8 ゴシップはお好きですか
「というわけで、よろしく」
ユリア嬢の協力を得られた翌日。昼過ぎにユリア嬢を引き連れて蛇家に突撃した。善は急げとは言わないが、動くならば一刻でも早い方がいい。
努めて明るく、ロジェの肩を叩く。じろっと俺を睨む緑柱石の視線を受け流して、俺はいっそう笑うだけ。何も問題はないだろ? と。
「ノエ、どういうことだ」
堅物蛇が、はー、と息を吐き捨ててやれやれと言わんばかりに首を振る。俺の後ろで、ユリア嬢が恐縮するように小さく震えていた。そんな彼女の姿を見ないふりをして俺はにへらと笑う。どうもこうも。にっちもさっちも。
「言ったとおりだが? 理解できないほど難しいこと言ったか?」
「ノエ」
「仕方ない、優しいお前の友人が話を要約してやろう」
「ノエ」
うんうんと腕組みをして頷く。学年主席でも難しいことを言ってしまったのか俺は。なんてこった。
「お前とユリア嬢の噂を流したい」
「ノエ」
「いいよな。はい解散」
真顔で伝えて、解散解散と回れ右。昨日床で寝てしまったせいで少し体が固い。ユリア嬢は視界の端でおろおろしている。
「ノエ=エグル!」
「……」
ロジェの怒号に、くるりと百八十度回転する。苛立ちを隠しもしないロジェの顔に、髪を掻いた。ちっ、そのまま雰囲気で押し流されてはくれなかったか。
「何の意味がある?」
「余計な仕事を押し付けたお前の困った顔が見たくて……嘘です嘘だって冗談だよ! 拳を下ろせこの脳筋!!」
風を切る音がして、振りあがった拳に防御姿勢を取る。いきなり暴力に訴えるな。野蛮人め。ロジェが拳を下ろしたのを確認してから、俺は姿勢を戻して息を吐く。
「……噂を盛り上げたいんだよ」
今はシュリー嬢と
ユリア嬢に
対立状態を四対四にすれば、ユリア嬢が婚約者を放って遊び歩く女であるという認識が生まれる。第二王子の火遊びがここまでさせてしまったのだとそう後ろ指を指す。ユリア嬢とシュリー嬢、どちらが誰を落とすのか、そんな話題が上がるようになる。そうすれば噂はさらに過熱し、広がるだろう。その状態が欲しい。
「……ノエ、お前には噂をなんとかしろと言ったはずだが」
「何とかしようとしてるじゃないか」
眼鏡の蔓を押し上げて、感情を押し殺した声を出すロジェに俺は思いっきり眉をひそめてやる。俺に事態の収束を依頼したのがそもそもの間違いだろう。心の中で舌を出す。バーカバーカ。
「穏便に終わらせて欲しかったか? そんなの同じことをまた繰り返すだけだ」
穏便に終わらせようとも一応した。でもそれをユリア嬢に断られたのだから仕方ないだろう。徹底的にというのはユリア嬢からのオーダーだ。なんなら赤っ恥をかかせてやろうというのは俺の私怨だ。ロジェからはなんとかしろとしか言われていない。
まあでも。それを差し引いても。俺はロジェに囁く。
「ちょっと目に余るだろう?」
「目に余るというか」
「目の上のたんこぶだろう?」
「……」
「ノエ」
「なんだ?」
宝石みたいな緑色の目がちらりとユリア嬢を見やる。
「具体的には?」
「わかってくれてうれしいよ、親友」
「お前と親友になった覚えはない」
鼻で笑う。まったく。
「まったくだ」
酷い話である。
*
しばらくして、ユリア嬢の噂が悪意と共に流れ始めた。まあ俺が流したんだけど。元々あった噂に継ぎ足ししていくだけだったが思った以上に噂が出回るのが早い。ちょっと人がいるところでユリア嬢に声をかけたり、ちょっと人が居なさそうなところでユリア嬢と一緒に居たりするだけでもうあっという間だ。みんなゴシップ大好きなんだなあ。ユリア嬢が男を引っ掛けて遊び歩いているらしいとの噂を聞くにロジェもうまくやっているらしい。食堂の隅で昼飯をつつきながら、周りの声に耳を澄ませる。
「ノエ様」
「ん」
顔を上げるとユリア嬢がここ良いですか、と尋ねてきた。もちろん、と頷き正面の席を勧める。ひそひそ話が、遠ざかる。
「先日はお誘いいただきまして、ありがとうございました」
「いいや。ユリア嬢の頼みならいつでも」
完璧な笑顔で微笑むユリア嬢にこちらもだらしなく笑ってみせた。
