第61話:真夜中の戦い

 

 魔女はわがままな生き物だ。欲しいと願ったものは力づくで手に入れる。彼女たちに法は通じない。人の道理も人情もない。ただ欲望のままに手を伸ばす。サルファの祝福教会はこれを進化と呼ぶけれど、進化というよりも突然変異と呼ぶほうが適切だと思う。世間一般的にみれば魔女は悪だ。何ものにも縛られない純粋さを持ち合わせているからこそ、魔女は悪意なく人を害するのだ。


「魔女に逆らう愚かさをルーミラは教えなかったのね!」


 メルメリィ教授の呪痕が光ると同時に、私たちの足元がぐにゃりと揺れた。まるで水面のように波打ちながら私とエマを切り離そうとする。これも一種の幻術。でも精巧すぎて現実との境い目がわからない。

 踏ん張るのは無理だ。盛り上がった床を蹴って前方に跳んだ。


「ルル婆は放任主義ですよ。つまり信用されているのです!」


 私の本分は魔術だけど、メルメリィ教授を相手には分が悪い。魔術の腕前に関しては向こうが圧倒的に上だ。距離を離せば一方的にもてあそばれる。だからこそ狙うは接近戦。冒涜の刃を右手に生み出し、宙に浮かぶメルメリィ教授へ斬りかかった。


「ならばルーミラは教育を間違ったんだわ! あの偏屈な女ではなく私を選んでおけば、今頃は上級魔術師の末席に名を連ねていたでしょう!」


 メルメリィ教授が大きく両手を広げると、嵐のような突風で私を吹き飛ばした。銀の魔導具が並ぶ棚に打ちつけられ、ガラガラと高価な魔導具の壊れる音がする。とっさに受け身を取ったけどあまり意味がない。背中から鈍い痛みが広がった。


 メルメリィ教授は依然として宙に浮かんでいた。目に見えるほど濃密な魔導元素が彼女の周囲に渦巻き、防護壁のようにメルメリィ教授を守っている。私の剣を警戒しているのだ。幻術にも制約があるのだろう。新しい幻を生むには多大な魔力を使うとか。


「代われメヴィ! 私が前に出る!」


 エマが盾を構えながら突貫した。たとえ準二級騎士といえども、呪痕によって身体能力が上がったエマの突撃は凄まじい。戦場では魔導砲弾すら盾ひとつで防ぐのだ。メルメリィ教授が迎撃するよりも早く、彼女の懐に飛び込んで横凪に振った。


「いい剣筋だわ。でもね――」


 メルメリィ教授が霧のように姿を消し、次の瞬間にはエマの頭上に現れた。見たことがないほど大きな剣が何本もメルメリィ教授の周囲に浮かんでいる。


「それが通じるのは魔術士の話。私は魔女よ」


 大剣が落ちた。見た目どおりの質量をもった剣がエマを襲う。


「伏せてください!」


 私はとっさに封呪の鎖を剣に巻き付け、思いきり引っ張りながら地面を蹴った。なんとかエマの間に割り込み、かち上げるように冒涜の刃を振る。シャルマーンの赤硝鎧よりも固い感触。いったい何の素材を使っているのやら。

 私の刃がメルメリィ教授の大剣にぶつかり、触れた箇所からドロドロに溶けた。そして衝撃によって剣の欠片が飛び散り、無数の破片が私たちを頭上から襲った。腐敗が混じった欠片は触れた箇所に火傷を起こす。


「いた、あいたっ……ひええ、自分の魔術で怪我をするなんて……」

「これは幻ではないのか。ちゃんと痛いぞ」

「ノセボ効果ですよ」

「ノセ……なんだ?」

「脳の思い込みが本物の傷を生むのです。ちゃんと避けないと幻に斬られても死にますよ」

「難しい話をするな。集中が途切れる」

「エマが聞いたんじゃないですか」


 頭上から魔術の気配を感じ、エマに抱えられながら地面を転がった。私たちがいた場所に身の丈ほどの針が突き刺さる。

 さて、どうしたものか。幻を相手に戦っても意味がない。かといって距離を取れば一方的に魔術を放たれてしまう。メルメリィ教授は決して見逃してくれないだろう。ルル婆がもっと仲良くしていれば良かったのに。そうしたら弟子の私が襲われることもなかったはずだ。


「エマ、合図を出したら部屋を出ましょう。ここで戦っても私たちの体力が尽きるだけです」

「考えがあるのか?」

「確信はありませんが、メルメリィ教授の本体はおそらく学院の地下でしょう。デカいのをぶつけて隙を作ります」

「ならば私が時間を稼ごう。お前は私の後ろで準備をしておけ」

「エマ一人では負担が大きいですよ?」


 エマが「ふん」と鼻を鳴らした。直後、エマの向こう側に大量の針が浮かぶ。


「お前を守れば良いのだろう? 得意分野だ」


 言うや否や針がエマに殺到した。無数の甲高い音が重なり合って響く。でもエマは倒れない。まばたきも許されぬ猛攻の中、私を守るように盾を構え、一歩も引かずにメルメリィ教授の猛攻を耐えてみせた。すごいぞエマ。流石、エレノアの一撃を耐えただけある。


「……しぶといわね。あなたたち、本当に準二級かしら?」

「協会の基準なんてあてにならん。貴族による不正が横行し、実力のある者が正当な評価を得られない組織だ。もっとも、パラアンコでまともに働くやつなんて少ないだろうがな」


 エマが時間を稼いでいるうちに黒点を練る。この魔術は時間がかかるのが難点だ。それに冒涜の刃も解けてしまうから自分の身を守れない。一級魔術士になれば複数の魔術を同時に行使できるのかな。もっと強くなりたいです。

 メルメリィ教授は再び大量の剣を空中に浮かべた。呪痕からあふれ出す魔力がピンクブロンドの髪を揺らす。


「そう言いながらもパラアンコのために戦うのはなぜかしら。命が惜しくないの?」

「ハッハッハ、命は惜しいよ。だが愚かしいとわかっていても逃げられぬときがある」


 エマの呪痕が光った。盾に刻まれた魔導回路もまた呼応するように光る。エレノア撃退の報酬で買った特別な魔導具。私たちの命を幾度も救った盾。絶対の信頼を置くそれを前に構えると、メルメリィ教授を煽るようにエマは宣言した。


「死にたくないさ。私は臆病者だ。だが臆病者ほど戦場では長生きをするのだ。準二級だと侮るな、私の盾はお前の想像以上にかたいぞ」


 メルメリィ教授が右手を下ろした。鎧をも貫きそうな剣が目にも止まらぬ速さでエマを襲う。エマの身体能力ならば避けるという手段も取れただろう。でもエマは避けない。私を守るために、彼女はあえてすべての剣を受け止めた。いくら呪痕によって頑強になっているといえども、盾越しに伝わる衝撃が鎧の内側に響いているはずだ。

 そしてエマは耐えた。後ずさりすらせずに仁王立つ騎士。後ろ姿がいつになく頼もしく映る。


「本当に生意気ね!」


 ついにメルメリィ教授がきれた。でも私の魔力が溜まったから時間切れだ。エマの肩を叩くと、彼女は察したように頷いた。


「ルル婆にもよく言われましたよ!」


 メルメリィ教授が再び魔術を唱える前に、私は黒点を放った。同時にエマと後退する。ぽんっと弾き出された黒い球体は部屋の中央へ飛び、メルメリィ教授の前で止まると、一拍の後にあらゆるものを飲み込み始めた。術者すら引きずり込もうとする力に抗いながら、私たちは部屋の外へ脱出した。



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