第23話 温もり
「ただいまー」
アルバイトを終えて帰宅した祐樹は、玄関で靴を脱ぎながら声を上げた。
しかし、泉からの返事はない。
電気がついているので、帰宅はしているはず。
祐樹が恐る恐るリビングへ向かって行くと、泉の姿は見受けられなかった。
直後、ガチャリと玄関の扉の開く音が聞こえて、祐樹は後ろを振り返る。
「あっ、おかえりー」
脱衣所の扉を開けて、バスタオルで髪を拭きながら泉が出てくる。
「た、ただいま」
「お疲れさまー。お風呂どうぞー」
「お、おう……」
泉はお風呂上がりを見られることを全く気にした様子もなく、祐樹の横を通り過ぎていく。
通り過ぎる際、お風呂上り特有のシャンプーの匂いが漂ってきて、祐樹の鼻孔をくすぐってくる。
祐樹は湧き上がってくる煩悩を振り払い、ささっとお風呂を頂戴することにした。
湯船に浸かり、今日一日の疲れを取り除いていく。
だが、この後待ち受けている泉との添い寝について考えてしまい、何とも言えない感情が胸の中に渦巻いた。
「緊張してるの、俺だけっておかしいだろ……」
泉は、昨日も普通に眠っていた。
よく異性がいる中で、あれだけ無防備に寝顔を曝け出すことが出来るなと感心すら覚えてしまう。
恐らく泉にとって、祐樹は人畜無害の存在で、無機質に似たような感覚だ。
そうでなければ、あんなにぐっすり眠ることなんて出来ないに決まってる。
一方の祐樹はというと、泉のことを一人の女の子だとめちゃくちゃ意識してしまっているし、一緒に寝ることに対する抵抗感も未だに拭いきれていない。
きっと、この感覚は普通だし、慣れてはいけないものだとも思っている。
少なくとも、泉のことを異性として認識している限りは……。
「どうしたものかなぁ……」
祐樹は水面でブクブクと泡を作りながら、出来るだけ意識しない方法を考えるものの、具体的な解決策は思いつかないのであった。
◇◇◇
祐樹はのぼせそうになりかけて、ようやく風呂から上がる。
リビングでは、寝る支度を整える泉の姿。
祐樹も髪を乾かし終えてから、すぐに寝る支度を整える。
悩んでいても、明日も普通に大学の講義があるのだ。
泉と一緒に生活をしているからと言って、一人夜更かしをするわけにはいかない。
「それじゃ、寝ようか」
「あぁ……」
寝る支度を整えたところで、泉が祐樹を寝室へと導いてくれた。
昨夜と同じように寝室へと通されて、祐樹は先にベッドへと上がって横になる。
それを確認してから、泉も軽やかな所作でベッドへと上がり、同じ掛布団の中に身体を入れてきた。
「それじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
お互いに挨拶を交わして、蛍光灯の明かりを消した。
辺りが暗闇に包まれる。
祐樹は昨夜と同じく、壁側へと身体を向けて泉の方を向かないようにして意識を出来るだけ逸らすことにした。
「ねぇ祐樹」
とそこで、泉が後ろから名前を呼んできた。
「……どうした?」
「ここの部屋、祐樹も普段から好きに使っていいからね?」
祐樹はすべての荷物をリビングや玄関のタンスに収納しており、この部屋に私物は置いていないのだ。
それを気にしていたのか、泉が気にしないで使ってくれと言ってきたのである。
「まあ、私物が増えてきたら使わせてもらうよ」
「そう……分かった」
そこで一旦会話は途切れ、沈黙が室内を包み込む。
「ねぇ祐樹」
再び、泉が声を掛けてくる。
「なんだ?」
「こっち向いて?」
「どうしてだ?」
祐樹が尋ねると、しばし間が空いてから――
「……祐樹が見ててくれないと寂しい」
と、とんでもないことを口走る泉。
祐樹は思わずむせそうになってしまったのを必死に堪えた。
泉の突然のデレは、破壊力抜群。
祐樹の心を動かすには十分な威力を有していた。
「分かった」
祐樹は泉のデレに押し負け、ゆっくりと泉の方へと身体を動かしていく。
そして、祐樹が仰向けになった途端、身体の右側にむぎゅっと柔らかい感触が覆いつくした。
「なっ、い、泉!? 」
「捕まえた♪」
まるで、子供のように無邪気な声を上げ、泉が祐樹の腕を掴んで密着してきたのだ。
さらに、泉は祐樹の胸元へ顔をコテンと預けて、祐樹の顔を上目遣いに見つめてくるではないか。
「祐樹♪」
完全に甘え方が彼氏に対するソレなんですけど⁉
泉の甘え方は、祐樹のキャパシティ―をはるかに超越しており、思わず泉を抱き締めてしまいたい衝動に駆られてしまいそうになってしまう。
祐樹が必死に堪えていると、泉はそのまま身体を預けてくる。
「えへへっ、ありがとう祐樹。こっち向いてくれて嬉しい♪」
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!!!!!
