第28話 怒る泉

 髪の毛をドライヤーで乾かして、祐樹はリビングへと戻るも、そこに泉の姿はなかった。

 どうやら、既に寝室へと籠ってしまったらしい。

 一人で気持ちを落ち着かせたかった祐樹にとってはありがたかった。


 祐樹は、スマホで音楽アプリを立ち上げて、適当にヒーリング音楽を選曲して、それを聴きながら感情を整える。

 目を瞑り、心臓の鼓動に意識を向け、ざわついた心を落ち着かせていく。

 次第に、ぐるぐると渦巻いていた思考が成りを潜め、心に余裕が生まれてくる。

 あと5分ほど聞き終えたら、寝る支度を整えよう。


 そう決めて、最後の曲を聞きながら精神統一を行っていた時である。

 突如として、耳に嵌めていたBluetoothイヤホンを引っこ抜かれた。


 強制的に現実へと引き戻されて、祐樹が目を開いて視線を上げると、そこには、不機嫌な表情を浮かべる泉の姿があった。


「どうした? そんな鬼の形相して」

「別に、そんな顔してない」


 泉は、腕を組みながらぷぃっとそっぽへと視線を向けてしまう。

 明らかに口調も冷たくて、機嫌が悪いのは確かである。

 祐樹が泉の向いた先へと視線を送ると、壁に掛けてある時計があった。

 時刻は日を跨ごうかという所で、夜更かししすぎというわけでもない。


「何かあったのか?」


 祐樹が恐る恐る尋ねると、泉はギロリと鋭い視線で睨みつけてくる。


「アンタさ、今日何があったワケ?」

「何って? 普通に大学で講義受けてアルバイトしただけだけど」

「ふぅーん。そうやってはぐらかすんだ」

「えっ、マジで何?」


 泉が怒っている理由がわからず、祐樹は困惑した声を上げる。

 すると、泉が目を真っ赤にしながら訴えてきた。


「アンタ、さっきまで青葉と一緒にいたんでしょ?」


 泉に指摘され、祐樹は一瞬胸が詰まった。


「……青葉ちゃんから聞いたのか?」

「そうよ。今日から新しいアルバイト先にいったら、アンタのバイト先にいたって」

「あぁ、そう言う事ね」


 そこで、ようやく泉が怒っている理由を理解した。


「どうして言ってくれなかったの?」

「いやっ、寝るときに話そうかなと思ってたんだよ」

「どうだか」


 祐樹の言い分に、泉は信用してない様子で毒づく。

 その態度に、祐樹も少しムッとしてしまう。


「んだよ。別にいつ話したって俺の勝手だろ?」

「そう言う事じゃない!」


 とそこで、泉の怒号が室内に響き渡る。

 祐樹は思わず耳元を手で覆ってしまう。


「やめろ、そんなデカい声出したら近所迷惑だろ⁉」

「アンタが悪いんでしょ⁉」

「いや、青葉ちゃんがバイト先の新人だったって話をしなかっただけで、どうしてそんなに怒られなきゃいけないんだよ⁉」

「そうじゃない!!」


 再び、泉の鋭い声がキーンと耳に突き刺さる。

 祐樹は不快感を露わにしつつ泉を見つめた。


「じゃあ何が悪いってんだよ⁉」

「アンタ、青葉のこと振ったワケ?」

「なっ……⁉」


 泉が言い放った一言で、祐樹はようやく本当の意味で状況を理解する。


「……青葉ちゃんから聞いたのか?」


 先ほどよりも平坦な声で祐樹が尋ねると、泉はコクリと頷いてから言葉を紡ぐ。


「勇気を出して、アンタの家に行ってもいいか?って言ったら断られたって。青葉、泣いてたよ」

「そっか……」


 きっと泉は、青葉ちゃんから元々相談を受けていたのだろう。

 そして先ほど、祐樹が青葉ちゃんからのお誘いを断った。

 青葉ちゃんは、そのことで相談に乗っていた泉に報告したという流れだろう。

 寝室に泉が籠っていたのも、青葉ちゃんと通話をしていたからだ。


「アンタ、青葉の気持ちに気づいてなかったワケ?」

「そりゃ、普通に仲のいい友達だと思ってたからな。言われた時はびっくりしたよ」

「呆れた……青葉の態度見ればわかるでしょ」

「悪かったな。俺はそういうの鈍感なんだ」


 大学に入ってから、目の前の生活でいっぱいいっぱいで、色恋沙汰など全く考えていなかったのだ。

 好意を持たれていると気づけという方が無理な話である。


「祐樹は、青葉のこと嫌いなワケ?」

「嫌いってわけじゃない。ただ、恋愛対象としては見てなかったってだけだ」

「だから、青葉の気持ちに応えてあげられないって事?」

「そりゃ仕方ねぇだろ。この部屋に連れて来いって言うのか? 無理に決まってるだろ」

「違う! もっと他に選択肢があったでしょって事! 家に連れて行けないから、ホテルに一緒に泊まるとか、他にも選択肢があったでしょ⁉」

「それはそうだけど……俺の気持ちは別問題だろ?」

「……ふーん。そっ、ならもういい。私、青葉にもう一回電話してくるから、今日はどっか行ってて」

「なんでだよ……?」

「うっさい! 今はアンタの顔見たくないの! 黙って出てけ!」

「はぁ⁉ なんでそんなこと言われなきゃ――」


 祐樹が言い切る前に、泉はバタンと扉を閉めて、寝室に引きこもってしまった。


「ったく、身勝手すぎだろうが……」


 やるせない気持ちを吐き出すように、祐樹は机の角を蹴り上げる。

 辺りどころが悪くて、ジーンと足先がしびれた。


「痛てぇ……」


 机の角にぶつけた足を擦りながら、祐樹は苛立ちを抑えきれずにいた。


【黙って出てけ!】


 泉の言葉がフラッシュバックして、祐樹も限界を迎えた。


「そんなこと言われるなら出て行ってやらぁ」


 祐樹はスマホと財布、最低限のモノだけを手に取り、玄関で靴を履いて外へと出た。

 何処へ行くかも決めておらず、完全に路頭に迷う形で、夜の街へと彷徨うことにする。


 都内は24時間営業のお店も多いので、そこで時間を潰すのも一つの手だろう。

 だが、こんなつまらないことでお金を使いたくないのも事実。

 結局祐樹は、近くのコンビニで、缶コーヒーを購入して入り口を出たところでチビチビと飲みながら時間を潰すことにした。

 フゥーっと息をつけば、先ほどの泉の言動が思い起こされる。


「あいつはなんであんなにキレてるんだよ……意味が分からなさすぎる」


 泉の気持ちがわからず、膨らみ切った怒りの感情を押し込むようにして、缶コーヒーをグビグビと流し込むのであった。


 しかし、祐樹は泉が怒っている本当の理由に気づいていないだけなのである。

 その理由とは――

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