第7話 角あり令嬢は落ち着かない
舞踏会の夜を終えてから、どうにもジェラールの様子がおかしい。
いや、元々様子はおかしいのだが。一日に一度ほど、おかしいの方向性が違う時があるのだ。
その日の夕食時もそうだった。
「肉、魚、あるいは豆といった食材は身体を作る源となる。角や爪、毛並みなどだ」
「喰ってるときにヒトを獣扱いするんじゃねえ」
「ヒトならば好き嫌いせず豆を食べたまえ」
「……お腹がいっぱいですの」
ちらり、と表情を伺う。私の言い訳にもなっていない言い訳をどう受け取ったのか、ジェラールは少し視線を逸らした。その後、深々とため息をついて、私から豆の煮物の皿を奪う。
「ストレスによって髪が荒れるように、角にも影響があるかもしれない。無理はしなくていい」
「え、ええ……ありがとう」
理由こそ角のためだが、何とも歯切れが悪い。まるで私のことを気遣っているようだ。そんなはずはないのだが、裏が読めない。そもそも「角のためには無理をしろ」とのたまうような男のはずだ。
(それに……視線が合う瞬間も増えてる気がする……前は明らかに角しか見てなかったのに)
ワニの相を持つ青年シェロと同じように、瞳まで獣のそれになってしまったのかと、割と真剣に鏡を見つめたりもした。幸い、ヒトの瞳だったが。
そんな状況だから、何となく腰が据わらない。そわそわする。
湯浴みを終えて、寝室で髪を拭ってもらっている時、ダフネにも聞いてみた。
「旦那様の最近の様子……ですか?」
「ええ。何かおかしいと思うことはない? ……そうね、ちょうど……イザベルの舞踏会に出た辺りから」
あの夜のダンスは、今も時々思い出す。降り注ぐ悪意から、私は刃のような言葉と態度で身を守ってきたが――美しく着飾り、胸を張る、という抵抗の仕方もあったのだと。
……そういえば、ダンスの途中で妙に視線が合った気がした。あれも『おかしい』の一環だったのか。
そういった話を一通り聞いたダフネは、深々と頷いた。
「うふふ……申し訳ありません。私には全く見当がつきません。心当たりは、これっぽっちも、皆無でございます」
「そ、そう」
楽しそうにぴこぴこと揺れる猫耳が可愛らしい。表情は殊勝なのだが、何故か妙に楽しそうだ。
可愛らしい、か。
髪を乾かし、櫛で梳き終えたダフネは、次に白山羊の柔らかい毛を束ねたブラシを手に取る。角にそっと触れさせ、撫でてくれる手つきは丁寧だ。最初は角に触れられることに本能的な恐怖があったが、今はダフネには安心して委ねることが出来ていた。
屋敷で暮らすうち、『獣返り』に対する考えが少しずつ変わっている。その事実を、自分の身体で理解できた。
「……ダフネ。明日、研究室を訪ねるから。今夜のうちに、クラリスに触れを出しておいて」
「かしこまりました。何か用意させておくものはありますか?」
「ないわ。いつも通りでいいと伝えて」
▼
研究室は今日も白く、静かだった。
ダフネを従えて部屋に入ると、侍女のクラリスが立っている。というか、立ち尽くしている。こちらに右半身を向けて、左腕を隠す、中途半端な姿勢だ。
「お、奥様。お待ちしておりました……」
「楽にして、クラリス。それと……私のことはオリアーヌと呼ぶように」
「かしこっ、まり……ました。おくさ……、オリアーヌ様」
クラリスの視線は床を向いていて、時折ちらちらと伺うように見てくる。背の高い身体を精一杯に縮こまらせた姿は、
だから、微笑む。身体を横に向けた程度では隠れない熊の左腕は、私の角以上の異形だ。正直に言えば恐ろしい。だが、だとしても……クラリスという女が恐ろしいわけではないはずだった。
「ありがとう。突然ごめんなさい。まずは、貴女に謝罪を。……最初にあった日、失礼な態度を取ったわ」
「いっ、いえ、あれは、私が」
「黙って聞け」
「ひゃいっ!?」
それはそれとして、おどおどした話し方は嫌いである。肯定にしろ否定にしろ、ジェラールのように憎らしいほどすっぱりと答えて欲しい。
「この屋敷の
「えっ、え……む……無理です、そんな」
「……難しく考えなくていいわ。ただ、嫌なことがあれば嫌と言って。言いにくければダフネに耳打ちするだけでもいい。私は……」
角に触れる。
ジェラールがそうするように、丁寧に、優しく。
「私の理想の通りにありたいだけ。指摘役は貴女が適任だわ。私の我儘に付き合って欲しいの」
「………………かしこまり、ました」
「ありがとう。……では、その。心の準備は出来たから、貴女の左腕に……触れさせてくれる?」
クラリスはしばし逡巡した後、正面を向いて、左腕を差し出してくれる。茶色の毛並みの、筋肉質な太い熊の腕。手の先には鋭い爪が生えている。爪を避け、手の甲にあたる部分に、そっと指を触れさせた。
「ひぅっ…」
「……暖かい」
毛並みは
そのまま腕の方まで撫でて、吐息する。クラリスの、赤い顔を見て微笑んだ。
「ありがとう。……うん。頼もしくて、少し可愛い腕だわ」
「か、可愛く、は」
「貴女の反応が、ね」
「……うう」
「嫌な触れ方はしなかったかしら」
「だいじょうぶ、です……」
よろしい、と頷く。ダフネに合図して、持っていた籠を机に載せてもらう。中には今日のために用意した焼き菓子や干しブドウが入っている。
「お菓子……?」
「貴女に新しい役を課すのだから、その働きには報いないとなりません」
だから、
「ジェラールには内緒で、お茶会でもしましょう」
「……はい。ありがとう、ございます」
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