第62話:弓騎士の戦い方

 

 転がるように廊下へ出た私たち。バッと顔を上げると、私たちがいた部屋は黒点によって跡形もなく消し飛んでいた。一応、自分たちを巻き込まないように威力を抑えたつもりなんだけどね。学院の一角がなくなっちゃった。やっぱり使い所に注意しないと危険な魔術だ。


「追ってくる気配はありませんが、あれは本体じゃないので安心できません。急いで地下に向かいましょう」

「地下……あの隠し階段か?」

「あそこが一番怪しいですから。もし他に心当たりがあるなら言ってください。どうせ当てずっぽうなので今なら変えられますよ」

「いいや、お前を信じよう。私が選ぶと大抵の場合ろくでもない結果になる」

「ハッハッハ、間違いない」


 否定しなかったら睨まれた。エマが言ったんじゃないか。

 緊張をほぐすように軽口を言いながら廊下を走る。昼間の学院は生徒が多すぎて真っ直ぐ歩くことすら大変だったけど、夜は誰もいないおかげでとても動きやすい。コツコツと床を蹴る音が無人の廊下に響いた。


「エマは学院に通ったことがありますか?」

「実家にいた頃に通わされた。うちは小さくても貴族だったからな。それがどうかしたのか?」

「学院は怖い場所だなあと思っただけです。エマはよくぞ素直に育ってくれました」

「お前に言われるとむず痒いな」


 私は学校というものを知らない。「メヴィ」になる前も含めて。だから学校に通う子たちが羨ましかったんだけど、こんなに危ない場所なら通わなくて正解だった。やはりお母様の教えは正しいのだ。学校は間違った思想や事実ばかりを教えるからやめなさい、とよく言っていた。お母様、メヴィはその言葉の意味を今こそ理解しましたよ。

 一般の学生からすればメルメリィ教授は良い学院長なのだろう。聡明で博識。生徒や学院のことを想ってくれるから、魔術士が安心して魔導を学ぶことができる。でも世の中はそう都合よくできていない。戦火が広がるこの世の中、平和とは誰かの犠牲によって成り立っている。


「メヴィ、誰か来るぞ」


 考え事をしているとエマが立ち止まった。確かに廊下を走ってくる音がする。メルメリィ教授ではないだろう。見回りの先生が騒動に気づいたのかな。


「探したわ二人とも! いったいどういう状況なの?」


 やがて足音の正体がわかると、私とエマは安心したように息を吐いた。現れたのはアルジェブラだ。彼女は私たちを見つけると顔をほころばせながら駆け寄ってきた。


「どうも何も、メルメリィ教授に襲われているのだ」

「彼女は魔女でした。夢見の魔女です」

「ピッチも魔女だ。カロリーネ王女はピッチに殺された」

「メルメリィ教授の本体を探さないと私たちは殺されます。急いで地下に向かうのです!」

「ちょ、ちょっと待って、一度に言わないで」


 アルジェブラは情報過多で混乱している。でもカロリーネ王女が殺されたというのはちゃんと聞き取ったらしく、ショックを受けた様子だ。アルジェブラも融和派だから余計に衝撃的だったのだろう。

 カロリーネ王女の死はたぶん、カタビランカの流れを変える。足を引っ張り合っていた、融和派と革新派のバランスが崩れる。きっと国の上層部はより過激で強硬な姿勢をとるだろう。沈みかけた船のようなカタビランカ。その舵取りをできる人物がはたして残っているのだろうか。もしかするとカロリーネ王女が最後の希望だったのかもね。


「とにかく今は逃げましょう。立ち止まっているとメルメリィ教授が――」


 足元を何かが駆け抜けた。ぞっとするほど深い魔導の覇気を感じる。一瞬にして世界の色が塗り替えられたような存在感。

 私たちを追い抜かしたメルメリィ教授が、どぷんと床から染み出すように現れた。彼女の瞳には怒りが宿っている。黒点を食らってもピンピンしているけど、苛立たせる程度の威力はあったらしい。


「やってくれたわね。あの部屋は私のお気に入りだったのに……銀の魔導具がどれほど高価なものか、魔術士のあなたならわかっているでしょう?」

「もし請求するならルル婆にお願いします。それかカタビランカ義勇兵のフィリップ隊長でもいいですよ」

「壊した張本人がいるのに、どうして面倒なことをしないといけないのかしら」


 メルメリィ教授が両手を広げると、見たことのない獣たちが地面から現れた。幻術によって生み出されたサルファの獣だ。不死の力を与えるという落炎鳥、長い尻尾をもつ白い狼、しゅわしゅわと腐敗の煙がのぼる獣。メルメリィ教授が長い研究者生活で調べた、原初の獣の集団である。

 完全に行く手を阻まれた。ここで黒点を打つと学院が崩落しかねないし、一体ずつ倒そうにも数が多すぎる。下へ降りる階段はメルメリィ教授の向こう側にしかない。

 私は何か打開策がないかと周りを探した。氷の彫像は相変わらず直立不動。でも瞳だけはずっと私たちを追っている。燭台の火が生き物のように揺れ、獣たちの歪な影を廊下に落とした。壁には豪華な絨毯が掛けられており、最上階を表すように月や星々が描かれている。


 そうだ、絨毯だ。私はエマに目配せをした。でも私たちの逃げる素振りに気づいたメルメリィ教授が先に仕掛けてきた。


「今度こそ逃さないわ!」


 メルメリィ教授の号令により獣の群れが襲いかかってきた。真っ白な狼が勢いよく跳ぶ。私の腕ぐらいありそうな牙だ。燭台の火に照らされ、何倍にも大きくなった影が地面に落ちた。


