2.

 そのさみしいセックスをしたあと、さとるは言った。

「じゃ」

「うん。――さよなら」

 いつもなら、「またね」と言うところを、陽菜は「さよなら」と言った。

「……さよなら」悟も「さよなら」で返す。

 二人の別れはもう決定的なもので、これは最後の逢瀬だった。もう一度会って話したら、もしかして別れは回避出来るかもしれないという淡い期待が二人にはあったが、さみしい食事をしてさみしいセックスをして、「既に終わっていたこと」を確認しただけだった。重く垂れこめた分厚い雲が、二人を終始包み込んでいるような、そんな時間だった。

 悟が帰っていく背中を、陽菜はベッドの中から見送った。

 すごく好きだったときもあったんだけどな。どうして恋は終わってしまうのだろう?

 陽菜はしばらく、二人でよく笑い合ったベッドの上で、悟と過ごした一年半を思い返していた。一緒にごはんを食べたり映画を観たり。誕生日も楽しかったな。悟とは同い年で、小さいころに見たアニメの話も思春期に聴いた音楽の話も、よく通じ合って、そういうことも嬉しかった。

 でも、恋の終わりは必ずくる。


 陽菜は裸のままベッドから起き上がって、玄関の鍵をかけた。それから、寝具カバーをすべて外して丸めてゴミ袋に入れた。ゴミ袋に入った生成り色のシーツをじっと見たあと、浴室に行ってシャワーを浴びる。お湯の温度を上げて、熱いお湯を浴びながら念入りに身体を洗った。

 涙はもう出なかった。

 ここに至るまでに、もう充分泣いていた。

 シャワーを止めて、浴室を出る。

 躰を丁寧に拭いて、好きな香水をつける。それから、お気に入りの下着を身に着け、そのまま下着姿で部屋の片づけを始めた。悟からもらったもの、悟を思い出しそうなもの、二人の想い出のもの。すべて捨てていく。指輪もピアスも、お揃いのカップも、それから、もらった香水も、すべて。様々なものが生成り色のシーツの上にどんどん積み重なっていく。ゴミ袋を見ながら、今度の寝具カバーはもっと明るい色にしようと思った。かわいくて、きれいな模様のついた布団カバー。そしてお揃いの枕カバーにシーツ。

 陽菜はしばらくゴミ袋に入った生成り色のシーツを見たあと、片付けの続きを始めた。目にするものをどんどんゴミ袋に入れる。悟といるときによく着ていた服も捨てていく。服には想い出が染み付いているような気がしたのだ。物をあらかたゴミ袋に入れたあと、パソコンやスマホの中のデータもすべて消去する。写真もメールもLINEのやりとりもすべて。最後に悟の連絡先を消した。そうして、一つ一つ捨てていくことで、気持ちがすっきりした。


 クローゼットの中の服が少なくなったので、陽菜は、寝具カバーと共に服も買いに行くことにした。ピンク系の可愛らしい寝具カバーを買い、それから服を大量に買った。部屋に戻り、新しい寝具カバーをつけると、部屋が一気に明るく華やかになった。きれいな花の模様が気持ちを明るくする。それから、買って来た服を一つ一つ鏡の前で着てみて、高揚感に浸りながらクローゼットにしまう。新しく下げた服を見ていると、とても嬉しい気持ちになった。次の日は、美容院に行き、髪型を少し変えた。そうして、少し気持ちが落ち着いたのだ。


 陽菜は思う。

 つきあうのは簡単なのに、続けるのはどうして難しいんだろうと。

 悟と別れたあと、陽菜はしばらく一人の時間を楽しもうと思っていた。

 一人は一人で楽しい。

 新しい部屋で新しい気持ちで、陽菜はお一人さまを満喫しよう。


 そんなとき、實と再会したのだ。

 實は弟の晴の友だちで、それだけの存在だった。晴は年の離れた弟で、年が離れているからかわいかったし、でも同時にだからこそ、ちょっと遠い存在だった。

 両親は遅くに出来た弟をとてもかわいがっていて、陽菜に無関心だったとは言わないけれど、でも陽菜は両親にとって「放っておいても大丈夫な子」だと思われていることを知っていた。そのことは陽菜を少しさみしくさせた。就職してからお金を貯め、そうして家を出て、陽菜はとてもほっとしたことを覚えている。實とあの家で最後にあったのは、陽菜が実家を出る直前のことだった。

 あのころの實はまだ大人になっていなくて、美少女みたいな外見をしていて、でも、その「女の子みたいに」の部分を実のところすごく恥ずかしがっていたのを、陽菜はなんとなく気づいていた。

「陽菜ちゃん?」

 實の顔を見ていたら、名前を呼ばれる。

 ――あのころも「陽菜ちゃん」と呼ばれていた。

 十六歳だったころの實を思い出して、くすっと笑うと、「あ、なんで笑うの?」と實は言った。そのさまがかわいくて、陽菜はさらにくすくすと笑った。

「ねえ、なんで笑うの?」

 實はちょっと怒ったように言う。

「實くん、男の人になったな、と思って」

「だって、僕、もう二十一だよ?」

「うん」

「同じ二十代だね」

「うん」でもすぐに、わたしは三十代になる、と陽菜は思った。

「僕、ずっと陽菜ちゃんに近づきたかったんだ――」

 そう言って、實は陽菜に口づけをした。

 あの、女の子みたいにかわいかった男の子。

 すっかり大人の男の人になって、キレイな顔でわたしにキスをする。

 ――晴に怒られちゃうかな。

 ずっと帰っていない、実家のことを思い出す。大学生の弟とも、しばらく会っていなかった。……實くんも、大学生なんだ。

 キスをしながら、陽菜はふとそのことに気づく。

 柔らかい髪を撫で、そのまま躰じゅうを優しく撫でながら、實くん、二人の間にあるものは永久になくなることはないんだよ、と思う。

 実家の両親の顔がふとよぎる。晴の顔も過る。それから、十六歳だった實の顔も過る。

 それらを全部消すように、陽菜は實を受け留めた。

 二人の荒い息と甘い声が、陽菜の心を満たす。

 年下の、弟と同い年の、大学生の男の子と、わたしは何をしているんだろう? と陽菜は思う。だけど、キレイな顔が照れたように笑って、優しくキスをしてくると、もう何も考えられなくなるのだった。かつて女の子みたいにかわいかった男の子は、すっかり大人の男の人みたいになって、陽菜にキスをして抱き締め、そして陽菜を高いところへ導くのだ。

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