あの人ごっこ



 あ、すいません、レモンサワーおかわりで。

 しかし凄いお祭りですね、今度行ってみたいです。秋ですよね? じゃあ今度旅行に行こうかな。



 私の地元ですか。いやー、先輩のところとは違って、うちはそんなに珍しいものはなかった気がしますね。普通の、いかにも地方都市って感じで、観光名所とかもあんまりないですし……まあ、自分が気付いてないだけで、余所から見たら変な特徴とかもあるのかも知れませんけど。



 あ、そういえば一つ思い出しました。地元、っていうか、うちの団地の思い出話になっちゃうんですけど……いいですか?



――――――――――



 昔は団地に住んでたんですよ。四階建てで、確か三棟かな?

 結構子供が多くて、よく遊ぶ子だけでも二十人くらいいまして。学校から帰ってきたら、すぐ団地の前の小さい公園で遊んでたんですよ。



 そこでよくやってた遊びが、「あの人ごっこ」でした。


 ええ、「あの人ごっこ」です。



 名前はちょっと変ですけど、中身は鬼ごっことかくれんぼを混ぜた感じの、普通の遊びです。一人が捕まえる側になって、隠れてる子を探して、見つけたら追いかけてタッチ。そうしたら役を交代する、って感じで。

 ただ、特殊なルールが二つだけあって。遊んでる最中は、その捕まえ役……ま、いわゆる鬼、のことを、「あの人」って呼ぶんです。



「あの人」。本当は名前があって……ええと、「サイトウユウイチ」です。そういう名前が決まってるんですよ。でも遊んでる最中は、鬼、とかサイトウ、じゃなくて「あの人」って呼ぶんです。


 遊び自体も、その名前に「ごっこ」を付けたりするんじゃなくて……あ、言っちゃいましたね、先輩。

 まあ、一応その名前を使って呼んではいけなくて、「あの人ごっこ」って呼ぶように決まってたんです。



 あともう一つのルールは、ゲームの最初、逃げる側が隠れる時です。あの人役は目を瞑ってしばらく待つんですけど、数を数えるんじゃなくて、「サイトウミカ」って心の中で五十回唱えるんです。心の中で、これも口に出すのは駄目ってことになってて。



 これ、珍しいっていうか、変ですよね。小学校ではたいてい団地の子と遊んでたから知らなかったんですけど、中学上がったら他の地域の子と遊ぶようになって、それ変だよって言われて。

 私はそれくらいで自然と遊ばなくなりましたけど、年下の子たちが遊んでるのは、その後もよく見ましたね。



 え? そりゃ、見たらすぐ分かりますよ。……ああ、確かにわざわざ「あの人」って口に出すことはあんまりないですね。いえ、でも見たら分かりますよ。雰囲気が、なんていうのかな……遊びだけど半分真剣、みたいな。

 まあ、うちの地元の珍しいことっていえば、これくらいかな。すいません、凄い内輪ネタみたいな話して。



――――――――――



 名前ですか。

 元ネタ……っていうか、由来があるんですよね。誰かに確認したわけじゃないので、多分ですけど。



 団地のA棟の一階、一番端の部屋に表札がかかってるんです。斉藤裕一と斉藤美香。悪ふざけでそれを遊びに使い始めたんだろうなーと思ってました。

 まあ、その名前が選ばれた理由も分かるんですよ。だって、その部屋、変でしたから。



 いつ見ても明かりはついてないし、誰かが出入りしてるのも見かけませんでした。ドアが他の部屋より古くて、ところどころ赤茶色に錆びてるから、子供心に不気味だなと思ってました。


 いえ、空き部屋じゃないです。皆、あそこは斉藤さんの部屋だって言ってました。普通のご近所さん、って感じで。子供たちと生活時間が合わないだけで、大人は普通に顔を合わせてたんですかね。



 いや、っていうか、住んでたのは間違いないですよ。証拠……みたいなものはありました。


 よく斉藤さん宛に、段ボールが送られてきてましたから。


 知ってる理由は……それが、他の部屋に届いちゃうんですよ。同じ棟の他の家に。だいたい週に一回くらいですかね。もちろん、私の家にも何度も届いてました。



 それが、凄くよれよれの段ボールでね。なんだかちょっと湿ってて、触ったら崩れるんじゃないかってくらい。それをガムテープでぐるぐる巻いて、無理矢理補強してるんです。

 いつも宛名書きが汚くて、読めないんです。あ、だから誤配送されるのかも知れないですね。ただ、箱がそんな感じの見た目だから、届いたら、ああ斉藤さんの荷物だなって分かるんです。



 荷物が届いたら、すぐ斉藤さんに届けるようにしてました。扉の前に置いて、ノックして声をかけるんです。「斉藤裕一さん、お荷物です」って。そうしたら翌朝にはなくなってるので、ちゃんと受け取ってたみたいです。

 まあそんな感じだから、皆斉藤さんの名前が印象に残ってたんじゃないかな。



 今思えば結構失礼ですけどね。怒られたりしなくて良かったー……ああ、そもそも遊んでる最中は斉藤さんの名前が出ないからバレないのか。もしかしたら元々は、怒られないように秘密にする、っていうルールだったのかも知れませんね。



――――――――――



 え? ……んー、いつ頃からなんでしょうね。私が物心ついたときには、もうあの人ごっこを遊んでましたから、いつできた遊びなのかは分からないです。

 私のすぐ上の世代も、あんまり理由は分からないままルールを守ってた感じだったので、もっと昔からあるんでしょうね。



 ルールを破ったら……どうなるんでしょうね。負けなんじゃないですか?

