13 違和感に気付けたか
王城のような豪華絢爛さはないが、入り口を飾る大理石の白亜が美しい。王立劇場はその名の通り国の事業の一環として建てられたもので、一応金さえ払えば誰でも中に入れる。要は“我が国は裕福ですよ”という国内外アピールだ。実際は安い席でも平均的な平民の二日分ほどの給料を喰うし、二階の席は完全に貴族用だ。豪商なんかじゃない、ごく普通の一般国民からすれば年に一度ができるかできないかくらいの高級な娯楽だろう。
人ごみに揉まれて立ち尽くすユリア嬢に声をかける。
「来たことあるか?」
「? ええ、勿論」
「二階席?」
こくりと頭が上下に振られる。そうか。
黙っているよう伝えて、ユリア嬢の手を引き、入場券の売り子をしている男に声をかける。俺の姿を見て一瞬顔を顰めたが、後ろの
「一番安いのを、二枚いただけますか」
「……金はあるかね」
もちろんと懐っこく笑って、ズボンのポケットに手を突っ込む。確かこっちのポケットに……ああ、これこれ。目的の紙幣を見つけて、端の溶けたよれよれの紙を何枚か差し出した。
折り曲げられ続けて今にも至るところから破れそうな紙幣に、売り子が明らかに面倒くさそうな顔をする。ただ、金は金だ。ユリア嬢がいることも懸念材料になったのだろう、二枚のチケットを売ってくれた。
「さ、座って」
いくらか早いが入場し、ユリア嬢に席を勧める。一階は平民席だが、金額によって座って良い場所が決まっている。劇などほとんど見えない最終列の角だが、今回は劇を見に来たわけではないのでこれでいい。もう喋っても? と尋ねるユリア嬢の声にどうぞ、と答えた。
「先程の、あれは」
「ユリア嬢がいなかったらチケットは売ってもらえなかっただろうな」
下手すればあの売り子のポケットに入れられたかもしれない。ただまあ今回は
一階席にはぱらぱらとまばらに人が入っている。演目が比較的大衆向けなので、これでも入っている方だ。貴族向けの小難しい話だと、一階席は空に等しい。そして、演目が何であれ一番安い席に座わる人間は少ない。平民の懐事情はもちろん、こういった劇は見る側にも一定の教養を求めるからだ。この席にやっと座れる人間の教育の場は片手で数えるほどしかない。
「……まあまあ、それはいいとして。ほら、左斜め上だ。一番前の」
そっと耳打ちして視線をそちらにやる。バルコニー席によく知る金髪が見えた。ウェーブのかかった栗毛が隣でぴょこぴょこ跳ねている。“聞いた”予定が変わっていなくて何よりだが……初っ端から平民体験ツアーじゃなくね? いや精霊から聞いてたけどさ。“一階席などで彼女が楽しめなかったらどうする”“襲撃などあれば誰が守れるんだ”って。過保護は良くないぞ? ちらりと横を見やる。アレク殿下とシュリー嬢に釘付けの視線。ユリア嬢の明るい銀髪が目立たないか気がかりだったのだが、帽子と劇場の暗がりもあってそこまで人目を惹く色になっていない。それにまさかこんな席に侯爵家の令嬢が座っているとも思っていないだろう。
さて、そろそろ開演だ。黒幕にすっぽりと明かりが落とされて、舞台だけが照らされる。幕が上がっていくのに反して、ゆっくりと瞼が閉まっていく。
うん、無理。寝る。
*
「……エ。ノエ……ノエ」
「んん?」
揺り起こされてはっと目が覚める。気づくと劇場に明かりが戻っていて、壇上には幕が下りていた。うん、何も覚えてない。良く眠れました。
「劇、終わってしまったけれど」
顔を少し顰めてそう言うユリア嬢に頷きながら欠伸を噛み締める。本当ならば伸びもしたい。涙を拭いながら、尋ねる。
「面白かった?」
「あの二人が気になって劇はあまり観れてないわ」
それもそうか。少し弾みをつけて、椅子から立ち上がる。
「じゃあ出よう。あの二人はもう少しゆっくりするかも知れないが、俺たちはここでじっとしてると叩き出される」
「え?」
そりゃそうだ。座りっぱなしだと、次の劇をタダで観るつもりかと追い出されてしまう。疑問符を浮かべるユリア嬢に話はあとで、と伝えて手を引き、さっさと出口へ向かった。
「うぁあ」
外に出ると太陽光が目を焼く。灰になりそうだ。正面入り口と日光から離れ、人目の少ない建物の影へ向かう。劇場の白亜の壁を背もたれに、菓子の残りを差し出す。ユリア嬢が一つ手に取ったのを確認してズボンのポケットにしまい込んだ。
「どうだった?」
「どう、とは?」
「あの二人だよ。普通に劇を観てたんじゃないのか」
ぽりっ、と果物を齧るユリア嬢が少しだけ視線を落とした。
「観ていらっしゃいましたが」
「敬語」
「……普通に、と言っていいのかわからないけれど、楽しそうに観ていたわ。シュリー様は身を乗り出さんばかりだったもの」
“アレク、わたしこんな場所で劇を観るのは初めて!”
“劇が全部見渡せるわ、飲み物も飲んでいいの? ほんと?”
