第8話 角あり令嬢は吞み込めない

「ジェラール、少しいいかしら」

「なにか」

「用がないなら出ていけ。あとじろじろ見るな。気が散る」


 視線を手元に落としたまま、傍らに立つジェラールへ告げる。

 つい先ほどまで美しい模様を描いていたはずの糸は、徐々にずれ始めていた。針を摘む指に力が入る。

 私室で刺繍をしているところ、なぜかジェラールが入ってきて、私のことを観察していた。気が散るというのは本当だが、針の運びの乱れを彼のせいにするには、私は不器用すぎた。


「観察しているだけだ」

「それが邪魔だって言ってんだよ。それに……今日、ただ見てるだけじゃねーか」


 普段のジェラールは、私の角をスケッチしたり、巻尺や奇妙な金属の測定機器を角に当てたり、唸りながら角を撫でたり……とにかく何かをしている。気分がいいわけがないが、慣れてはきていた。

 そこへきて、無言で何もせずに見つめられる、というこの状況だ。集中できないのは仕方なかった。

 不得意な刺繍を見られていると思うとなおさらだ。


「それは……藤の花グリシーヌか」

「ええ。……下手で悪かったわね」

「いや。味がある」


 覗き込んでそんなことをのたまうジェラールを、思わずまじまじと見つめてしまう。

 褒められた……のか? この歪んだ藤の刺繍を?


「ジェラール様、お客人がお越しです」

「む。……時間か。私は客に対応してくる」

「え? あ、ああ。頑張って」


 何を言ったらいいのかわからず、適当な言葉が口をついた。ジェラールは頷くと、私の角と髪をそっと撫でて、部屋を出ていく。

 呆気に取られて、その背中を見送った。


「…………なあ、ダフネ」

「はい、オリアーヌ様」

「あれ、なんだ?」

「敬愛すべき旦那様でございます」

「いや違くて今の」

、私からはこれ以上は申し上げられません。お茶のおかわりはいかがですか?」

「……いただきます」


 心が落ち着くという香草茶を啜り、今し方の、そして最近のジェラールの様子について考える。

 角ではなく、私を見るようになった彼の態度の意味は――


「――……まさかね」

「オリアーヌ様?」

「何でもない。……そうだ。明日、少し出かけてこようと思うの。一人で出ることになるけれど、心配しないで」



 幼い頃、私には周囲の大人から向けられる視線の意味を知らなかった。

 けれど、幼いとはいえそれが善いものか悪いものかはわかるものだ。


「どうして私には角が生えているの?」


 向けられる悪意の源が頭の角にあると感じた私は、父にそう尋ねた。父はあいまいに笑って答えたものだった。


「お前のせいではないよ。だが、びっくりする人たちがいるからね。その恐ろしい角は隠しておきなさい」


 幼い私は父の言うままに角を隠したが、降り注ぐ悪意は変わらなかった。当然だ。屋敷の全員が私のことを『獣返り』と既に知っていたのだから、角を隠した程度で隔意が和らぐわけがない。

 暴力を振るわれることはなかったが、嘲笑われ、邪険にされ、無視された。父に訴えても、困ったような笑顔で取りなされた。

 母には相談しなかった。子供心に、病弱な母に話して心配をかけてはならないと思っていたのか。あるいは……母にだけは、使用人たちのような目で見て欲しくなかったのか。


 気付けば、私は屋敷を抜け出すようになっていた。

 屋敷から外に出れば、街の人間は私のことなど知らない。頭巾や帽子で角を隠してしまえば、ただの子供だ。見咎められることなく歩くことができた。


(たのしい)


 当時の私にとって、悪意を向けられないというだけで、屋敷の外は楽園だった。何度も抜け出すうち警戒心よりも好奇心が勝り、徐々に屋敷から離れて出歩くようになる。

 辿り着いたのは、狭い土地に複雑な家が密集した区域。スラム街というほど荒れてはいなかったけれど、治安という意味では屋敷の周囲とは比べ物にならない。

 そんなところをフラフラと歩いている、身なりのいい少女は、狼藉者に狙われて当然だった。


「お嬢ちゃん、いいところに連れてってやるよ……」

「やめ……っ、やめてくださいっ!」


 二人組の男に連れ去られそうになった私を助けてくれたのは、使用人でも警吏でもなく――

 

「やめろ、クズ野郎!」


 凛とした声。私と同じくらいの少年が素早く走ってきて、手にした木の棒で男の脛を打つ。


「ニカワ玉をくらえーっ!」

「だいじょぶ? こっち、こっち」

「っ、ンだこのガキども……!」

「俺たちの縄張りでバカなことするんじゃねーよ!」


 少年の後からは、やはり子供たちが連なって現れ、私を確保し、石やごみを投げて男たちを追い払う。統率の取れた動きと、子供たちのいたずらめいた声がアンバランスだった。

 何が起こったかわからず、恐怖から解放されて呆けた私に、リーダー格の少年はにっと笑って見せた。


「やめてください、なんて泣いたってここじゃ誰も助けてくれねーぜ。目と口と、最後は腕で追い払うんだよ。ほら、言ってみな――近づくんじゃねえ」


 彼の言葉は、屋敷では聞いたことがないほど発音も語彙も汚くて。

 私は思わず笑ってしまって、安堵の涙を流しながら言ったものだった。


「近づくのじゃ、ありま……ね、ねーぜ」

「あっははは! 変なの!」




 思い出を弄びながら、街を一人で歩く。


「懐かしいわね」


 ダフネにはものすごく心配されたが、誰も供をつけないこと、ジェラールにも報告しないことを厳命した。

 もちろん、ここは領地の街ではなく王都だし、この年齢となって治安が悪い区域に一人で近寄ろうとは思わない。幼い私が無事だったのは、全く奇跡的な偶然によるものだと、今は理解している。

 だから今日は王都でも人通りの多い通りを、のんびりと歩くだけだ。頭にはつばの広い帽子を被って角を隠している。ダフネとクラリスに見繕ってもらった町娘風の服装は、足取りを軽くしてくれた。


「……流行り物のひとつでも買っていってあげるべきかしら」


 ダフネとクラリスには、流行りのお菓子でも買っていくつもりだが。このところ様子のおかしいジェラールにも何か差し入れるべきだろうか。

 そう、ジェラール。

 私が一人で街に出たのは、彼が理由だった。原因と言ってもいい。


(私は……大切にされている)


 ジェラールもそうだし、屋敷の使用人たちもそうだ。それはもはや疑う必要のない事実だった。

 だからこそ一人になりたかった。

 向けられたことのない感情を飲み込むために、かつてのように街に出て、一人だけで考える時間が必要だったのだ。


「……よし」


 菓子を買って早めに帰り、縫いかけの藤の花グリシーヌのハンカチを完成させよう。何ならGのイニシャルを入れてやってもいい。そしてジェラールに押し付けるのだ。

 決意して、足早に通りの人混みを抜けていく。

 その時だった。


「失礼」


 男が私にぶつかってくる。咄嗟に避けきれず体が触れた。無礼だが、大ごとにならぬよう軽く帽子を傾けて離れようとする。

 腕を掴まれた。


「何を……む、ぐ」


 別の男が背後から口を塞いでくる。周囲から体で隠された状態で口を塞がれ、腕を取られて、抵抗する間も無く引きずられていく。


「おい、傷つけるな」

「わかってる」


 首を軽く締め付けられ、意識が遠のく。

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