心の中で絶叫しながら、祐樹は必死に理性を抑える。
「祐樹の身体温かい……凄い落ち着く」
そう言って、泉は顔を胸元に埋め、思い切り息を吸い込んでから幸せそうに息を吐く。
「はぁ……っ。祐樹の匂いがする」
「く、臭いだけだぞ」
「そんなことないもん。少なくとも、私にとっては安心する匂いでしかないよ」
あぁもうなんなんこの子⁉
わざとか? わざとやってるのか?
泉のデレが可愛すぎて、理性のたかが外れかけてしまう。
「おやすみー祐樹♪」
「お、おやすみ……」
そのまま、泉は祐樹にがっちり腕を回して身体を密着させたまま、眠りについてしまう。
祐樹はごくりと生唾を飲み込んでから、抑えられなくなった衝動で身体を動かしていき――
身体を傾け、もう片方の腕で泉の頭を撫でてやる。
「んふっ……撫でられるの気持ちいい」
ポン、ポンと、あやすようにして頭を撫でる祐樹。
気持ち悪がられないかと心配だったものの、泉が嫌悪感を抱く様子は全くなく、むしろなるがままになっていた。
しばらく、気持ちをぐっと堪えたまま撫でていると、スヤスヤと一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
「い、泉?」
「……」
泉からの反応はなく、一定のリズムで寝息が聞こえてくるだけ。
完全なる生殺し状態になった祐樹は、ふぅっと大きく息を吐く。
「ったくよ……俺が獣になっても知らねぇぞこの野郎」
そんな独り言を零しながら、祐樹は泉の頭をワシャワシャとした。
泉は深い眠りについていて、起きる気配はまるでない。
祐樹は一つ息を吐いてから、この後どうするか考えることにした。
泉が目一杯身体を預けてきているので、抜け出すことも出来そうにない。
こりゃ、気を張ってても寝れないだけだわ。
祐樹は、強張っている身体の力を全て抜いて、わが身をあるがままに任せることにした。
右半身に意識が向いていき、泉の柔らかい感触を堪能してしまう。
「あったかいな……」
ようやく祐樹の中にいるエロ小僧が消えてきたところで、ふと感じたのは人の温もりだった。
こうして、誰かと一緒に寝るのはいつぶりだろうか?
思い返してみても、幼少期の頃、母に頭を撫でて寝かせてもらった記憶しかない。
昔のことを考えていたら、なんだかセンチメンタルな気持ちになってしまい、煩悩は消えさり、寂寥感が祐樹に襲い掛かってくる。
ちらりと視線を下に降ろすと、スヤスヤと心地よさそうに眠る泉の姿。
こうして、可愛い女の子の温もりを感じながら添い寝している。
その事実を改めて感じると、祐樹が今まで心の奥に仕舞い込んでいた氷のようなものが、じんわりと溶けていくような感覚にさせられた。
氷が溶けていき、溶けた中から出てきたのは、安心感にも似た不思議な心地よさ。
とろみのあるその心地よさに身を委ねてみると、頭がふわふわとなってきて、ゆっくりと意識が溶かされていく。
今まで忘れていたものに触れ、どこか懐かしさを感じながら、祐樹の意識は次第に遠のていくのであった。
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