4 敵じゃないと言ってるだけ
一週間と少し後の、晴れた昼下がり。
侯爵家の家紋入りの馬車に揺られて、姉の呼び出しに応じたユリア嬢が我が家にやってきた。侯爵家としては公爵家の呼び出しは無視できるものではない。そのうえ幻獣と獅子に睨まれ、
加えてお誘いはローゼ=エグルの名前だ。アカデミーも卒業済みの、完全なる第三者。この立場は美味しい。頭が良いとの評判もあるし、何か助言でももらえればと思うのは当然だろう。
まあ、居るのは俺なんだけど。
「……ノエ、様?」
「ご機嫌いかがですか。ユリア嬢」
マリンブルーのドレスに銀色の髪と青みを帯びた目がよく映える。公爵家に来るのだ、一等良いものを着て来たに違いない。準備にも時間がかかっているだろうに、相手が俺で申し訳なくなる。明らかに怪訝な顔で身を引くユリア嬢に、せめてできる限り明るく笑ってみるが、ロジェならともかく俺の平凡顔では彼女を安心させる要素はどこにもなかったらしい。困惑が顔に張り付いている。
「ごきげんよう、ノエ様。……あの、わたくし、今日はローゼ様に招待を受けたのですが」
「申し訳ありません。姉も同席しますが、用があるのは私なんです」
「どういうことですか……?」
ユリア嬢の瞳孔が開く、視線が泳ぐ。どう動くべきか悩んでいる。俺はまあまあと声をかけ、
「どうぞお掛けください。いえね、あなたの今後についてお話したくてお呼びしたんですよ」
*
結局。結局凍り付いた場を溶かしたのは姉だった。
遅れて入った姉は「馬鹿にするために呼ばれたのであれば帰ります」と踵を返そうとしたユリア嬢を引き留め、椅子に座らせ、茶を入れた。
「愚弟がごめんなさいね。悪気はあっても悪意はないのよ。お話を聞いてくださると嬉しいわ」
お詫びにたくさん食べていってね、とテーブルいっぱいに菓子を並べ手ずから茶を注いだカップをソーサーに載せる。カップは二つ。当然のように俺の前には何もない。というより今サラッと悪口を言われた気がする。
「悪気があったら困るだろ……」
ぼそりと言い返すが、無視された。
「あの……。ローゼ様、わたくし」
「ええ、知っているわ。身に覚えのない辱めを受けているのでしょう? 謂れのない嘲笑を受けているのでしょう? それが事実ではないと私たちは知っているから、どうぞ安心なさって?」
優しい眼差しが令嬢に向けられる。わずかに警戒心を解いた様子のユリア嬢を横目に、ティーポットに手を伸ばす。が、姉の手に弾かれた。こちらを一切見ていないくせに的確に当ててくるそれに感動しながら、今度は菓子の方に手を出す。左足を踏まれた。ヒールが足の甲に食い込んで悲鳴も上げられない。ユリア嬢に向ける優しさの一割でも弟に向けることができないのかこの姉貴。
「ノエ、貴方がそんなんだから信用してもらえないのよ」
「……はあ、まあ、そうですね」
姉の言葉に頭を掻き、生あくびを喰う。ユリア嬢が来る直前までこちらもいろいろとすることがあったのだ。なんならすぐにでもベッドとお友達になりたい。
もちろん、ただの冗談だ。
「ユリア嬢。……あー、堅苦しい話と面倒な手順はすべて省略してもいいか。あと、口調も。……単刀直入に聞かせてほしい。ユリア嬢は、第二王子と結婚したいか?」
「なっ」
視線を姉からユリア嬢に移し、居住まいを正す。回りくどい話し方と、貴族同士の腹の探り合いなんて興味がない。時間の無駄だ。できる限り迅速に、本心を教えてほしい。
俺の言葉に一瞬わずかに表情が引きつる。ソーサーから動かないカップを握る手に力が籠る。
「ノエ様、鷹公爵とは言え失礼ではありませんか?」
吊り上がった瞳がこちらを睨む。
まあ、そうだけども。それを承知で言ってるんだよな、こっちは。姉の視線が痛い。さてはて、どうしたら伝わるものか。思考を巡らせること一秒以下。こほんとわざとらしく咳払いなんてしてみる。
「ユリア嬢、この場で姉と私に公爵家としての言葉を求めますか? ……それとも、俺に学友として助けてほしい?」
探るような青い目が、俺の言葉の意図を正しく汲む。思った以上にユリア嬢は頭が良い。そう、他家の貴族たちが公に動いていない今の状況で『鷹公爵家』として回答をすることに現状を変える力はない。“何もできないけど未来の大公妃として頑張ってね”。以上終了だ。今の状況はただアカデミーの中でひどい噂が出回っている、それだけなのだから。
だから、現状に助けを求めてここに来たのなら、貴族家と貴族家ではなく、個人と個人の話になる。
「……わたくしは、アレク殿下をお慕いしております」
そして吐き出されるのは、はっきりとした言葉。まっすぐこちらを見て、そう答える。
いいね、実に婉曲な言葉だ。イエスでもノーでもないのが、
「少なくとも結婚したいって即答はできない、って? まあそうだろうけどもさ」
「わたくしの意志でなかったことにできるものでもありませんので」
「そりゃそうだ。王家との結婚だからな」
皿からクッキーを摘まむ。じっと俺を値踏みするような視線は気にしないふり。姉貴は知らない顔をして茶をすすっている。……なあ、姉。俺の分は?
