第67話:野望を抱く者たち

 

 赤硝国家シャルマーンの王城。その一室に集まった権力者たちは一様にざわめいていた。


「また前線が後退したのか? 軍部はいったい何をしているのだ!」


 とある文官が激昂したように叫ぶ。彼が話しているのはパラアンコとの戦況についてだ。当初は負けるはずがないと思っていた戦い。だが蓋を開けてみれば予想以上に苦戦を強いられている。


「敵の義勇兵とやらが厄介なようだ」

「“栄光玉砕”のフィリップか。奴の名は我々でも知っている。本人は一級騎士。側近も近い実力があるそうだな」

「フィリップだけじゃないぞ。とある無名の小隊によって被害が拡大しているのだ」

「無名の小隊? 隊長は誰だ?」

「隊長は不明、旗も義勇兵とは異なる模様だ。シャトルワース領の家紋に似ているらしいが、詳細はわからない。だが軍も顔負けの連携だと報告を受けている」

「ふん! どうせパラアンコの戦略的誤報プロパガンダだ、惑わされるな!」


 武官と文官の言い争う様子を、シャルマーン王が遠巻きに眺めている。齢六十を超えているが、彼の肉体は目の前の武官と遜色ないほどたくましい。元英雄にして現国王アダムス。シャルマーンの黎明期を支えた王は、この先行きが怪しい戦況をどう打開するか考えている。

 パラアンコがこれほどの力を持っているならば、どうして温存していたのだろうか。まるで義勇兵の登場によって戦況が傾いたように見える。


 いや、原因は思い当たっていた。今までシャルマーンが圧勝していた大きな要因は、パラアンコの内通者から情報を得ていたからだ。正確には仲介人を通してのやり取り。内通者のおかげでシャルマーンは事前にパラアンコの戦略を把握することができた。だが今回はその情報に義勇兵の存在が入っていなかった。

 偶然か、それともパラアンコが内通者に勘付いたのか。


「次に奴が来るのはいつだ?」

「仲介人ですか? 彼は先日来たばかりなので、あと二十日ほど先になると思われます」


 配下の返答に王は肩をおとした。無論、対魔導兵団がいる限りシャルマーンは負けない。サミダラ要塞こそ陥落してしまったが、あれは本土から遠いがゆえに補給路が伸び、そこを義勇兵に叩かれてしまったからだ。国境近くでの戦いならばシャルマーンに軍配があがる。

 それでも王は奇妙な予感、否、胸騒ぎがあった。シャルマーンがじわじわと喰われるような寒気。そして胸騒ぎの中央に誰がいるかと考えたとき、思い浮かぶのは栄光玉砕と呼ばれる男。あの冷酷な瞳がシャルマーンを見下ろしているような気がしてならない。


「お言葉ですが陛下、仲介人を信用しすぎるのは危険です。奴は素顔すら我々に明かしていません。奴の情報源だという、パラアンコの内通者が誰なのかも我々は知らないのです」


 側近が忠告をする。仲介人、そして内通者。せめて顔がわかれば少しは信用できるのだが、どちらの正体もわかっていない。


「お前が不安に思うのもわかる。余も仲介人を信用しているわけではない」

「ならば――」

「だからこそだ。敵が策を講じるならば、策士を表舞台に引きずり出し、我らが赤硝で踏み潰してこそシャルマーン人だ。前に進むしかないのだよ。偉大な先人方がそうしてきたように」


 いつの間にか言い争っていた配下たちが王の言葉に耳を傾けていた。絶対的な支配者の出す覇気が、配下たちの目を奪っていた。


「確かに仲介人は扱いづらい奴だ。突然現れたかと思えばのように消える。あのような魔術士は余も見たことがない。だが奴の情報が有益なのは確かだ。正体がわからぬからと躊躇するような臆病者はシャルマーン人にいないだろう」


 帝国にも負けない強大な国を。王は国民の願いを背負っている。ゆえに王はあらゆるものを利用して勝利を掴もうとする。すべてはシャルマーンのさらなる発展のため。


「貪欲であれ! 非情であれ! パラアンコが我らの大地を踏もうとするならば、身の丈に合わぬ野望ごと打ち砕いてみせよ! 一度や二度の敗北で臆するな! 我々は誇り高きシャルマーンだ!」


 王が吠える。瞳に燃え上がるような野望を宿しながら。


 ◯


 陥落したサミダラ要塞の指令塔に男が立っている。人並外れた肉体。使い古された二振りの直剣。肩ほどに足を開き、夜風を楽しむように両腕を組んでいる。


「あら、こちらにいらしたんですかフィリップ様」


 フィリップは振り返らない。見ずとも声の主がわかるからだ。


「これ以上は攻められないな。今は時期が悪い」

「時期、ですか?」

「私の義勇兵が強大だが、このまま攻め込めば相応の被害が出る。仮に勝ったとしても西方蛮族が見逃さないだろう。疲弊した我々を喰らい尽くすべく攻めてくる。見よ、あの赤きシャルマーンの大地と、そこに横たわる屍たちを。一歩間違えれば我々も同じ道を辿るのだ」


