第四部

第26話 Re:スタート

目が覚めると、真っ白なカーテンで区切られたベッドの上だった。

どうやら社内診療室らしい。

上半身を起こすと頭がふらふらする。


何があった?

朧気な記憶を辿ってみる・・・。


「あ~、くそ、田中の猫パンチをくらったのか・・・」


体を点検すると、特に問題はなさそうだが、ムニムニと柔らかい。

髪も長くさらさらだ。


「・・・ああ~、そういうことか」


俺は嘆息して、”一美ちゃん”に戻ったことを自認した。

落ち着いてみると、田中の幸せそうな=⇒いやらしいニヤけ顔が脳裏に蘇った。

咄嗟に着衣の乱れや体の違和感が無いか確認する。


・・・特に脱がされたり何かされたような形跡はないな。


はぁ~、一安心だ。


が、着ているのはおっさんのワイシャツとスラックスだ。


「うへっ」


ダボダボのワイシャツから親父臭がした。

一美ちゃんに戻ると、元自分の臭いとは言え嫌悪感が半端ない。




「目が覚めましたか課長? 」


社内看護師さんが優しく声をかけてくれた。


「ええ~、まぁ~、はい」

と可愛いハイトーンの声が響く。


「あら~、まぁまぁ~、可愛くなっちゃって! ”一美ちゃん”と呼んだ方が良いですか?」


嬉しそうに、かつ暖かい眼差しで聞いてくれる。

30代くらいのまだ若手の女性看護師さんだ。

思ったより好感触だが、医学的に疑問は無いのだろうか?

もちろんモルモットにされるのは嫌だが・・・。


立ち上がろうとしたところ、“ズキっ”とこめかみ辺りが痛む。

「イタタ」と頭に手を当てると、看護師さんが優しく寝ているように誘って(いざなって)くれた。



「田中ってどうなったか知ってる?」


「営業の田中さんですよね? う~ん、営業の皆さんに取り押さえられて警察?ですかね?」


「・・・・。」


田中のやった事は犯罪だが、・・・・くそ、犯罪だ。

擁護するところは無い。


「でも、ここまで課長を運んだのは田中さん? みたいですけれどね?」


「 え! 」


いやしかし、刺そうとしたのも事実だ。

・・・、だが結果的に猫パンチ一発か。

それで、奴の人生は終わりなのか?

本当にそれで良いのか・・・。

奴が”一美ちゃん”に執着する気も何となく分かるし。


ともかく、このまま放置すると奴は犯罪者だ。


「くそ~、こうしちゃ居られない。」


「課長! 駄目ですよ! いくら部下でもあんな奴を庇っては! あいつにストーキングされた女性(こ)は他にもいるのですから!」


「 ちっ! 」


・・・そうだったのか。

まぁ、そうだよな。

警察や司法に客観的な判断をしてもらうのが一番だ。



~~~~~~~~~~~~~~~~



程なくして、田中は不起訴となり釈放された。

不起訴の理由は、被害者である“佐藤一美”(中年男性)を特定できなかったからである。

しかし、もはや職場に田中の居所は無く、地方へ左遷となった。

社内では、懲戒解雇(くび)にならなかったのが不思議だともっぱらの噂である。



~~~~~~~~~~~~~~~~~


【数日後】


俺は、長かった髪を一つに束ね、薄いピンク色も黒に染めた。

服装も、よりサラリーマンらしく上下スーツにネクタイを絞めている。

服代は高くついたが、気持ちを引き締めるには良かったかもしれない。


幸か不幸か、田中事件の後、”一美ちゃん”の姿の俺は広く認知されるに至った。

呼び方も”一美ちゃん”から佐藤課長に変わりつつある。

敢えて言うと、仲良くなろうとしてくれる人は”一美ちゃん”と呼び、ある程度距離を置いている人は”佐藤課長”と呼ぶような気がする。

そうそう、下心のある奴も”一美ちゃん”と呼ぶわ。


「一美ちゃ~ん!」


「なんですか? 山本次長・・・」


次長は、俺の肩を揉みながら田中が居なくなった後の欠員補充の話をはじめた。

これってセクハラだよね?


「欠員のことだけどさぁ~、営業第1課への希望者が多いんだよね~、どうしよっか?」


「順当に繰り上げていただいたら良いと思いますけど?」


俺は、係長の席(田中)が空いたので、当然主任の中から一人昇格するものだと思っている。

順当とはもちろん北村主任のことだ。

彼女の努力は社内でも充分に認められていると思っていて、今さら俺に何を確認しに来たのだろうと訝しく思う。


「そうなんだけどさ。あの手この手を使ってくるんだよ~、僕も辛くてね~。」


「はぁ~、心中お察ししますが、今後の事があるので、是非公平な判断をお願いします!」


「だよね~。でも後は一美ちゃんの了承だけなんだよね~。なんとかならないか?」


「な・り・ま・せ・ん!」


俺は、次長を一睨みし、肩にある次長の手を払いのけた。


「冷たいな~、それじゃ~係長席は順当に行くとして、主任の席はこちらで決めても良いよね?」


「どうぞ! そこまで文句は言いませんが、ちゃんとした戦力をお願いしますよ」


「はいはい。顔はもの凄く可愛いのに~。中身は佐藤君だよね~」


と冗談ぽく言いながら次長は去って行った。

まぁ、山本次長とは長い付き合いなので気心は知れている。

苦楽をともにしたこともあるので、悪いことはしないだろう。



しかし、この後の人事発令を見て、俺は激しく後悔することになる。

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