7 存在しない話をしよう
ユリア嬢が落ち着くまで、部屋を追い出されてしばらく。
まだ目が赤いし瞼は腫れているが、いいのかと聞くと頷くので、姉にお伺いを立ててから椅子に座る。なぜ姉にお伺いを立てなければならないのか。……弟というのは姉が誰より怖いんだよ。
「で、どこから話そうか」
カップを持つ手も唇もいまだ震えているが、ユリア嬢が俺の言葉に続ける。
「ノエ様、その。そもそも……どうやって……その。あれを……」
「ああ、ユリア嬢に渡した土産の話?」
余計なことを思い出させてしまったのか、ユリア嬢の肩が跳ねる。姉貴の視線がとても痛いが、ほかにどうとも言いようがない。アレク殿下の悪行とでも言うか? もっと最悪じゃね?
まあ、それはさておき。
「ユリア嬢。その話の前に、一つ約束していただけますか」
机に肘をつき、両の指を合わせる。姉からの制止はないので、黙認されたと判断する。最悪俺の独断扱いとなるが。ただ、知らなくてもよかった事実をユリア嬢に突きつけたのだから、少しくらいは説明すべきだろう。
「今から話す話は存在しない話です。ご理解いただけますね?」
「……ええ」
人の口に戸は立てられないが、箝口令を引くことには意味がある。というより、俺にはその言葉が意味を持つ。
「運命共同体とは言わないが、この件について
「ええ、それは勿論ですが……」
いまいち意図を汲めていないユリア嬢が首を傾げる。俺はそれににへらと笑い、
「俺は風の精霊が扱えるんだ」
「……はい?」
ユリア嬢が眉をひそめた。形よく整った眉が、これでもかというほどへにゃりと曲がる。いやまあ別に珍しくもなんともないのはわかっているけども。なんなら学年ごとの成績は廊下にでかでかと貼り出されるので、俺の精霊学の見るも無残な成績を知っているかもしれないけども。でもそんなあからさまに怪訝な顔をしないでほしい。自信を無くしてしまう。馬鹿にしているんですか、と言いたげな顔にいやいやまあ待てと首を振る。重要なのはここからなんだよ、ユリア嬢。
シュリー嬢にも授業してやったが、この国で人間が好かれる精霊で一、二を争うのが風の精霊だ。が、一般論として一番有用性が低いのも風の精霊になる。理由はとても単純で、少々の風が吹いたところで空が飛べるわけでもなし、喉を潤せるわけでも暖をとれるわけでもない。いわゆる攻撃魔法に近いものも精霊は扱うことができるが、その中でも風は一番力が弱い、と言われている。精霊に特別好かれたり、特別強く精霊に命令する力を持っていれば竜巻レベルは起こせるのだろうが、そこまでの人間はなかなか出ない。それならば小さな力でも十分脅威となりうる火や水の方がよっぽど扱いやすくて有用なのだ。なお、土の精霊についてはそもそも呼び出せる人間が少ないのであまり議論に上がらないが、防壁を作らせれば精霊随一。初代王が王城を土の精霊に作らせたのは、限りなく最適解に近い。
なおかつ。
「水の精霊は治癒を、火の精霊は浄化を、土の精霊は阻害を、風の精霊は伝令をとは授業で習うと思うが」
「各精霊の特性ですね」
さすが未来の大公妃。シュリー嬢と違ってまじめに勉強している。
で、風の精霊の『伝令』というのがまた使いづらい。ある地点からある地点へ情報をやり取りしてくれるというものだが、例えば俺とユリア嬢がこれを使って話をするのであれば、俺とユリア嬢のどちらもが風の精霊を呼び出せないといけない。また、精霊は人間を見分けてなどいないので、『伝令』された内容を呼び出すための符号が必要になる。つまり符号さえ知っていればユリア嬢と俺以外にも話が筒抜けになってしまうわけで、下手な機密は『伝令』なんかで運ぶのはむしろ危険なわけだ。さらに、精霊は嘘を吐くという概念がない一方、言い回しの工夫はない。一言一句間違いなく伝えてくれるが、細かいニュアンスを伝えるのが難しいのだ。つまり、伝書鳩や手紙よりよっぽど早く情報のやり取りができるが、使い道が限定され過ぎている。
