街頭アンケート



「アンケートにご協力いただけますか?」



 行き交う靴ばかりの視界に、不意にクリップボードが割り込んできた。

 思わず足を止めてしまう。しまった。こういうのは無視して歩くのが正解なのに。



 顔を上げると、無個性なスーツ姿の女性が立っていた。仮面のような笑顔は真っ直ぐに私に向けられている。

「是非ご協力お願いします。お礼に粗品もご用意しておりますので」



 こうなってしまうともう逃げられない。

 これだけの人の流れの中で、よく私のような断れない人間をピンポイントで見つけ出せるものだ。ティッシュ配りや募金、街頭アンケート、彼らは妙な嗅覚を持っている。



「……何のアンケートでしょうか?」

「逆啓大学UP研究所の者でして、このたびランダムサンプリングでの行動特性調査研究を行っております。データは学術研究目的でのみ用いられ、また匿名で加工され、回答者様の特定はできないようになっておりますのでご安心ください」

 彼女はぺらぺらと慣れた様子でまくし立てる。早口は半分くらいしか聞き取れず、聞き返すのも気が引けた。



「十分ほどでご回答いただけると思います。回答いただけましたらこちらのアップアップくんグッズやギフトカードを差し上げておりますので、お時間ありましたらご協力お願いします」

 あいにく私はこの後暇だった。予定がある、ととっさに嘘をつける性格なら良かったのだけれど。

 押しつけられたアンケート用紙を受け取ってしまうと、逃げることはもうできなくなった。



 頼りないクリップペンシルをつまむように持って、画板を左手で支える。

 年齢、二十歳。性別、女性。


『他人に自己紹介するのが苦手だと感じる』。当てはまる。

『プレッシャーがあるときでもリラックスし、集中できる』。あまり当てはまらない。



 ありふれた性格診断のようだ。さほど考え込まず、適当に丸を付けていく。



『何かを決めるときには主導権を握りたい方だ』。あまり当てはまらない。

『何か行動するとき、つい周りの目を気にしてしまう』。当てはまる。

『人混みの中にいるとき、誰かに見られていたり、見つめられていると感じることがある』。当てはまる。ついさっきもそうだった。

『そのようなとき、実際に誰かに見られている』。当てはまる、だろうか。今日もこうしてアンケート屋に目を付けられたのだし。



『今も背後から視線を感じている』。……当てはまる。



「……あの、これ」

 顔を上げると、仮面のような笑顔の女性は、表情を変えないまま僅かに首を傾げた。

「ん?」

 あまりに無表情な笑顔に、肝の底がすっと冷える。思わずアンケート用紙に目を落とす。



『視線が自宅まで着いてくることがたびたびある』。……当てはまる。


『そのような日は悪夢を見る』。当てはまる。


『目覚めたとき、夢の内容は覚えておらず、ただ嫌な予感だけが残っている』。当てはまる。辺りが妙に静かだ。


『夜出歩く際に強い不安を感じる』。当てはまる。手足が冷えて、ペンを持つ手に上手く力が入らない。


『最近、昼間にも唐突に不安を感じるようになった』。当てはまる。背筋を何かが這い上っている。あるいは私の本能の警告かも知れない。


『最近、現実が白昼夢のように感じられる』。当てはまる。


『今は夢の中である』。……



 私は手を止めて、女性を見上げた。こんなに背が高い人だっただろうか。電信柱のような彼女は、陶器の仮面を被ったまま私を見下ろす。

 ……当てはまらない。多分。手のひらを見下ろす。ちゃんと指が五本、これが揃っているときは現実のはず。

 でも、これが現実なのだとしたら、何が起きているのか。



『今すぐ目覚めたいと思っている』。これが白昼夢でないなら、この文章は何を意味しているだろう。

 当てはまらない、に丸を付ける。それが最後の項目だった。



「……終わりました」

 仮面越しに目を合わせないよう、俯きがちにクリップボードを差し出す。



「ご協力ありがとうございました」

 女性の声と同時に、雑踏の気配が戻ってきたように感じた。

 いつの間にか彼女は仮面を外していた。いや、最初から被っていなかったはずだ。今のは、幻覚、だろうか。



「それでは、こちらお礼の品です。アップアップくんのぬいぐるみとギフトカードになってます」

 溺れかけの少年が浮き輪にしがみつく悪趣味なデザインのぬいぐるみはやたらと大きい。腹の前で抱えると妙な安心感があった。



「こちら、わたくしの名刺です。もし、より詳しい調査にご協力いただけるようでしたら、当研究所にご連絡ください。お困りのことがあればお手伝いできると思います」

 無味乾燥な白い名刺を渡される。

「それでは、また」

 彼女は背を向けて去って行った。視界を通行人が横切った瞬間に見失って、その背中はもう追えなくなった。



 私は名刺に書かれた電話番号に目を落とす。また、と強調した彼女の思惑通りになるのは少し嫌だったけれど、いずれ連絡することになるだろうと分かった。



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