 声をかけた女、トルネラは驚いた。夜目が効かないはずのフィリップが見えていることに。決して虚栄ではなく、本当に彼はシャルマーンの国土と、そこに眠る戦士たちの死体が見えているのだ。


「私が軍に入らず義勇兵を選んだ理由がわかるかい?」

「思い通りの駒が手に入るからですか?」

「ふむ、君はなかなか私のことを理解しているじゃないか。嬉しいよ」


 舞い上がるトルネラ。フィリップの後ろで小躍りをする。


「義勇兵は良い。たとえ戦争に負けたとしても、民の怒りは軍に向けられる。我々が槍玉に上がることはない」

「それに軍と違って自由に動けますからね。今回だって軍が要塞で囮になっていたから、私たちがうまく横腹をつけましたし」

「今夜の魔女新聞を読んだかね? 我々は勝利に導いた立役者だそうだ。まあ、そう書くように依頼をしたのは私だがね。がはは」


 一陣の風が吹いた。トルネラが思わず身震いをする。寒いからではなく、冬の夜風にのって、血肉の腐った匂いが戦場から漂ったからだ。苛烈を極めたサミダラ要塞の攻防は両陣営に多大な被害をもたらし、義勇兵からも少なくない数の戦士が消えた。それだけの価値がこの要塞にあるのか、トルネラにはわからない。理解する必要がない、と彼女は思っている。自分はただフィリップの背中を追いかけ続けるのみ。


「フィリップ様」


 そんな彼女も、たまに疑問をいだくことがある。


「アイラとネリーを覚えていますか?」

「ああ、もちろんだよ。君たち三人は仲が良かったから。悲しんでいるのかね?」


 アイラとネリー。トルネラの取り巻きだった二人だ。彼女たちはサミダラ要塞の側面を攻め入った際、城壁から放たれた魔術に当たって死んだ。もしも二人がとっさに庇ってくれなければトルネラも焼け死んでいただろう。狙われたのは偶然だ。運悪く増援と鉢合わせをし、一番近くにいたアイラたちが犠牲になった。


「わかりませんわ。でも、あのとき私は思いました。きっと私の最期もあっけないものでしょう」

「おや、君がそのような弱音を吐くとは意外だ。冬の夜風は君のように勇敢な戦士の心すら震えさせてしまうのかね」

「弱音ではありませんよ。私、フィリップ様のために死ねるなら本望ですもの」


 トルネラの言葉に真摯な想いを感じ、ようやくフィリップが振り返った。夜風を背負う男。常時であれば、この寒々とした夜空と同じぐらい冷たいはずの瞳に、わずかながら興味の色が浮かぶ。


「私のため、という意味を君は正しく理解しているのかね?」

「もちろんですわ。誰よりもあなたの背中を見てきましたから」


 トルネラは一度、言葉を切った。彼女の瞳には強い覚悟があった。


「フィリップ様が優秀な軍人を引き抜いてパラアンコ軍の力を奪ったのも、新聞屋を通じてパラアンコの作戦を敵国に伝えているのも、すべて理解しています」


 フィリップは目を見開いた。トルネラが語った内容は極一部の側近しか知らない事実だ。あの弓騎士ですらフィリプを疑っているものの、事実の末端しか掴めていない。無論、カロリーネ王女に偽の手紙を送って魔術学院に誘導するよう指示を出したのはフィリップであり、その任を受けたトルネラがある程度勘づいていてもおかしくない。だがあまりにも彼女の持つ情報は正確だった。


「ですが、なぜパラアンコを裏切るような真似をしているのかわかりませんわ。パラアンコを潰すつもりなら私も手伝います。でもあなたはサミダラ要塞を落とした。いったいどちらの味方なのでしょう?」


 落ち着いた声音で話すトルネラ。別人と言われたほうが納得できるほど普段の彼女とはかけ離れている。否、これが本来の貌だ。トルネラは普段から何枚もの仮面を使い分けていた。それは明確な意図があったのではなく、染み付いた癖によるもの。


「まいったな。私は本当に、部下への理解が甘いらしい。君は何者かね?」

「フィリップ様が一番ご存じでしょう。私を花街から救ってくださったのはあなたですから」

「随分と昔のことだ。時が経てば経つほど、君について知らないことも増えてくる。だがそうか、一つ思い当たるものがあった」


 フィリップは自分の髭を触りながら記憶を探る。


「魔導協会にはかねてより『影』と呼ばれる優秀な暗部がいた。賄賂の証拠を抑えようと軍が何度も乗り込んだが、そのたびに彼らは無駄足を踏んだ。私も協会の手腕には感心していたのだが……君の父親がどうして監査員になれたのか、ようやくわかったよ」

