第3話 角あり令嬢は呼ばれたくない
何度思い返しても頭が痛くなる経緯で結婚を申し込まれて、二週間。
後日正式に話を持ち込まれた父は『公爵家との血縁』と『花嫁の持参金不要』に惹かれて快諾してしまった。私のためと言ってはいたが、『獣返り』の娘を体よく厄介払いできたと安堵しているに違いなかった。
気付けば神殿で婚姻の誓約を終えて、馬車に揺られ、ジェラールと共にガルニエ家の
「不自由をさせるつもりはない。君の侍女としてダフネを付ける、必要なものは申し付けるように」
「ダフネと申します、奥様。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀するダフネは、私より少し年上の女性で、その黒髪の上には三角形の猫の耳が生えていた。『獣返り』だ。
外出用の大きな白帽子の鍔を摘まむ。少し躊躇ってから、帽子を脱いで礼を返した。
「私は仕事を片付ける。夜に研究を手伝ってもらうから、それまで楽にしていたまえ」
「……その、研究ってのは何なんですか。私を……研究材料扱いしているのはわかりますが」
「獣の相、ひいては人間に関する研究だ。医学、生物学、自然科学そのものの手がかりになる」
ジェラールはそれだけ言い残し、執事らしき初老の男性を従えて去って行ってしまう。ダフネが苦笑して、私室へと連れて行ってくれた。
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ガルニエ公爵家領は、領地としては大きくはないが、古くから交通の要衝を占めてきた。それゆえ人・物ともに多様に集い、多くの学者や芸術家を育てた土地だという。
「……おいしい」
「お口に合ったなら幸いです。ラベンダーの香りには、心の疲れを癒す効果があると言われていますから」
ダフネは黒猫の耳を持つ『獣返り』。私室へと案内される間にも、すれ違う使用人たちの多くが『獣返り』だった。
獣の耳、角、瞳、尻尾……身体のいずれかに獣の異形を宿す『獣返り』は、十の村に一人程度の割合で生まれるという。生まれてすぐ殺されてしまったり、獣の相を隠して生活していたりする者も多いから、実際にはもう少し多いだろう。
ところが、この屋敷では『獣返り』の方が多いように見えた。
「ダフネ。このお屋敷に『獣返り』が多いのは……ジェラールが?」
「はい。旦那様の方針で、雇うのはまず『獣返り』を。それで足りなければ経験のある者を……と」
「……なぜそんなことを?」
「さあ……旦那様は知恵深い方ですから。私もそのおかげでこうして侍女として働けていますので。ありがたいことです」
「……そうね」
ジェラールには、全く縁がない私にまで聞こえてくる噂が二つあった。
一つ、ガルニエ公爵は卓越した学者であり、『獣返り』については特に造詣が深い。
一つ、ガルニエ公爵は驚くべき変態であり、人外を愛する『獣返り』
苦笑を浮かべるダフネも、その噂の存在は知っているのだろう。
「奥様、一度お休みになりますか?」
「いえ。着替えて、屋敷を見て回ります。皆に挨拶をするわ」
「かしこまりました。ご案内いたしますね」
経緯はどうあれ、婚姻は婚姻。私は公爵家の奥方となったのだ。務めは果たさなければならない。夫であるジェラールから全く期待されていないとしても、だ。
……それはそれとして。
「ダフネ。できればその呼び方はやめて欲しいのだけれど」
「『奥様』……ですか? かしこまりました……ですが、やはり奥様ですので……どのようにお呼びすれば失礼ではないでしょうか?」
奥様であるのは間違いないのだが、呼ばれるたびにあの男の顔がちらついて若干頭に来る。我ながら理不尽なお願いに、ダフネが困ったように曖昧に微笑む。
「貴女が嫌でなければ、名前でお願い。オリアーヌよ」
「では、オリアーヌ様と。無学の身にて、無作法がありましたらお叱りください」
「……今のところ、私にはもったいない侍女だけど」
「光栄です」
深々と頭を下げる仕草は様になっていた。お茶の淹れ方も、着替えを手伝ってくれる腕も、所作は丁寧で素早い。実家にはここまで完璧な使用人はいなかったし、いたとしても、その技術が私に対して発揮されることはなかった。主と使用人である前に、『獣返り』とヒトだったから。
儀式に相応しい重いドレスを脱ぎ、身軽な日常着に着替え、部屋を出た。
「オリアーヌよ。突然だけれど、お願いするわ」