 直後、凄まじい音が響くと同時に、狼が天井に縫いつけられた。腹に矢が刺さっている。それも普通の矢ではない。槍のように長くて大きな矢。硬い毛皮を易々と貫く威力。

 アルジェブラだ。すでに彼女の大弓には次の矢がつがえられていた。呪痕に魔力が流し込まれることで鎧の内側から光を発している。


「なるほどね。状況はよくわからないけど、私のすべきことは理解したわ」


 アルジェブラが私を見た。


「いきなさい。魔女との戦い方は私がよく知っているわ」

「一人で大丈夫ですか?」

「上級騎士の腕の見せ所ね。こう見えて結構強いのよ?」


 そう言いながら迫り来る獣を射抜いた。矢が壁に突き刺さり、弓とは思えない轟音が鳴る。ちらりと振り返るアルジェブラ。彼女の顔には自身ありげな笑みが浮かんでいた。

 今はアルジェブラを信じよう。ここで三人とも足止めを食らえば勝ち目がない。私はエマを連れて来た道を引き返した。


「エマ、大パイプを探してください!」


 二人がかりで片っ端から絨毯をめくった。サルトリア魔術学院には多くの隠し通路がある。そのうちのひとつ、行先不明の大パイプを使ってメルメリィ教授から離れるのだ。

 背後からアルジェブラの戦う音が聞こえた。魔女を相手に一歩も引かぬ騎士。普段は穏やかだけど、弓を構えたときのアルジェブラは準一級騎士にふさわしい風格がある。彼女ならきっと時間を稼いでくれるだろう。


「こっちだメヴィ!」


 相棒が大パイプを見つけた。壁にぽっかりと穴が空いている。どこに繋がるかわからないけど、少しでも下の階へ行けるなら構わない。

 私たちは大パイプに入った。激しい戦闘音があっという間に遠くなった。


 ◯


 二人がいなくなったのを感じたアルジェブラは安心したように息を吐いた。ひとまず脱出できたようだ。

 廊下にいくつもの瓦礫が転がっている。この短い間に多くの矢を消費させられた。アルジェブラの矢は特別製であり、一本あたりの重量がかさむため数が多くない。戦場であれば部下が予備の矢を運んでくれるのだが、こういった突発的な戦いは補給が望めないから不向きである。


「平和的に話し合えないかしら。あなただって学院をあまり破壊したくないでしょう?」

「平和的? 笑わせないでほしいわ。争いの歴史ばかり積み重ねるパラアンコ人がそれを言うの?」


 メルメリィ教授の魔術が過激さを増した。獣はよりいっそう数を増やし、四方八方から銀の針が飛び、生き物のように足場が揺れた。アルジェブラは紙一重で猛攻をかいくぐる。避けられているのは奇跡に近い。


「学院は巻き込まれたのよ。あのお転婆娘が来たせいでね。なのにどうして私が責められるのかしら。ただ学院の脅威を排除したいだけなのに!」


 荒れ狂う感情が覇気となってアルジェブラの肌を震わせた。無尽蔵の魔力から生まれる魔女の気炎。魔導元素が見えないアルジェブラにも感じられるほど、メルメリィ教授の体から発せられる魔力は凄まじい。


「いつだってそうだわ。私はただ研究者でありたかった。貴族の掟も、国のしがらみも、全てわずらわしかった。なのに周りが邪魔をする。私をくだらない現実に縛りつけようとする」


 襲いかかる針をアルジェブラは矢尻ではじいた。少しでも矢を節約するためだ。鍛えあげた体幹で地面の揺れに耐え、死角から飛んでくる針を第六感でさばき、避けきれない獣は弓で射抜く。それでも敵の数は一向に減る気配がない。


「平和なんて所詮は争いの前の空白期間に過ぎないわ! パラアンコの内紛が何度も繰り返されるように、人は争うことでしか安心を得られない! 我々研究者ですら、いざ戦いが始まれば魔術士として戦場に送られる!」


 避けるのに必死なアルジェブラは、メルメリィ教授の言葉をほとんど聞いていない。だが魔女になるうえで並々ならぬ決意があったことは伝わった。学院の脅威を自らの手で排除しないかぎりメルメリィ教授は安心しないだろう。


「だからこそ学院が必要なの。私はただ、同じ志を持つ仲間たちと魔導を追い求めたいだけ。ああ、研究所さえ滅びなければ、今ごろ私たちは更なる高みに到達していたでしょう」

「まるで癇癪かんしゃくを起こした子どもね。夢を見るばかりでは何も得られないわよ」


 アルジェブラはあえて挑発した。少しでもメルメリィ教授の冷静さを削ぐためだ。魔術の精度が落ちればアルジェブラの戦える時間も延びる。だが魔女を煽るという行為はあまりにも危険だ。彼女たちは機嫌次第で一国すら敵に回すのだから。


「夢を見ることの何が悪いのかしら」


 メルメリィ教授から廊下を埋め尽くすほどの魔力糸が広がった。どこまでも大きく、学院すべてを覆い尽くすかのごとく魔力糸が伸びる。


「世の中には理想を捨てられない者がいる! 綺麗事だけで理想は叶えられない! だから私が守るの……今度こそ私の、そして学院に集う同胞たちの夢を壊さないために!」


 メルメリィ教授の呪痕がどくんと脈打った。ここから先は魔女の本気。常人では触れられない魔導の深淵だ。

 アルジェブラの頬に汗が伝う。魔女との戦いはこれが初めてではない。だが、何度味わっても生きて帰れる心地がしない。上級騎士に至ってなお感じられる実力差、埋められない生物の差がある。

 地下へ向かうメヴィたちにアルジェブラは願った。どうか早く済ませてくれと。



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