第8話 物語の専門性と汎用性について。専門性を上げろと言いますが、大勢に読まれづらくなるのですが、読まないのに批判してません?

皆さん、現代知識で無双系を見たことがありますか?


法律でも科学でも農業でもなんでもいいですが

転生した主人公が現代知識で俺TUEEEする奴です。


その作品群に対する批判で、雑な、にわか仕込、浅知恵、専門知識ぐらい勉強しろ~とかありますよね。


自分はこれらの意見に対していつも思ってたんですが

カーテシーとか社交とか麹菌とか爵位とか酒造などなんでもいいですけど

それらを突き詰めて読者は付いてきてくれるんですかね?

世界観に味や深みがでるだけで面白さとはまた別ですよね?


そう聞くと、それを面白くするのが作者の仕事って答えが返ってきたりするんですよ。それに歯を剥き出しにしたゴリラみたいな表情を向けながら、ほかにも思ったことがありまして。


例えば歴史ジャンルあるじゃないですか?


自分、歴史大好きなんですけど

官職・職位つけたりすると読みづらいって声を見るんですよ。

ほら、あのよくホウッと息をつく歴史作品とか役職で進めるから読みづらいって声があるじゃないですか。(けなしてるわけじゃないです)


ほかにフリー素材で有名な戦国時代の織田さんちの信長さんですよ。

幼名(ようめい)や仮名(けみょう)、諱(いみな)とかそこらへんのシステムの煩雑さありますよね。


それから劇団桃園の座長の挨拶

「漢の左将軍、宜城亭侯、領は豫州の牧、新野の皇叔、劉玄徳が参った」とかですね。


当然、専門性っていうのなら、こういうのも入ってくるわけですけんど

やっぱりこっちも読みづらいって声があるんですよ。


専門性をあげると、当然読み手のハードルが上がるわけですけど

そこらへんどう考えているんですかね?

ポリコレみたいに見ないし読まないけど声だしてるだけなんですかね?


農業とかスローライフ系とかでもありますよ。

土壌ですけど、粘土質、砂質とか。

当然水はけが良いとかでどっちを好む植生かとかも変わってきます。

もしかしたらコンパニオンプランツとかも出てくるかも。


ペーハーや微生物の調整もありますよー

あと枝の剪定とか芽摘み。

果実の袋かけに使う保護材とかもありますよー。

桃の害虫とか口吻で貫通させてきますからね。ぐさっと。

おまけに有袋栽培は見かけが綺麗になるだけで味は落ちますよ。


収穫時間もありますね。

夜間や朝方の冷え込む時間に糖分を身に全集中させるこしゃくな作物とかもいるので。


でもですよ?

そんなことを物語で読んで楽しいですか?面白いですか?

とてもそうは見えません。


チートでドーンッ!! 魔力で防虫・防除してるほうがよっぽど分かりやすくないですか?


その批判、批判のための批判じゃないですか?


本エッセイでは、専門性を上げると物語が奥深くなりますが、その分だけ敷居が高くなる。汎用性を上げると物語が軽くなりますが、その分だけ敷居が低くなる。


という解釈のもと、書いております。


もしかしたら、わかり辛いかもしれないなあと思ったので、例えを追加でカキカキ。

余計わかりづらいってなったらごめんね。


なろう歴史小説

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学校にいたと思ったら、なんかいきなり知らない土地にいた!


「おいおいまさか異世界に転移でもしたのか?」


武士の行列かっぽかっぽ!


「おいおい、まさかここ戦国時代かよ?ってことは先頭の瓜実顔は信長やろか!?」


違いのわかる漢(おとこ)、信長登場


「ほう、その方、わしを知っておるのか。……奇妙な服装だ。話しに聞く伴天連とやらか……? まあよい。その方、城へとついて参れ!」


「やったぜ!」

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はい! すでにこのエッセイを読んだ人や歴史に自信満々な人はどこが悪いかお分かりですね?


信長は『諱』なのでそれを呼ぶことは大変失礼で無礼な行為にあたります。

戦国の世なら、その場で打ち首にされても文句は言えないほどに。様など敬称をつけて呼んでもアウトです。


ですが実際には作品で、信長呼びは普通にありますね。(そのへんの時代考証に気をくばってるものもあります。なろうでも信長呼びしてキレられるシーンがある作品も)そして、このような場面を見た読者は感想欄で突っ込みます。


「あー! この作者、台詞で諱をしゃべらせてるのに信長が受け入れてるー! わーるいんだーわるいんだー。せーんせーにいってやろー」


そりゃあもうひどい言われ様になります。

エッセイのお題に戻ります。


ここでは

信長を信長という諱で呼ばないことが専門性をあげる。

信長呼びすることが汎用性をあげることと解釈します。


ここで両方のメリット・デメリットを考えて見ましょう。


まず読者に「ほほう、この作者わかっとるやんけ!」と思わせられます。

作法を守ることで読者に質が高いかもと期待させられるかもしれません。


逆に、信長呼びをしないことではどうなるか?

確実に文章に堅苦しさが生じるでしょう。

呼び方も煩雑になり、「え?信長なのに信長呼びしないの?」難民が出ます。

信長以外でも諱で呼ばない、官職で呼ぶという縛りがつくからです。(信長だけに気をつけるのはおかしいですからね。)


両方に考え方はあるかと思いますが

ではなろうではどちらでいくのか?


なろうの客層には専門性・汎用性どちらが高いのが受けるのか?

作者側があえてわかりやすい信長呼びを選んだのに「信長呼びを使うなんて駄目な作品」という声もあれば「俺の小説は一味違うぜ!」と信長呼びを採用しない書き手もいるし「ちゃんと諱の設定使え。さぼるな」という声もあります。


自分はそうですが、作者としては諱を使ったら面白くなるの?読んでくれるの?読者逃げないの?という疑問がわきあがるのではないでしょうか。


神は細部に宿るという言葉がありますけどね。結局は、

「お前の説は気に食わないから俺の説で書き直せ」というのが気に食わないのかなあ、とも考えてみたり。


それ以外には「わかりやすさという武器を捨てたことで、作者の得るメリットは何?」と問いたいのかもしれません。


ちょっと情緒がぐちゃぐちゃになってきたので、以上となります。

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