12 獣たちが捧げたもの
「俺のことは呼び捨てで。敬語も要らない」
「そんな!」
そう青ざめるユリア嬢をひとしきりからかってから、俺は欠伸を噛み締める。今日も今日とて目覚めが悪い。ポケットから懐中時計を取り出して時間を見る。まだしばらく目的地に着くにはかかる。ああ、そうだ。
「ユリア嬢。行きの馬車はどうだった。誰かに会えたか」
「……。ええ、ルカの店でケーキを買ってくるよう仰ったでしょう? その時に、バルト伯爵家のアガーテ様とフォンテーヌ伯爵家のデジレ様とお会いしました。ノエ様の仰る通りにごまかしておきましたが」
「敬語」
「……ごまかしたけれど」
居心地の悪そうな顔で、ユリア嬢は答える。ああ、やっぱりいたか。ルカの店は美味しいと評判の貴族御用達店だ。行くと“聞いて”いたので、会えればいいなと予定を組んだ。ユリア嬢に行ってもらった道のりはだいたい人目に付いてかつ、
「ノエ様……ええっと、ノエ。その、どうしてわたくしたちはこんな格好を」
しているの、と尻すぼみになっていくユリア嬢の声に何を今更と首を傾げる。
「バカ王子が平民視察の名の下で遊び倒すんだから、貴族の格好してついていくわけにはいかないだろ?」
そんなことをすればどう見ても不審者だし、尾行してますと宣言しているようなものだ。ただ、さすがにそれはユリア嬢も承知しているらしい。
「それは、そうかもしれないですけ、……けれど。いえ、そうではなく」
「もう少し小綺麗な格好もあっただろうって?」
先回りするとユリア嬢がすごく不本意な顔で頷く。言いたいことはわからなくもない。わからなくもないが……。ここで答えなくてもいいか。
「まあ、それは後々」
「ノエ様!」
頬を上気させるユリア嬢に悪い悪いと謝り、ズボンのポケットからハンカチに包んだドライフルーツを差し出す。砂糖をまぶしてあるので、甘い。
「ノエさ……っ、甘いものがお好、好きなのね」
「辛いものよりは、そうだな」
バレたか。さほど重要な秘密でもないのだが、なんとなく少し恥ずかしくて苦笑いになる。ただ、辛いものより甘いものの方が頭に良いに決まっている。というよりも辛いや苦い物を食べるというのは俺にとってはイコール徹夜中なので良い思い出がない。目覚まし代わりに香辛料だけを舐め続ける身にもなってほしい。どうあがいても甘いものが好きになるに決まっているだろ。というわけで我が家は家族全員甘味を信仰している。
差し出したうちの一つ摘まんで、端を齧るユリア嬢がふと思い立ったように顔を上げた。
「ノエ様」
「なんだ」
今この姿に対しての様付は違和感が凄まじいんだが。ただ、すっと背筋を伸ばす姿に、茶々を入れるのは諦めた。
そして彼女は深々と頭を下げる。ひと纏めにされた銀色の髪が、肩を流れる。
「遅くなりましたが、改めてお礼を。このような場で申し上げるものではないと承知しておりますし、お礼としてお渡しできるものもなく……非常識で大変恥ずかしいのですが、あまりこのように人目を気にせずに話す機会もなく……。申し訳ありません」
…………。
「ノエ様?」
お、おう。少し、面食らってしまった。果物を齧って、手を振る。
「礼ならもう貰ったし。それに気づいてるだろ、別にこれは善意でやってることじゃない」
俺はユリア嬢を助けてやらないと、と義憤に駆られて動いたわけではない。ロジェに言われて渋々動く羽目になって、一番手っ取り早い解決策がユリア嬢とグレースをくっつけることだっただけだ。そしてそれは言うまでもなく、ユリア嬢は気づいているはずだ。
そしてやはりユリア嬢は小さく笑う。
「ええ。ノエ様は“どちらでもいい”と仰いましたし、ロジェ様は“噂を何とかしろと言ったはずだ”と仰っていましたし」
ロジェに噂を流すことを話したときか。そういえば言っていたな。
「なら」
「ですが、それでもわたくしを助けてくださいましたので」
いや、まあ……。まっすぐこちらを見つめるブルーの眼差しが痛い。なんとなく、むず痒くて居心地が悪い。場の空気が耐えられず、頬を掻く。こういうストレートな言葉にはどうも慣れていない。いやいや利用しただけだよ、なんていうのはそれこそユリア嬢の言葉を無下にする。いや、まあ。なあ。息を一つ吐き、溜息のように応える。
「まだ礼を言われるには早いんだけどな。……いいや、どういたしまして」
*
幾分すっきりした顔のユリア嬢の前で、乾物をせっせと口に運ぶ。強烈な甘さが頭の奥に溶けていく。あー染みる。ただその様子を見ていたユリア嬢は苦言を呈する。