「ノエ様。先程仰いましたね。わたくしを助けてくださるのですか」
すっと背筋を伸ばし椅子に座る令嬢。先程から一度も逸れない青い目。ああ、きっと妃としての教育は一通り受けているだろうに。第二王子があんなことにならなければありもしない非難を受ける謂れはなかったはずだろうに。クッキーを齧り、飲み込んでから答える。
「一応今のところその予定だけど。いらないならそれでもいいぞ。俺としてはユリア嬢が“いいえ噂のようなことは一切ありません。第二王子が狂ってるだけです”って卒業まで言い続けてくれるならそれでいい」
「ノエ」
「事実だろ?」
姉の窘める声を遮る。だってそうだ。子爵令嬢に入れ込み、ついでに王位を狙うなんざ。狂っている以外に何がある。
食いかけのクッキーの残りを口に放り込み、指を舐める。その様子に顔を曇らせるユリア嬢が息を吐く。
「……具体的にはどのように、です? 公爵家としての力ではなく、ノエ様個人としてどうわたくしを助けてくださる、と?」
「だから聞いたろ? 第二王子と結婚したいかって。ユリア嬢がそれでもどうしてもあの
グレースとユリア嬢。この二人はそれぞれ噂の渦中の人間だが、この二人が隣に並んで“ユリア嬢が第一王子と通じているなんて真っ赤な嘘ですよ。だって私たち友人になったんです。お互いの誤解は解けました”とでも言えば今回の噂は概ね鎮火できる。要は“第二王子の婚約者が第一王子を狙っている”という噂話が面白くなくなる。第一王子を婚約者から奪おうとする悪女と第一王子の婚約者という対立要素がなくなるからだ。ドレスの流行が毎年変わるのと同じように面白くなくなった噂は消えるのが早い。また、二人を引っ付けて友人にしてしまえば噂を作った人間であろうと大きな声をあげられなくなる。グレースの取り巻きだって『公爵令嬢のご友人』を面と向かって悪く言うことも『第一王子と第二王子の婚約者たち』の目の前で二人の噂話をすることもできなくなる。
あとはユリア嬢がグレースに引っ付いて一人にならないようにすればいい。そうすればシュリー嬢への嫌がらせも成立しなくなる。公爵令嬢の証言は強い。そのあとのことは知らないが、とりあえずこの噂に関してはそれで話が終わるだろう。
ただ。
「ただ、今回の件について
肘をついて、両手の指を合わせてみる。
側妃や愛妾が公的に認められるのは血筋を途絶えさせるわけにいかない王だけであり一夫多妻・一妻多夫の思考は基本この国にはない。つまり将来的に王妃となるグレースなら
「あの色狂いの状態が今回の話だけで終わるとは思えないしな。だからユリア嬢がアレク殿下と結婚したくないってならちょっと突いてやろうかなと。アレク殿下とは結婚したくないけど大公妃にはなりたいって希望があるなら聞くだけなら聞くよ。まあ、アレク殿下以外に大公家になりうる人間居ないから現実的じゃあないけど」
俺なら第二王子の私物を全部池にぶち込んでから、ラッピングして王家に返品する自信があるけどな。まあそこまで過激なことは公には言えたもんじゃないけど。
「どうしてわたくしが、引き下がらなければならないのでしょう」
訴えるような声に、にらみつけるような眼差しに、肩をすくませる。
ユリア嬢に大きな非はない。だからこそ、彼女の父親は王家に抗議だってしているし、娘に「希望するなら手を尽くして婚約を無かったことにしてみせる」と言っている。ただ、ここでユリア嬢が泣いて引き下がるのは言ってしまえば敗北宣言だ。アレク殿下は反省しないだろうし、邪魔者のいなくなったアレク殿下は喜んでシュリー嬢を婚約者に据えるだろう。ちっとも悪くないはずの彼女が婚約者も地位もすべて失って、そのうえ悪者にされることになる。彼女はそれがわかっているから、その言葉に頷くわけにはいかない。
それは貴族の娘としての、第二王子の婚約者としての、プライドだ。
俺はせいぜい、凶悪に笑って見せる。
「もちろんだ。あなたが引き下がる必要はない。盛大に捨ててやるってなら喜んで手を貸すって話だよ」
席を立ち、ダンスに誘うようにユリア嬢に手を差し伸べる。
「まっ、とりあえず。情報提供者ってところくらいから始めませんか」
*
「つーかーれーたー」
「何言ってるの。これからでしょう、ノエ」
ユリア嬢が席を外して早々、そう叫ぶ俺に結局人にしゃべらせてばっかりの置物状態だった姉が茶々を入れる。いや疲れた時に疲れたって言っておかないとなあと。背もたれに仰け反り脱力する。まあ、今日は少なくともユリア嬢に敵じゃないと示せたならばそれでいい。もそもそと口いっぱいに菓子を頬張りながらがらがらと馬車が帰ってくるのをぼんやりと見送る。
結局ユリア嬢から即答されることはなかった。まあこれもある程度予想はついた話だけども。『お土産』を渡して、今日のことはベイツ侯爵にしゃべらないように口止めして帰らせたので、まあべらべらとしゃべることはないだろう。一週間くらいまでに回答が欲しいとも伝えてあるのでそのうち何か向こうからアクションがあるはずだ。
で、この間だらだらと待てるならそれが一番なんだけども。はーっと溜息を込めて欠伸。体を起こしてそのまま机に頭を打ち付ける。
「さて、今度はシュリー嬢に会いに行きますかー」
ずずっとわざとらしく茶をすする音だけで姉からの返事はない。その音立てて茶飲むの、嫌がらせか? 嫌がらせだろ。ハイ皆様ご一緒に。えいえいおー。
……えいえいおー……。
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