と。ここまでがアカデミーの授業で取り扱う学習範囲。一般認識と、一般常識と一般教養の範囲。
「なら、風の精霊は物知りだって話は知ってるだろ」
ただ、忘れることなかれ。鷹公爵は『伝令』の一族だ。
この風の精霊の『伝令』という特性だが。これを説明するにはもう少し精霊学の授業をする必要がある。そもそも精霊に『個』という考えはない。他者と自己という区別はない。
要は精霊とは四属性の区別以上の区別はなく、風の精霊であれば誰も彼もどれもこれも同一の存在なのだ。一方でA地点にいる精霊とB地点にいる精霊を別の存在として定義する場合もあるのだが、特例的な話になるので基本的には同一として扱われる。区別する必要がないとみなすと言えばいいだろうか。
アカデミーだと非常に乱暴に「精霊は属性が一致しているのなら同一の存在」と学ぶ。間違ってはいない。雑だとは思う。そして、これを承知しておかないと精霊を本当の意味でうまく扱えないのだがそれはまあ割愛して。
前置きが長くなったが、つまり何が言いたいかというと人間が『伝令』と呼ぶ風の精霊の特性は根本的に人間が行う『伝令』とは異なる。誰か一人がある風の精霊に話をした内容はその瞬間に別の風の精霊にとっても“聞いた話”となるからだ。感覚的だが伝える力ではなく記録し、共有する力を持っているというイメージが近い。
そして、その特性ゆえに風の精霊は「何でも知っている」と考えられている。
なお、風以外の精霊については人間の話や行動などに特段興味がないらしく、こういう“人間の話や行動を蓄積する”という習性はない。これは『伝令』の特性を持つ精霊だからこその性質だ。
「精霊の声が聞こえるのが精霊を扱えるものの中でも二十人に一人くらいのはずです。ノエ様はそれだと?」
「まあ、そういうこと」
じっ、とこちらを推し量るような眼から視線を逸らし、紅茶をすする。
「風の精霊からあの話を聞いたとそう仰りたいのですか」
「概ねその理解で問題はないけど」
「……ノエ様、失礼ですが」
「言いたいことはわかるが、ちょっと待ってほしい」
そうだよな。それだけじゃ満足しないよな。だって、風の精霊は扱える人間がこの国で一番多いんだから。精霊に好かれた人間の二十人に一人くらいの割合で精霊の声を聴き分けられる人間がいるのであれば、単純に風の精霊の声を聴けるものが一番多い計算になる。それならば、俺がユリア嬢に渡した『土産話』だって学年違いの俺が伝える前に誰かがユリア嬢に伝えていてもおかしくない。それに。
それに、とユリア嬢が続ける。
「そもそも。確かに風の精霊が物知りであるとは考えられています。けれどそれを証明できたことはないはずです」
「一文字一句教科書通りじゃないか? 満点をあげよう」
「ノエ様」
白い目を向けられる。別にふざけてるつもりはないんだが。
ユリア嬢の言葉は事実だ。それくらいは俺もわかっている。風の精霊の特性が『伝令』という名で偽られた『全知』であるならば、その有用性は見直されるべきだからだ。ありとあらゆる情報が座っていても手に入るなんて、そんな素晴らしいことはない。けれど、現実問題そんなことをしている人間もそんなことができる人間もそんなことをできるとのたまう人間もどこにもいない。
けれど、今日その認識は捨ててほしい。
「できると言えば?」
「…………馬鹿にしていらっしゃるわけではないのですね?」
