第60話:たとえ魔女が相手でも

 

 メルメリィが魔女となって学院を設立したのはおよそ十五年ほど前だ。そのときすでにルーミラは“輪廻の魔女”として世間に恐れられており、怪しげな研究を繰り返す彼女に近づこうとする者はいなかった。今にして思えばシャトルワースの悲劇が起きる前にルーミラを追放すればよかったのだが、研究所は貴重な魔女を手放したくなかったのだろう。


 シャトルワースの悲劇を聞いたとき、メルメリィが感じたのは「ついに起きたか」という小さな呆れだった。同じ魔女だからこそ、いつかルーミラが道を踏み外すとわかっていたのだ。そして学院でメヴィの姿を見たとき、メルメリィは一目で見抜いた。ルーミラがおぞましき研究の果てに何を生んだのか、その果てなき欲望の結末を。彼女が人形ドールと呼ぶ出来損ないとは違う、真の成功例。メルメリィは研究者の血が騒ぐのを感じた。それほどに少女の体から溢れる邪気は凄まじかった。人か、獣か。判別すら難しいほどに。


 ルーミラの実験が成功したのは素体が優秀だったのが要因の一つだろう。メルメリィの記憶が正しければ、メヴィと名乗る少女の体はシャトルワース領主の娘だったはずだ。八歳にして魔術の才能を開花させた若き天才であり、パラアンコの未来を担うと期待された貴族令嬢だが、シャトルワースの悲劇と同時に行方不明となってしまった。メルメリィも惜しい人材を失ったと嘆いたが、よもや十数年が経ってから当時の姿で再会するとは思わなかった。髪色や瞳が少し異なっているが、魔導に愛された膨大な魔力はあの時のままだ。


「メヴィ。多くの犠牲と祝福によって生まれた少女。あなたという存在は奇跡なのよ。数えきれないほどの命が失われ、卓越した魔術の才を持つ娘が犠牲になったとしても、『死者蘇生は実現可能である』という事実は計り知れない価値がある」


 メルメリィもまた研究者。ルーミラと同類であり、魔導の深淵を読み解こうとする者たちの一人。ゆえにどれほどルーミラのことを毛嫌いし、彼女の行いが非人道的だとわかっていても、ルーミラが成し遂げた研究を批判しようとは思わない。


「ああ、魅力的だわ! いったいどれほどの魔術士が禁忌の解明に人生を捧げたか、あなたには想像もつかないでしょう! つくわけがない! 知れば黙ってはいられなくなる。道半ばにして潰えた先人たちの想いはそれほどに偉大なの!」


 メルメリィにとって学院は人生の全てだ。人があらゆるしがらみを捨てて魔導に打ち込むための場所を作るべく、貴族という地位も、積み上げた名声も、現実世界をも捨てた。すなわち学院とはメルメリィの存在価値に等しい。魔導が進歩するためならば彼女はすべてを犠牲にするだろう。


「どうしても私たちを帰さないつもりですか?」

「目の前に転がった果実を無視できるほど研究者という生き物は辛抱強くないわ。それにカロリーネの死を知った以上は帰せない。学院の脅威を排除するのが私の役目だから」


 目撃者は必要ない。カロリーネ王女の死は誰にも見られてはいけない。特にパラアンコ人には。学院にとって不都合な事実は抹消すべし。すべては我らが魔術士のために。


「もちろんあなたが学院の一員になるなら話は別よ。これ以上ないほどの好待遇で迎えましょう。何がほしい? 落炎鳥の灰? まだ公表されていないサルファの獣の死体? 一般には流通しない材料をいくらでも用意してあげるわ」

「聞く耳を持つなメヴィ。そう言って二度と学院から出さないつもりだ」

「否定はしないわ。でもここでの生活は楽しかったでしょう? 誰もあなたを怖がらないわ。真に魔導と向き合う者たちの集まりなのだから、きっとあなたにとっても心地の良い場所だったはずよ」


 メルメリィの言葉は事実だ。魔術士が集まる関係上、学院に通う生徒たちは非日常的な生物や現象に慣れている。魔女の弟子という肩書きに彼らは怯えない。つまるところ探求とは「受け入れること」から始まるものであり、未知を恐れる者はこの学院にいない。


 メルメリィの内心には二つの感情がせめぎ合っていた。学院を守るという揺るぎない決意と、研究者としての抗えない好奇心。学院のためを思えばメヴィをさっさと殺してしまったほうが得策だ。だが輪廻の魔女による最高傑作を易々と殺してしまうのは忍びない。

 ゆえに彼女は誘う。メヴィさえうなずけば万事解決するのだ。カロリーネの死は隠蔽され、ルーミラの弟子も手に入れ、有事の際は戦力としても数えられる。そう、メヴィさえうなずけば――。


「遠慮しておきます」


 少女は迷いのない瞳でメルメリィを見上げた。自身の何倍もの大きさを誇る魔力糸を前に、少女は一切怯えていなかった。


「どうして断るの? なにが不満なの? 学院は素晴らしい場所よ。国同士の軋轢も、人種間のしがらみも、妬みも偏見もない。貴族と平民の差は……まあ多少はあるでしょうけど、権力を振りかざす愚かさは皆が知っている」