「太りますよ……太るわよ」
「気にしてんだけど……」
ふふ、としてやったと言わんばかりに笑みを作るユリア嬢に胸を押さえて俯く。父親があれなのでこれでも気にしているんだよ、すごく。
項垂れる俺に、ユリア嬢が慌てて頭を下げる。いや、全然いいんだよホントホント。表情が緩んできたようで何よりだ。少しは信用されているのだろうか。
「そうだなあ」
がらんごろんと車輪が回る。この道を行き交う馬車や徒歩の人間は当然貴族ではないし、この音にかき消されて外まで声は聞こえない。時間はまだあるので話をしないと場が持たない。沈黙に耐えうるほど俺たちは仲良しこよしではないのだ。
「お嬢様はさ、王家の紋章の秘密を知ってるか?」
「お嬢様というのはやめていただけませんか? ……秘密? いいえ、聞いたことはありませ……ないわ」
口元に指をあて、驚いた仕草をするユリア嬢。本当に? 歴史学者なら知ってる有名な話で、大公妃として授業を受けていてもおかしくないんだが。
「柄の話だよ。知らないか」
「いいえ、知らないわ」
きょとんとした顔に面食らう。えー。本当に? 誰だよ、ユリア嬢の教育係。まあ、確かに知らなくて困る話ではないんだけどさ。どうせ、どうでもいい話として切り捨てられたんだろう。大公家というのは王家に近い分、詳しく教えられないことを良しとする場合もあるし。……反乱を起したりしないように。
「んじゃま、暇潰しにでもなれば。王家の紋章は中央の王冠を四匹の獣が囲っているだろ」
「幻馬、獅子、蛇、鷲の?」
「そうそう。それで知っての通りが四大公爵家そのものを示す。幻獣家、獅子家、蛇家、鷹家。この国の起こりに王の側に立つことを許された者たち。で、この四匹の獣にはそれぞれ一つずつ本来あるべき足りないものがある。……そして、それは王家に対しての忠誠を誓うために捧げられたものだとも」
知らなかったろう、と少しだけ胸を張ってみる。が、ユリア嬢は俺の得意げな顔はどうでもいいらしく、王家の紋を思い出すことに一生懸命だ。肩を一つすくませ、椅子にしていた木箱から、王家の家紋が刺繍された布を取り出す。埃を被っていることはどうぞお気になさらず。
「……何の上に重ねられていたの?」
「魚の
とんでもないものを見る目からそっと目を逸らす。バレたら王家に怒られるだろうが、別に下賜されたものとか記念品とかそういうものじゃない。姉貴の刺繍の練習成果だ。捨てるわけにもいかずここに流れ着いた。うん、身内褒めになるが上手い。
「どうぞ」
「……ええ……」
埃を簡単に払って、ユリア嬢に渡す。非難したそうな目は見ないように。
「…………どう?」
「ちょっと黙っていて」
真剣な顔で刺繍を眺めるユリア嬢にどうぞと笑う。かれこれ数分はにらめっこをしている。まあ、ぱっと見ではわかりづらいものばかりだ。わかりづらくしてあると言ってもいい。暇にかまけて外を覗く。恨めしいほど良く晴れた天気に、凹凸さえバラバラの石を埋め込んだだけの石畳が良く映える。暖かな春の終わりは近い。夏になれば、卒業式だ。
「あの」
「ん」
ぼんやりとしていたらユリア嬢が声をかけてきた。少し尖った口が答えを言っている。
「答えは何?」
わからなかったか。ぱちんと懐中時計を開く。もう目的地に着くはずだ。なら、ここで変なストレスをかける必要はないだろう。俺はユリア嬢の手の中で広げられる紋に、指を差す。
「幻獣には蹄がない」
前足を上げ、角を掲げる幻馬。体毛でうまく隠れているが、よく見れば蹄がない。
「獅子には爪がない」
前足を上げ、口を開く獅子。口の中に牙はあるが、爪は収められたまま。
「蛇には牙がない」
太い身体でとぐろを巻く蛇。その口は閉じられているが舌は覗いており、けれど牙は見えない。
そして、
「鷲には舌がない」
力強く羽ばたき鉤爪を開く鷲。鳴き声を上げるように開かれた嘴の中に、舌はない。
いっそう大きな音がして、馬車が止まる。おお、ぴったし。
「着いたな。どうだ。ちょっとは時間が潰せたか?」
「答えが少し、ずるい気もするのだけれど……。ええ、知らないことだったわ」
それはよかった。今度があるなら暇つぶしのカードを載せておこう。
「さてどうぞ。今から少し歩くぞ」
ユリア嬢の手を取り降りるのを手伝う。降りたのはいつも買い付けをしている卸業者の裏で、王立劇場にはここから十分ほど歩く。さてはて、時間通りにあの二人が来ているのやら。
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