そんなことを喋ってたんだろうなあと、軽々予想がついてしまう。連れてきた俺が言うのもなんだが、そんなのを小一時間見せられたなんて楽しくもなんともなかっただろうに。申し訳なさに頭を掻く。
「悪かったよ。連れてきて」
「いいえ。ノエ様。わたくし、あの男に未練はないと再認識しましたので」
にっこりと笑うが、目が笑っていないユリア嬢にそりゃよかったとお愛想を打っておく。
怖いよ。その目は俺ではなく、バカ王子に向けてくれ。
*
しばらくして、劇場から出てきたアレク殿下とシュリー嬢の後を付ける。ご丁寧に腕を組んでぴったりと身体を寄せ合っている。わぁお、お熱い。休日とあって人も多いので、そうそうバレないだろう。アレク殿下の護衛もいるようだが、せいぜい二人ほどで、最低限にしてきたのがよくわかる。
シュリー嬢の服は白いワンピースだったが、あの生地は多分絹だろう。アレク殿下はさすがにもう少し身軽な格好だが、汚れのない服を着ている。……うーん。
前を行く二人に付き合い、人ごみを躱しながら大通りに出る。行商が来ているからか、道いっぱいに店が出ていて、アレク殿下はシュリー嬢に言われるがままあっちこっちの店を覗いていた。
「お嬢様も何か見たいものがあったら見てくれていいぞ」
「え? いえ、結構よ」
異国の織物に向けられかけた目をすっと戻すユリア嬢に失笑を堪える。
まあまあそう言わずに。せっかくのデートなんですから。
「いや、ホントに。いくらでも追いつけるから心配しなくていい。というか見学ツアーだって言ったものの見るだけ時間の無駄な気もしてきたし。せっかくの行商なんだから」
足を止めて、売り子を呼ぶ。
「汚い手で売り物に触らないでおくれよ」
「俺じゃないよ。こっちのお嬢さん」
掛けられる声に、まさかまさかと大仰に手を振る。ズボンの裾で手を拭って、後ろ手に回した。売り子の女性はそれに鼻を鳴らして、ユリア嬢を見る。どうやらお眼鏡にはかなったらしい。
「ああ。どうぞ、見てってください。最北国の名産品です。動物の毛で織ってあって冬場はそれはそれは暖かいんですよ」
「え、ええ。最北ということは、ユース国ですか? こんな織物があるんですね」
「ええそうなんですよ! 万年雪と氷に覆われた寒い国ですが、暖かく暮らすための……」
売り子に完全に捕まってしまったユリア嬢に肩をすくませ、少し周りを見渡す。砂糖菓子もあるし、織物もある。工芸品もあれば、刃物の類も取り扱っている。硝子でできた食器に、珍しい生き物の剥製、銀でできたアクセサリー。大通りの向こうには王城が聳え、売り子の声はやかましい程だ。
人ごみに隠れてしまっているが、石畳は黄土色の煉瓦が滑らかに敷き詰めてあるのでつまずくようなことはまあない。誰かが俺にぶつかって舌打ちを打つ。…………。
結局織物を買わなかったユリア嬢をひとしきりからかってから、アレク殿下の傍に戻るルートを選ぶ。するとちょうど、アレク殿下がシュリー嬢に銀色の指輪を買っているのに八合った。左の薬指に嵌めて笑うシュリー嬢とそれに微笑むアレク殿下。うーん、傍から見れば立派な恋人。貴族のお忍びデートの大定番。ようやる。殿下の婚約者はこちらですよ。ユリア嬢はその姿に拳を握り締めて目を伏せていた。
跳ねるように手をつないで歩く二人がその後大道芸を見て、カフェに入っていった。テラスもある小奇麗なカフェ。ウィンドウには飾られたケーキが並ぶ。からん、と扉が開いては人が入るので、ここらじゃ少し有名な店なのだろう。本当ならば追いかけたい。が、
「ユリア嬢、一人で行くか?」
「? どうして?」
どうしてもこうしても。
気づいていないらしいユリア嬢に曖昧に笑うしかない。じゃあ、とユリア嬢に少し金を渡して何か買ってきてもらうようにお願いする。外から見るしかない。
しばらくして、小さなタルトを二つ買ってきたユリア嬢と道の端に並んで座る。どこかのベンチでも空いていればよかったのだが、どこも空いていないのだから仕方ない。
うろうろするユリア嬢に「汚れてもいいから」と地べたに座らせ、二人で仲良くジャムの載ったそれを食べる。こんなものをあまり手で食べることはないだろうユリア嬢は俺の真似をするように不器用に齧っていた。
「美味しい」
「ならよかった」
ほかにどんなものが売ってたんだと聞くと、クッキーだの、紅茶だの、果実水だのが売っていたそうだ。なるほど。
「ルカの店より安かった?」
「えっ? ええ、平民向けのお店とのことですし、安かったと」
「ほーん」
タルトの残りを口の動きだけで押し込み、膝に肘を立てて頬杖を突く。
「なあ、ユリア嬢」
「はい?」
未だにタルトを食べ切れていないユリア嬢の顔を見ずに、問う。
「今日の服、ちょうどいいって言われなかったか?」
「……ええ、着替えさせてもらったときに」
「でもお嬢様には少し大きいよな」
「ええ」
「どうしてだ?」
タルト生地の粉が付いた指の腹を舐める。ユリア嬢から答えはない。考え込むような姿を横目に、アレク殿下とシュリー嬢が消えていったカフェを眺める。テラス席には姿が見えないので中にいるのだろう。さてはて何の話をしているのやら。懐中時計を取り出し、時間を見る。昼の三時。そろそろ向こうのデートは解散だろう。シュリー嬢の予定は知ったこっちゃないが、
立ち上がって、ズボンの尻の埃を払う。
「さてお嬢様、小腹が空きませんか?」
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