ダフネの案内で屋敷の各所を巡り、出会う使用人に軽く挨拶する。彼らの仕事を邪魔しては悪いから名乗る程度にはなるが、顔と名前と仕事を一致させておくのも女主人の仕事だ。実家では必要とされなかった心構えを、頭の底から掘り返していく。
概ね一回りして、屋敷の構造も把握してきた頃、その部屋についた。
「ここは……旦那様の研究室です」
「研究室。なんだか恐ろしい響きね」
「用向きなく入ってはいけないと言われていますが……」
「私は用があるから構わない。開けて」
「かしこまりました。……失礼いたします」
部屋の中は、印象としては清潔な病院のようだった。ベッドや机、作業台がいくつかある広い部屋だ。一角には本が詰まった大きな本棚がある。
おどろおどろしい雰囲気を期待していたわけではないが、若干拍子抜けして室内に入る。ベッドに腰かけていた青年がにこやかに微笑んだ。
「おや、はじめまして? 貴女がジェラール博士の奥さんですか」
「オリアーヌよ。あなたは……」
青年は白いシンプルな服を身に着けていて、少し幼げがある顔立ちに焦げ茶色の丸眼鏡を付けている。その腰には緑色の太い尻尾が巻きついていた。爬虫類、ワニだろうか。
名乗り、挨拶を交わす。
「僕は使用人ではないけれど、よろしくお願いします。ジェラール博士の……うーん……被検体かな。被検体のシェロと申します」
被検体。また物騒な言葉だが、私も似たようなものか。
「あなたも『獣返り』なのね」
「ええ。少し珍しいみたいで。尻尾と……」
尻尾をくねらせつつ、色のついた丸眼鏡を外す仕草。縦に裂けた瞳孔が見えた。
「瞳と、身体にも何か所か鱗が。『獣返り』の中でも、複数に出るのは珍しいみたいで」
「……そうね、初めて聞いた。あの……シェロ? 被検体と言っていたけれど、どんなことをされているのかしら」
彼が受けている仕打ちを私も受けるかもしれない。そう思って問うた声が深刻に聞こえたのか、シェロは朗らかに笑い声をあげた。
「あはは、そんなに怖がらなくても大丈夫だと思いますよ。痛いことは……たまに血を少し抜かれるくらいかな。成分を検査するそうです。じろじろ観察されるのは恥ずかしいですが、もう慣れちゃいましたし」
「……そう……なの」
観察されるあの視線は、恥ずかしいというより気持ち悪いくらいだったが。
「彼は……変人で、変態と言ってもいいくらいで、あるいは天才ですが。僕たちを人間として見てくれていることは、確かですから。あとは……怪我をした時に診てくれる医者もいないので、それも助かってますね」
青年の微笑みは穏やかだ。お給金も出ますし、と悪戯っぽく付け加える。
確かに……尻尾に瞳、いずれも隠しきるには大きすぎる獣の相だ。働くのにも医者にかかるにも、曲がりなりにも貴族である私より苦労があるのだろう。
話していると、研究室の奥にあった扉が開いた。中から侍女が出てくる。視線を向けて……声を上げてしまった。
「っひ……!?」
女性にしては背の高い侍女だ。茶色い髪をひっつめている。その左腕――肩から先が、獣毛に包まれた熊の腕だった。巨大な腕は明らかにアンバランスで、異形としか表現できなかった。
「あっ……も……申し訳ありません……!」
腕の恐ろしさとは裏腹に気弱そうな声を上げ、泣きそうな顔をした侍女は、扉の奥に引っ込んでしまう。
失礼を働いた自覚はあった。だが、声が出ない。
自身が『獣返り』だから、獣の相に対する偏見などないと思っていた。……甘かった。ヒトとあまりにもかけ離れた異形に、取り繕うことすら忘れた。
「……彼女は研究室付きの侍女、クラリスです」
ダフネが名を教えてくれる。頷き、少し悩んで、扉の向こうへ声を掛けた。
「…………失礼をしたわ。後日、きちんと話させて頂戴」
返事はないが、仕方ないか。僕からも伝えておきますよ、と微笑むシェロに頷いて部屋を後にする。
ふと思い出す。クラリスは熊の腕を隠すこともなく、普通に扉から出てきた。シェロも同じだ。あの部屋の主であるジェラールが、彼らの腕や尻尾や瞳に特別な反応をしていないからこその態度なのだろう。
「…………」
『獣返り』を忌避する心が私の中にもあったことに気付かされたことと、ジェラールがそうではないと再確認したことが、少し悔しかった。
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