「女は演技が上手いのですよ。愚鈍な父が摘発されないように工作するのは苦労しました」

「君が影になったのはいつからかね?」

「フィリップ様と出会ってすぐですわ。牙を磨くならば拾ってやる、とおっしゃったのはフィリップ様ですよ?」


 遠い過去。花街に捨てられた非力な少女を思い出す。ちょうどフィリップが義勇兵を本格的に増強しようと考えていた頃だ。とにかく人手が欲しかったフィリップは見込みのある若者を片っ端から呼びかけた。そしてトルネラも拾われた一人。花街に似合わぬ獣のような目をしていたから気に入られただけ。フィリップからすれば駒の一つに過ぎなかった。


(獣が化けたか)


 見定めるように目を細めるフィリップ。その表情はわずかに嬉しそうだ。


「どちらの味方か、という話だったな……私はパラアンコの義勇兵だ。あえて言うまでもないだろう」

「では、どうして内通者のような真似を? なぜシャルマーンに作戦を漏洩する必要があったのですか?」

「簡単な話だ。そのほうがパラアンコが窮地に陥るからだよ」


 トルネラが首を傾げた。それでは矛盾しているではないか。


「シャルマーンの鉄騎士を知っているかね。剣だけでパラアンコの魔術小隊を打ち破った英雄だ。シャルマーンの子供たちは鉄騎士の話を聞いて育つ。北方の雪巫女はどうだ。大寒波の到来を予知し、食糧を備蓄して民を救った。彼女がいなければ多くの民が餓死しただろう。風来の修羅、と呼ばれる槍使いも戦士の間では有名だな。彼が仕留めたサルファの獣は数知れない」


 乱世において多くの英雄が生まれ、道なかばで消えていった。彼らの壮絶な生き様は人々の希望として語り継がれている。


「英雄は決して平和な世に生まれない。泥濘でいねいのような地獄から這い上がった者だけが後世に名を残す。パラアンコは平和が続き過ぎたのだ。この国は滅びる。そして、私はパラアンコの最後の戦士になる」

「悲劇の英雄になる、というのですか?」

「笑うかね? がはは、笑われるのは慣れている。だがね――」


 再度、風が吹いた。さっきよりも強く。どこまでも高く舞い上がるような夜風。


「私は本気でパラアンコを滅ぼしたいと思っているが、同時に、本気で救いたいとも思っているのだよ」


 これは一種のマッチポンプ。最後の英雄となるため、彼は自らの手でパラアンコを滅ぼそうとしていた。

 少年のような澄んだ眼差しで夢を語るフィリップ。その狂気に近い純粋さを見た瞬間、トルネラは改めて確信した。自分にはない力強さ。どれほど無謀な夢も叶えてしまいそうな引力。そんな彼に自分は惹かれたのだと。

 常識的に考えればフィリップを止めるべきだ。だがトルネラの心はとっくの昔に傾いている。彼女もまた、栄光玉砕の放つ、強すぎる光に焼かれた者の一人。


「花街を出た日から私の生き方は決まっていますわ。あなたがどれほど手を汚そうとも私はついていきます」

「ならばこれだけは言っておこう。私は数多の同胞を殺した。これからも私を慕ってくれる者たちを喰らいながら栄光の道を歩む。それでも私を助けてくれるかね?」


 トルネラは迷わずに答えた。


「ええ、もちろんです」


 満面の笑み。それは普段メヴィに向ける性根の悪そうな笑みとは正反対。恋心を恩義という名のベールで覆いつつも、隠しきれない本心が思わず顔に現れてしまう。影にあるまじき失態だ。だが長年秘めていた想いを少しでも伝えられたことにトルネラは嬉しさを感じる。


 この夜、せき止めていた歯車が一斉に動いた。

 パラアンコは王女の死により更なる混乱に見舞われるだろう。今すぐではなくとも、融和派の失墜は確実に争いの火種となる。燃え上がるパラアンコの舵を取るのは軍か、民か、それとも義勇兵の隊長か。

 西方蛮族の魔女はサルトリアでの任務を終え、上機嫌で故郷に帰ろうとする。だが彼女はまだ知らない。分厚い雨雲が西方蛮族の空を覆いつつあることを。

 新聞屋は少女の記憶を見た。十数年の、それも子どもから得られる記憶では情報が限られていたが、それでも新聞屋はとある計画を考えた。彼は部下に命じて優秀な魔術士を集め始める。

 転がり始めた果実は誰にも止められない。不穏な空気を感じとったかのように栄光玉砕が、シャルマーンの王が、各地の魔女や戦士たちが、この静かすぎる夜空を見上げた。



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