいいと言ってくれてるんだよな?


 うひょー! そんなこと言われたのは初めてだ。自分の良いところなんて就活の時に散々聞かれたけど、いつも「何度勝負に負けてもめげない精神力」と答えてきた。なぜって、学が普段から「君はどれだけ女の子にこっぴどい振られ方をしても折れないね。まるで時計台の前のクスノキばりに野太い精神力だ」と言われていたから。ちなみに「時計台」というのは、京大構内の真ん中にどーんと構える時計付きの建物のこと。その時計台の前で大きなクスノキが僕たち学生を見守っている。

 果たしてそれが褒め言葉なのかどうかはさておき、自分の良いところを他人に、それも女の子に褒めてもらうなんて僕の中では超一大ビッグニュースだ。


「いろいろ考えてくれてありがとうね」


「ど、どういたしましてえぇぇ」


 ああ、キモイ。

 今の自分を客観的に見たらものすんごくキモチワルイ。

 だけど、隣を歩く彼女はふふっと可憐に笑ってくれて、それがまた楽しそうで。

 彼女の笑顔が見られれば、第三者に自分がどれだけ気持ち悪く映っていようがどうでもよかった。

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