 確かに、なんか怪談なら、破ったらお化けに襲われるとか言いそうですけど……え、そもそも怪談扱いするような話じゃないでしょ?



 実際、破ったらどうなるか、とか聞いたことないですね。私が知る限り、誰もルールを破ったことはありませんでしたし。



 んー……いや、誰も破ってませんよ。皆、遊んでる最中は、ちゃんとあの人としか言いませんでした。まあサイトウミカの方は、傍からは分からないですけど、少なくとも私は毎回五十回ぴったり、心の中で唱えてました。

 年長のやんちゃな子でも、ちゃんとルールは守ってましたからね。私も、今でも名前は、あの人ごっこ、としか呼ぶ気になれませんし。



 何もペナルティがないのにルールを守るのは……確かに小学生なら珍しいのかな?

 いや、でもやってみれば分かると思いますけど、なんだかそういう気分にはなれないんですよ。なんか……本能、っていうか……。


 うっかり呼んじゃうこともなかったはずで……いや、あれ?


 すみません、今思い出したんですけど、一回だけ、遊んでる最中に名前が呼ばれかけたことがありました。

 あー、なんでこんなこと忘れてたんだろ。



――――――――――



 毎年四月に、小学校に上がった子にルールを教えて、あの人ごっこに参加させるんですよ。最初の一回は全員参加で、その後は来たら混ぜてあげるって感じで。飽きて来なくなる子も多かったですけど、毎年三、四人は常連になってました。



 私が六年の時、ちょっとルールの飲み込みが遅い子がいたんです。

 何度か説明したんですけど、なんだかあんまり分かってない感じで。でも、じゃあとりあえず遊びながら覚えようかって話になったんです。



 それで、遊んでる途中。その子がタッチされちゃいました。

 鬼ごっこと同じで、あの人役にタッチされたら、その子があの人になるんですよ。んで、その時は、私があの人になったよ、って皆に言うんですよね。

 でも、やっぱりその子、ルールをちゃんと分かってなかったみたいで。



「僕がサイトウ……」って、言いかけたんです。



 その子がルールを間違えた、ってすぐに分かりました。

 だから慌てて皆で押さえつけたんです。口を塞いで、無理矢理途中で黙らせて。私は気道を塞ぐ係でした。


 しばらくしたら、その子がおとなしくなったので離したんですけど。十人くらいで押さえつけたから、結構擦り傷とかもできちゃったんですよね。それでもう、後はずっと泣いてて。



 困ってたら、男の人がやってきたんです。スーツ姿で、五十歳くらいでしたかね。白髪交じりで、目が細くて。あ、あそこの席の人みたいな感じです。……本当にあの人そっくりですね。


 とにかくその人が、絆創膏をくれたんです。近くで遊びを見てたらしくて、「これどうぞ」って。

 見たことないけどうちの団地の人なのかなあ、優しい人だな、って思ってたら、その人が私に訊いてきたんですよ。



「サイトウユウイチって誰ですか?」



 あの子は、名前を言い終わる前に黙ったはずなのに……なんであの人は知ってたんでしょう。


 私は、分からないです、って答えました。なんていうか、そうしなきゃいけないかなと思って。そしたら、その人はどこかに行きました。



 その日はそれだけ、なんですけど。何日かしたら、その覚えの悪かった子の親が、怪我した理由を聞いたらしくて。私たちも、親伝いで怒られちゃいました。「なんでちゃんとルールを守らせないの」って。


 その子はもうあの人ごっこには参加しなくなって、しばらくしたら引っ越しました。

 まあ、それだけっていえばそれだけですけど。あのスーツの男の人は、結構変だったかなあって……。



――――――――――



 え? まあ確かに、さっきまで忘れてたのに、なんであの人の顔はこんなに覚えてるんでしょうね。

 そんなに特徴ない顔だったのに。



 本当に珍しくもない顔ですよ。町中でよく見かける感じで、っていうか今もそこの席の人が似てるって言いましたけど。


 あれ、あの人こっち見て……?



 え、あ、はい。初めまして。

 え、いや……分からないです。



 分からないです。


 分からないです。


 分からないです。


 分からないです。


 分からないです。


 分からない、って言ってるじゃないですか。


 だから分からないですって……ああ。


 ……先輩のせいですよ。さっき言っちゃったから。


 そっか、ルール破るとこうなっちゃうんですね。だから、破るとどうなるか、誰も知らなかったんだ。


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