第5話 角あり令嬢は行きたくない

 ジェラールの『奥様』となってから、しばらく経った。

 貴族の奥方の役割はいくつもあるが、大雑把に分けるなら『子作り』『家事の差配』『社交』といったところか。

 私にできるのは家事の差配くらいだったが、屋敷の使用人たちは優秀で、それも大した仕事ではない。使用人たちとはすぐに打ち解けた。『獣返り』もそうでないヒトも、私の角に特別な反応はしないし、むしろジェラールの影響か美しいなどと言ってくる者もいるほどだ。

 というわけで、私は今日もダフネが淹れてくれたお茶をのんびりと飲んでいる。


「オリアーヌ様、お手紙が届いています」

「手紙? ……げ」


 思わずはしたない声が漏れた。妹からだ。そのまま燃やしてしまいたいが、家の紋章印が入った正式なものだ。流石に読まないわけにはいかない。

 封を切り、短い手紙を取り出す。妹らしい高慢な言葉遣いで書かれているのは、舞踏会への招待だった。


「……行きたくねぇー」

「オリアーヌ様、はしたないですよ」

「失礼。……ジェラールに相談しないとね」


 結婚されたのですからお二人で是非に――などと書いてきた妹へ、脳内であらん限りの罵倒をぶつけてから溜息をついた。



 その夜もジェラールは私の角を様々な角度から見つめ、触れては、ダフネに細々と手入れの指示を出していた。

 抵抗しても無駄なので、ここのところは大人しくされるがままになっている。角以外にはほとんど触れず、触れても髪や頭を軽くくすぐる程度なので、実害はない。ただただ恥ずかしく鬱陶しいだけだ。


「ジェラール。妹から舞踏会の誘いが来ていて」

「行きたければ行くといい」

「全く行きたくないわ。けど……実家と付き合いがあるグラナン大公が来るみたいで、『是非に』ってことなの」


 王弟であるグラナン大公は、公爵の身分を得て王位継承権を放棄してはいるものの、王宮にいまだ隠然たる権力を持つ有力者だ。爵位は同じ公爵家だとしても、その重さは異なる。『是非に』という表現を、貴族としては無視はできない。

 ジェラールはひとつ舌打ちをした後、角を見つめて何やら考え込んでいた。一分ほどだろうか。悩むことの少ない彼にとっては、かなりの長考だった。


「いいだろう。夫婦で参加する旨、返信を」

「……ちょっと。なんで断らないの。しっかりしなさいよ」

「いずれ社交の場には出ざるを得ない。丁度いい、君に会わせたい者がいる」

「どんな方かしら」

宝飾職人デザイナーだ」



「あらぁー良い艶の角ねぇ! それに上品な黒! 飾り甲斐があるわぁ……!」


 作った笑顔がひきつる音がした。

 その日引き合わされたのは、ジェラールが懇意にしている宝飾職人だというだ。色白で長身の男で、燕尾服を原形をとどめなくなるまでアレンジしたような、派手ないでたちをしている。人懐っこい孔雀の風情。

 ジェラールとは別種の距離の詰め方に、一歩二歩、引く。


「セドリック・シーニュよぉ。よろしくね、若奥様?」

「オリアーヌです、……シーニュというと、あの?」

「んっふっふ。第二王女の結婚式に宝飾を提供した、あのシーニュ、ならあたしのことよん」


 宝飾に興味のない私の耳にも名が届く、新進気鋭の職人アルティザンだ。

 隣で腕を組んでいたジェラールが何度も頷く。


「わかるか、セドリック」

「ええ、あなたがご執心なのも納得だわぁ。ううん、インスピレーション湧いちゃう……!」


 何やら盛り上がる男二人を、私は冷たい目で、傍らのダフネは苦笑で見守る。大人気のデザイナーと学者肌の公爵、何の人脈かと思っていたが……。


「変態つながりか」

「まぁ、失礼ね。そこの変人博士と一緒にしないで頂戴。あたしはあくまで人体の美を飾る者、よ? 獣の相は人体の美を拡張する、得難い素質……」

「そうだ。そこの頭のおかしい芸術家気取りと一緒にするな。私はあくまで生命の美を愛でる者であり……」

「一緒だろ」


 はあ、と深くため息をついてやる。若干思うところはあったのか、二人とも少し静かになった後、仕事に取り掛かった。


「ううん、まさしく曲線美ね。上質な冠を装飾するように……」

「セドリック。舞踏会は二か月後だ。ドレスも用意できるか」

「いいわよぉ。腕のいい工房を紹介してあげる。角の手入れはしている? ……最近始めた? いいわね、最高の素材!」


 けらけらと笑うセドリックの瞳が、ぎらりと輝いたように見えた。ジェラールも時々見せることがある、熱量に満ちた専門家の目つき。

 この視線の前に、人間は平等に無力だと、私はもう知っている。


「貴女は誰よりも美しいと教えてあげるわ、オリアーヌ」

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