 メルメリィは断る理由がわからなかった。サルトリア魔術学院ではすねに傷のある者も、貧困者も、学ぶ機会がなかった大人も受け入れられる。ただ探究心さえあれば。


「私がいなくなるとルル婆が悲しみますからねえ。あの人、実は結構私のことが好きなんですよ」

「アレは人々に、特にパラアンコ国民に忌み嫌われる魔女よ。一緒にいればあなたまで悪評の巻き添えになるとわかっているでしょう?」

「既に経験済みです」

「ならばなおさら学院に来るべきよ。未来有望な魔術士は然るべき教育を受けるべきだわ」

「魔術士の教育ならルル婆に教わったので間に合っています」

「そう……じゃあ言い方を変えましょう」


 メルメリィの姿が消え、次の瞬間、エルマニアの後ろに現れた。彼女はエルマニアの首筋に銀の細長い針をあてがう。鋭い先端は軽く触れただけでエルマニアの柔い肌を傷つけた。今、見えているメルメリィは幻術だ。本当に針で刺されているわけではない。しかしエルマニアが感じた痛みは本物である。あまりに精巧な幻術が脳に錯覚を起こしたのだ。

 同時にメヴィの体にも植物のツルが巻きついた。一本が腕の太さほどはあろうツルは非常に頑丈であり、仮に拘束されたのが上級騎士であっても容易に振り解けないほどの力がある。


「学院に来なさいメヴィ」


 二人の動きを封じた上でメルメリィは再度投げかけた。これは命令だ。初めからメヴィたちに拒否権はない。魔女に刃向かうのは向こう見ずの愚か者であり、出会った時点で魔女の望むものを差し出すのが賢い選択である。

 その強者ゆえに生まれる油断によってメルメリィは気づいていない。エルマニアに針を当てがったとき、メヴィの雰囲気がわずかに鋭くなった。エルマニアを襲うという行為がいかに危険であるかを彼女は知らないのだ。


「これも幻術ですか。本物と見分けがつきませんね」


 少女の声音が変わる。普段の卑屈でふわふわとした話し方ではなく、どこか冷めたような雰囲気を放つ。少なくとも十三歳の小娘には似つかわしくない顔のはずなのに、不思議と最初から「メヴィ」という少女が冷酷な人間だったのだと納得しそうになる。これは戦場に立つ彼女が敵に向ける表情だ。いち早くメヴィの変化に気づいたエルマニアが「大人しくしろ」と口で合図をした。だがメヴィは相棒の合図に反応しなかった。


「ルル婆の悪評に巻き込まれると言いましたが、大切なのは善悪じゃないんですよ。誰かに求められるって幸せなことなんです。ルル婆は確かに世間からすれば悪い魔女でしょう。だからこそ、弟子の私ぐらいはあの人の味方でありたいんですよ」

「ルーミラを買い被りすぎじゃないかしら。あの女は他者に何も与えないわよ」

「見返りなんていりません。前に知人が言いました。人は誰しも役目があると。ならばきっと私の役目は尽くすことです」


 メルメリィがようやく異変に気づく。目の前の少女は今にも爆発しそうなほど危険な気配に満ちていた。


「私は弟子を辞めませんよ。ルル婆が私を選び、弟子にしてくれたのだから、ルル婆が手放さない限り私は弟子なのです」


 呪痕がにわかに光を帯びる。しゅわしゅわと腐ったような音が彼女の足元から上がった。溢れ出した魔力が棚の魔導具をガタガタと震わせる。銀の天秤が今度はメヴィに大きく傾いた。


「どうせすぐに捨てられるわ! 魔女に人間のような情を期待しているのかしら!」

「それでも尽くすのが献身、それが人の美しさでしょう!」


 メヴィが力を込めた途端、彼女に巻きついていたツタが一瞬にして崩壊した。さらにあふれ出した魔力が周囲を腐らせながらメルメリィに迫る。危険を感じたメルメリィは瞬時に新しい幻術で捕縛しようとした。耐魔導合金の赤硝が組み込まれた鎖がいたるところからメヴィに伸びた。


「魔女から逃げられるとでも思っているのかしら!」

「逃げませんとも。私は仲間を犠牲にして逃げたことなんて、一度もありません!」


 メヴィの体に触れたそばから鎖が溶かされた。反動を恐れずに全力を出した今、もはや耐魔導合金程度では止められない。メヴィがわずかに姿勢を落とす。直後、弾丸のごとく少女は飛び出した。


 メルメリィは魔女だが、本来の職分は研究者だ。エレノアのように戦いの場を渡り歩いていれば話が別だが、非戦闘員であるメルメリィの戦闘技術は低い。さらにいえば彼女が得意とするのは守りであり、このような正面での戦いは向いていないのである。無論、膨大な魔力を有しているためきちんと構えていれば突破するのは困難だろう。だが今夜の戦いはメルメリィにとっても想定外のものであり、落ち着いて準備をする時間はなかった。

 逆にメヴィは魔女の指南を受け、さらに義勇兵として経験を詰み、“黒熊”ボルドーやエレノアといった強敵との戦いを生き延びている。つまり実践での戦い方はメヴィのほうが上手だ。


「なっ、速い……!」


 いつの間にか握られていた冒涜の刃が振り下ろされた。魔女のメルメリィがなんとか反応できる速度。彼女は反射的にエルマニアを解放し、後ろに跳んでメヴィから距離を取った。


「幻覚なのに避けるんですね。防衛本能でしょうか。それとも幻影体に痛覚があるのかな。どちらにせよ剣が有効ならエマも活躍できますね」

「魔女と争うならもう少し慎重にしろ。私が捕まっているのに魔術を放つ阿呆がいるか。みろ、お前の魔術で鎧が少し溶けた」

「ハッハッハ、帰ったらまた新しい鎧を買いにいきましょう。というか捕まるエマが悪いんですよ」


 二人の義勇兵が魔女と向かい合った。魔女からすれば矮小な存在。しかし片方は輪廻の魔女から過剰なほどの指南を受けた魔術士。そしてもう片方は暴走する相棒を守るために戦場の最前線で耐え続けた騎士。準二級だからと侮ることなかれ。屍を積み重ね、数多の血を吸った呪痕はときに魔女にも届き得る。



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