「嘘を言ったところで利益はないからな。……ああ、そりゃ俺がアレク殿下側の人間ならその考えもありうるか」
ノエ、と姉から咎める声が聞こえる。む。別にからかってるわけじゃないぞ。
まあでもこれ以上話が逸れるのも困るので、さっさと手のひらを返しておく。
「嘘はついてない」
ただ、これ以上はちょっと話をするのもどうかと思う。たかだかアカデミーの火遊び位の話で、鷹家の機密を話す気にはならない。別に俺の説明をユリア嬢に信じてもらう必要はないし。
何か言いたげな口が、ぐっとこらえるのが見えた。
「信じる信じないは好きにしてくれていい。事実として俺はユリア嬢に情報を渡したし、それの正当性はユリア嬢が証明した。それだけだ」
別に俺が人を雇って情報を集めたとしても風の精霊が俺に情報を与えてくれていたとしても、得られた情報の正しささえ保証されるのならその手段などはっきり言ってどうでもいいだろ。そう言外に言う俺の言葉にユリア嬢はしぶしぶだが納得したらしい。
手順の話がいる? と聞けば頷くので続ける。
「気づいてるかもしれないが。ユリア嬢がシュリー嬢の教科書を隠したと咎められたのが、月の初日。教科書を破いたと言われたのが次週。さらに一週空いて、シュリー嬢のネックレスが行方不明。全部、出入りの商人がアカデミーに来る日だ。だからアレク殿下はぼろぼろになった教科書も行方不明になったネックレスもすぐシュリー嬢に買い与えている。意図的だろ?」
右手を順に折っていく。なんだか口さみしいので左手を伸ばし、ビスケットを手に取った。
「で、だ。次はこれらの日のアレク殿下の動きを風の精霊に教えてもらえばいい。移動教室でも実技でもなんでもいいが教室が空になる時間があるか。アレク殿下がその教室に入るタイミングがあったか。……シュリー嬢の私物を触ったか、だ」
ビスケットを齧る。スコーンよりはましだが、口の中の水分が持っていかれてつい顔が歪む。食べるものを失敗したかもしれない。
「んで。結論から言うとあったし、犯人はアレク殿下だ」
見事なまでの自作自演。その口でユリア嬢を陥れていたのだから、王よりも役者が天職だろう。そこまでしてシュリー嬢の好意が欲しいのかは甚だ疑問だが、問いただす気力はない。
もそもそとビスケットの残りを齧る。
「むぐ。そこからの予想は簡単だ、次の商人の出入りの日とアレク殿下の時間割を確認すればいい。結果はユリア嬢が見た通り」
ユリア嬢が見たのは、多分、アレク殿下がシュリー嬢の私物をユリア嬢の荷物に紛れ込ませる姿だろう。
……まあ。これだけのことをやってバレたら王家としても大恥、いや大恥では済まない。幻獣家も手を引くだろうし、なんなら廃嫡されてもおかしくない。万が一うまくしてやったなんて思っているなら、下の位であるベイツ家から破談の言葉がないなんて高を括っているのなら、開いた口が塞がらない。今はアカデミーの中で収まっているから噂以上のことを誰も調べないし、何も言わないだけ。これでベイツ侯爵家が王家に破談を申し出たら、もう少し騒ぎは大きくなる。王家との婚姻は子供同士の口約束ではないのだ。
「で」
「はい」
こちらのネタバラシは終わったので。
頬杖を突き、意地が悪いと思いつつ笑う。
「座って待ってりゃ事態が収まってるなんて思っちゃいないよな?」
俺の目線にすっと背筋を伸ばす令嬢。心配しなくても取って食いやしないぞ。
「とりあえず、ロジェ=セルペンテから落としていこうか」
*
「ノエ」
「んー」
人に声をかけておいて、声をかけた本人である姉は俺の顔を見て盛大にため息を吐く。頭が痛いと言わんばかりの顔だ。ひどくね? ユリア嬢にはお帰り頂いたので、部屋には姉と二人きりだ。
