第6話 角あり令嬢は隠さない


 舞踏会、当日。

 ジェラールと共に馬車を降り、会場である実家のホールに足を踏み入れる。ジェラールの腕にごく軽く手を触れさせながら、頼りないヒールをかっと鳴らした。


「ジェラール」

「何だ」

「……変じゃないかしら」

「何度めだ。言っているだろう。君の角は相変わらず美しい、と」

「角の話じゃねーんだよ」


 いや……角の話でもある、が。

 夜の色をした窓硝子に、自分の姿を映す。


 一番目立つのは、やはり黒の角だ。ヴェールや帽子で隠すことなく、角を全て露わにしている。赤髪から生えた左右の角は、細い銀鎖で飾られている。銀鎖には小さく透明な金剛石ディヤマンがところどころ飾られ、雨粒のように揺れていた。

 細い銀鎖の終端は角の先端に伸び、先端にはめ込まれた金の輪に繋がっている。

 ドレスは、黒だ。レース織りを何枚も重ねて複雑な艶を出した黒のドレスを、縁取りするような金糸が飾っている。明らかに隣のジェラールと合わせた意匠だった。


「……綺麗すぎて」


 似合っているか、ではなく、変ではないか、と思ってしまう。

 セドリックもダフネも『似合う』と言ってはくれたが、今まで着てきたドレスと違いすぎて、妙な羞恥心が先に立っていた。

 隣のジェラールは、黙ってさえいれば美丈夫だ。身長は高く、姿勢も良い。飾りすぎない礼服が実に似合う体型だから、隣にいるのは不釣り合いではないかという思いが消えない。


「胸を張れ」

「……え?」

「君は確かに女性的魅力に欠けているし、言葉遣いも乱暴で、品性もないが……」

「その前置き、要るか? んん?」

「そういうところだぞ。……だが、少なくともセドリックは、美しさについて世辞など言わない。感性も確かだ。奴が美しいといえば、それは美しいという意味だ」


 奇矯な恰好、奇矯な言動……それでもセドリックが美という概念に対して誠実であることは、確かに伝わってきていた。

 専門家を信じろ、というのは、何ともこの男らしい意見かもしれない。


「……ん」


 俯いていた顔を、しっかりと上げる。意識して胸を張ってみる。折り重なった黒のドレスが、しっかりと私を守ってくれているようだった。

 そこに、不機嫌そうな声が浴びせられた。


「…………お姉さま」

「あら、イザベル。お招きいただきありがとう」

「ありがとう、じゃないわ……! そんなっ、汚らわしい角を隠しもせず……恥を知りなさい!」


 小声で怒鳴ってくるという器用な行為に、憤りよりも先に笑いが漏れた。

 おかげで最後の決心がついた。隠してやるものか。


「あいにく、隠すなと言われているの。汚らわしいというなら――」


 イザベルは今日は特に気合の入ったドレスを身に着けている。白と、鮮やかなオレンジ色は、華やかな印象を与えてイザベルによく似合っていた。私がそうだったように、彼女も苦労してそのドレスを仕立てたのだろうか。

 そう思うと、普段のように罵ってやるのも若干気が引ける。代わりに、今意識したように、胸を張って真っ直ぐに微笑みかけた。


「……せっかく美しく飾って頂いたのだもの。今日は隠さずにいようと思うわ。イザベル――」


 どことなくたじろいで見える妹へと、素直に問うた。


「貴女から見て、この格好は……美しいとは思えないかしら」


 問いかけに、答えはなかった。イザベルは私を睨みつけた後、ドレスの裾を翻して去って行った。


「……何か言えよ」

「聞くまでもないだろう。飾らずとも美しいのだから」

「角は、だろ」

「そうだ」

「全く……。……さて、挨拶でもして。せっかく来たんだし、一曲踊っておきましょうか?」

「いいだろう」


 縁のある貴族に、挨拶をして回る。といっても、私は『獣返り』で社交はほとんどしていなかったし、公爵閣下の方も研究に関係しない相手とは縁が薄い。外せない数人だけに顔を見せる程度で終わってしまった。

 私の角を見て表情が変わらなかったのは、最も重要なゲストであるグラナン大公だけだった。

 ゆったりとした円舞曲ワルツが流れる中、片隅でそっとジェラールの手に手を乗せる。


「あなた、踊りは上手なのね」

「あるべきところに腕と脚を置くだけだ。上手も下手もないだろう」

「私はステップを覚えるのに苦労したんだけど……」

「ステップよりもまず、俯くな。。角が隠れる」

「……最後の一言さえなければ、いい男なのに」


 はぁ、とため息をついてから、しっかりと視線を上げる。ジェラールが見出し、セドリックが飾り、ダフネが認めてくれた――美しいらしい、黒い角。正直に言えばまだ怖い。どんな視線を向けられているか、さげすむ声が飛んでこないか……。

 ただ、この男の前で恐怖に負けるのも、悔しかったから。挑む心地で、今夜だけははっきりと見せつけることにした。


「……ふふ」


 踊る、踊る。ステップを踏む。普段はヴェールがずれていないかを気にするあまり、踊りを楽しむことなどできなかったけれど。ジェラールの誘導リードが上手いこともあって、今日は少し、楽しかった。


「…………」

「相手があなたでなければ……、ジェラール?」


 曲の合間にちょっと皮肉でも、と思ったのだが、彼の方はずっと無言で私を見ている。違和感があり首をかしげる……名を呼んでも、うっすらと赤い相手の顔は動かない。

 少し遅れて、違和感の正体に気が付いた。


(視線が、合ってる)


 いつも角しか見ていないジェラールの瞳が、確かにこちらを見ていた。

 そのまま静かに、もう一曲踊る。

 踊る、踊る。ステップを踏む。折り重なった黒の布が艶を変え、角を飾る白がしゃらりと揺れる。


 生まれて初めて、角を露わに踊るのは――

 周囲からの視線よりも、ジェラールの瞳が印象に残る夜となった。



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