俺たちのやり取りに耳を澄ませる周囲に気づかないふりをして、会話を続ける。どう誤解しようと、会話に尾ひれ背びれ胸びれつこうと知ったことじゃあない。そうやって話をしているとがちゃんっ、と俺の横に食器が置かれる。苛立ちを隠しもしないロジェが無言で俺の横に座った。…………怖……。
身体をそっとロジェから離す俺にロジェは知らない顔をして黙々と食事をする。何食ってんのかなと盗み見る。………! 食堂で一番高いやつじゃないか。
「ああそうだ。ユリア嬢。今、街に大きな行商が来てるの知ってる?」
「え? ……ええ。友人も最近遊びに行ったそうですの」
へー何買ったって? と会話を続ける俺とユリア嬢を完全無視してガチャガチャと食事を進めるロジェ。ロジェがこんなに音を立てて食事をするのは聞いたことがない。怒ってるなー。
ちらちらとこちらを伺う視線に気づかれるように、ユリア嬢を誘う。
「じゃあ今度、俺と是非」
「よろしいのですか? 楽しみですわ」
ガチャン! とけたたましい音が隣でする。食器の載ったトレーを手に、一言も話さないままロジェが消えていく。周りは嫉妬とみるか、呆れとみるか。
「蛇家が、セルペンテ様が……。噂はやはり」
「ロジェ様のあんな姿、わたくし」
うんうん。いい感じだ。まあ、あれ。ただ恥ずかしすぎてああなってるだけだけどな。
*
食堂事件から二日ほど間を空けて、授業が終わった二学年の教室に顔を出すと都合よくユリア嬢がアレク殿下と言い争っていた。遠巻きに眺めるクラスメイト達は俺が来たことにも気づかず、ざわざわと成り行きを見守っている。
「ですから、わたくしはそのようなこと」
「ならどうしてシュリーのインクがすべてぶちまけられるんだ!」
床に転がる瓶からインクが垂れる。飛び散った紺色のインクは、誰かが落としただろうことは明白で。落とした時にインクを被ったらしい、制服を胸の辺りからべったり汚したシュリー嬢がアレクいいの、首を振っている。インクに汚れたハンカチを握っているが、モノがいいのでユリア嬢のものだろう。アレク殿下のものなら
「ユリア、君がぶつかったんだろう!」
「ええ、ですからそれについては謝罪しております。けれど、インク瓶の蓋が開いていたのはシュリー様の不手際だと申し上げているのです」
あらかじめインク蓋を緩めておいてシュリー嬢にぶつかっただろう、と言われているらしい。なかなか手間な作業を求められているな、ユリア嬢。
悪事を認めないユリア嬢にアレク殿下が声を張り上げる。廊下にいた生徒がその声に教室を覗き込んだ。
「なぜ君は謝罪しない!? なぜ君は自分が悪くないと言い切るんだ! シュリーに当たった、それで瓶の蓋が外れてシュリーの制服を汚した、それは今ここで起こった事実だろう!?」
「いいえ。わたくしが当たったくらいでインク瓶の蓋が外れたりなんてしません。床に当たって外れたならともかく、シュリー様の手元から転がった時点で蓋が緩んでいたではありませんか。ですから、ぶつかったことに謝罪はしております。インクについてもすぐに洗った方が良いでしょうと申し上げました」
淡々と言葉を返すユリア嬢に、アレク殿下が怒りに拳を握る。シュリー嬢がアレク殿下の腕に手を回し、わたしが瓶の蓋をちゃんとしめなかったかもしれないからとそう言い縋る。その姿にまた、周りはシュリー嬢を美化する。“あんな優しい令嬢に、ユリア=ベイツ侯爵令嬢はあんなひどいことをする”と。そしてこの話も五人ほど伝言ゲームをすれば、この“ベイツ侯爵令嬢がロット子爵令嬢にインクをぶっかけた”に話が変わっているだろう。
「……ノエ様!」
と。
教室の外から眺めていた俺を見つけたらしいユリア嬢が口元を綻ばせる。俺はそれに肩をすくめ、アレク殿下に向かって礼を取る。
「友人を待たせておりますので、これで失礼いたします。ごきげんよう、アレク様」
「ユリア!」
アレク殿下の制止の声を無視して、ユリア嬢は制服のスカートの裾をちょこんと摘まんで足を折る。その完璧な礼は一瞬だけで、そのあとはアレク殿下には見向きもせずに俺のところへ。ユリア嬢に手を貸す。いやはや、不釣り合いすぎて美女に鴉だと思われてんだろうなあ。悲しい。