気づけば日も暮れて、とっぷりと夜の帳が下りてきている。あー……眠い。欠伸を噛み締める俺に、姉はむっと口をとがらせる。
「ノエ、彼女に失礼でしょう」
「わかってやってるに決まってるだろ」
ユリア嬢に対する言動を叱られているらしい。ただ、そんなことわかっている。この貴族社会で俺が公爵家の子息相応の態度をとるなら、それはもはや
ふーんと不服そうにこちらを眺める姉から視線を外す。気が抜けたのかうつらうつらとしかける俺に姉の声は容赦がない。
「部屋を片付けるまで寝ちゃだめよ」
「……はいはい」
本当に容赦がない。くっそ、泣きそうだ。伸びを一つ。目をこすって挨拶もそこそこ席を立つ。欠伸と一緒に涙が零れる。
諜報と伝令の一族。そう一言にいってもそのやり方は様々だ。大きく分けるなら三種類。
一つは鷹公爵お抱えの諜報機関。お抱えいうと語弊があるが、
二つ目は自力。姉貴が良くするのがこれ。人の信頼を得て、人を使って、人の懐に入り込む。人の弱みも握れば脅しもする。つまり我が姉に逆らってはならない。
そして、三つ目が風の精霊の特性と習性を使うことだ。今回俺がしたのはこれで、ユリア嬢には否定されたし教科書にも載っていないが、風の精霊は間違いなく『全知』である。うちが公爵家になったのだって、この功績が大きい。
――といっても。別にこれは鷹家の秘術があるわけでも何でもない。鷹家が外に語ることは決してないが、風の精霊の声さえ聞こえるのであれば、やろうと思えば誰でもできる。…………やろうと、思えば。
鷹家の始祖が気づいたそうだ、ありとあらゆる言葉が『伝令』の符号になりうると。
ただ、彼らにとって好きか嫌いかの区別はあれ人間は人間でしかないし、顔を見分けてるわけでも名前で呼び分けているわけでもない。「アレク殿下が今、どこで何をしているか教えてほしい」なんて絶対に伝わらない。人間の付けた国の名前も町の名前も通りの名前も知ったことじゃないし、『起こったこと』を起こったとおりに“知っている”だけなので、それが『嘘』や『演技』なのか、『本心』からくるものなのかの判断が精霊にはできない。
しかも人間とは違う時間を生きているためか、時間軸と場所の特定が難しい。“「シュリー、愛してるよ」と言った人間”なんて符号に使おうものなら神代の時代から現在に至るまで国内から国外に至るまで“そう言っただけの誰か”の話を永遠喋り続けてしまう。要は基準を与えて喋ってもらうのに、精霊に『伝令』させるための符号を一致させるのに『コツ』がいる。が、これは最終的には気力と根性がものを言う。
要は、二徹でも三徹でもして欲しい情報が出るまで彼らの話を聞き続ければいいだけなのだから。
自室の戸を開ける。
書き散らした紙が床に散らばる、その惨状に眩暈がする。今回はそれでもマシな方だ。アレク殿下も王家の血筋なだけあって、風の精霊に嫌われていないし、俺がアレク殿下を知っている。だから、国民全員のうちの誰かみたいな砂漠で落とした砂を探すような作業よりはずっと楽だったのだから。シュリー嬢も同じく。
一応機密扱いになるので自分で片づけるしかない紙切れを拾い集めながら、深々と溜息をつく。
精霊のこんな特性に気づいた上に、並々ならぬ気力と根性を持ち合わせていただろう、鷹家の始祖にこぶしを握る。おかげさまで公爵家になって良い生活ができていますが、これほんとどうやって発見したんだよ、余計なもん見つけやがって。
せめて精霊に「明日また続きから喋って」ができるならどれだけよかっただろうか。
目が覚めたら床で紙の束を抱いて寝てたのは別の話。
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