「エグル? ……ノエ=エグル! 鷹公爵家の子息ともあろうものが、王家を無視するのか?」
ユリア嬢に相手にされないと思ったからだろう、矛先が俺に向く。というかさっき礼を取ったじゃん。見てただろ、知ってるぞ。膝をついてまでの挨拶を求めてるのか? というかインクまみれのシュリー嬢を早く連れて行ってやれ。
「……滅相もございません。アレク第二王子殿下」
ただ、この場で不敬だなんだとケチを付けられても面白くない。
ユリア嬢から手を放し、胸に手を当て腰を折る。ごっきげんうるわしゅー。透けるような空色の目がこちらを睨む。幻獣家が吹き込んだのか、アレク殿下は愚鈍な鷹家のことを嫌っているらしい。いやまあ、好きにすりゃいいんだけど。
「鷹家のお前が何の用だ」
「ユリア嬢と姉が親しくしておりまして。その縁で今から勉強会でもと」
姿勢を崩さずに、そう伝える。ふん、と鼻を鳴らす音がする。アレク王子に頭を垂れる
「鷹家の子息は成績が振るわないと聞いているが? 姉の出涸らししか残ってなかったと見える。鷹公爵も苦労されるな」
バカにしたような声ににへらと笑う。ユリア嬢が顔を引きつらせるが、それよりも早く口を開いた。
「お恥ずかしい話です。一層励みますので何卒ご容赦を。……ああ! 心配なさらなくとも、身の程は弁えております。ユリア嬢と二人きりなんてことはございませんよ。ロジェ=セルペンテとシルヴァン殿下も同席なさいます」
「当然だろう、鷹家ごときが過分な夢を見るな。はっ……ユリア。婚約者のわたしではなく、兄上か!」
「勉強をしているだけです。やましいことはありません」
くるりと俺を放って踵を返すユリア嬢に、俺もそれでは御前失礼いたしますと告げて、その後ろを追いかける。相変わらず上から下まで真っ黒で陰気なやつだとそう吐き捨てる声が背中に当たった。……制服が黒なんだから仕方ないだろーが。
「ユリア嬢」
つかつかと早足で三学年の棟への渡り廊下まで辿り着いたユリア嬢に声をかける。というかそこまで追いつけなかった。足はえぇ。
「のえさま」
くるりとこちらを振り向くユリア嬢。銀髪が綺麗に弧を描く。アレク殿下の三文芝居に付き合っていたせいで、うちの学年のほとんどが帰ったか図書館に行ったかその他どこかへ移動したらしく、渡り廊下に人気はない。キッと吊り上がったユリア嬢の目はどうも怒っているらしいが……どうした。
「……アレク様が、失礼を申し上げました。婚約者に代わってお詫び申し上げます」
スカートの裾を摘まみ、頭を下げるユリア嬢に、俺は頬を掻くしかない。
言いたいことは、わかる。あの場でアレク殿下がしたのははっきり言えば鷹公爵家への侮辱だ。次の公爵が頭の悪いお前なんて現公爵は頭が痛いだろう、可哀想にと言われたわけだ。
要は権力を笠に着るなという話だ。
「気にしてない気にしてない。成績悪いのは事実だしな」
人前でああいうことをするんだーへえーふーんと心が冷めただけ。あっちの方がよっぽど典型的ないじめじゃね? 人前で人を馬鹿にして嘲笑うなんざ。いや、いいんだけどね。別に。
ひらひらと手を振る俺に、ユリア嬢はいいえと首を振る。
「あんなことあってはなりません。王家を名乗るのであれば、臣下を馬鹿にするようなことはとんでもないことです」
「おっしゃるとおりで」
軽く息を吐く。ユリア嬢の言葉はもっともすぎる。
臣下を馬鹿にするのはそのまま自分を馬鹿にするようなものなのに、あのバカ王子はそれがわからないらしい。でもまあ。
「ユリア嬢に謝ってもらうことでもないし。別に気にしてない気にしてない」
ロジェが待ってるから早く行こうと声をかけて手を差し出す。あのバカにこれ以上思考を割くのは時間が勿体ない。
「ほら。次の考査で、出やすいところ教えてやるよ」
俺ではなく主に、ロジェが。
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