第59話:メルメリィ教授は怖い人

 

 魔術士であれば“夢見の魔女”という名は誰もが知っている。夢の中に住まい、気に入った者を夢の中に引きずり込んで二度と目覚めなくさせるという恐ろしい魔女。だから夢を見ないように自分に魔術をかける魔術士も多いのだとか。噂の真偽はわからないけど、魔術士の間では有名な話だ。


「北棟で見つかった死体は間違いなくカロリーネよ。彼女はピッチに呼び出されて殺された。そして菌死体として見つかった。あのときは本当に困ったのよ。パラアンコの王女殿下が学院で襲われたとなれば外交問題に発展するわ。両国の争いに学院が巻き込まれかねない。だから翌日から私がカロリーネを演じつつ、学院の外で死んだように誤魔化すための準備をしていたの」


 メルメリィ教授は一拍空けてから続けた。


「でもうまくいかないものね。ウッドブラット教授を始めとした学院の講師陣はあなたたちが犯人だと思い込み、身柄の拘束、ないしは死体でもいいからパラアンコに送って学院の無実を主張するべきだって言っわ。『不要新聞回収置き場』で教授に疑われたときのことを覚えているかしら。あれはウッドブラット教授の暴走を止めるために、彼にだけ見える幻術で説得をしたの。まだあなたたちを送り返すには時期が早すぎたから」

「でも、メルメリィ教授も私たちを疑っていたんですよね?」

「疑わしい人物の一人ってだけで確信はなかったし、カロリーネの死因を隠したかったからあまり早く犯人が見つかると困るの。それに、個人的な興味もあったから」


 よく見ればメルメリィ教授の足は地面についていない。たぶん目の前にいるメルメリィ教授は偽物だ。さっきの会話で幻術を使ったと言っていたから隠すつもりはないんだと思う。そうなると彼女の本体はどこにいるのかな。


「まるで被害者のように言うが、お前がカロリーネ殿下を学院に誘ったのが原因だろう?」

「私がこのお転婆娘を?」


 ぐるぐると彼女の周りの空間が歪んだかと思えば、メルメリィ教授の姿はあっという間に縮み、大量の菌に寄生されたカロリーネの姿に変わった。これも幻術。でも実物と勘違いしそうな精巧さ。たぶん本当にこの姿でカロリーネ殿下は死んだんだろう。


「私が学院に招待するのは未来有望な魔術士よ。そしてカロリーネは残念ながら魔術の才能がない。だから彼女は錬金術を受けていた。真面目な学生だったけど、真面目なだけの生徒なら大勢いる」

「それじゃあカロリーネ様は自分の意思で学院に来たんですか?」

「自分の意思か、もしくはパラアンコの誰かにそそのかされたのか。どちらにせよ学院長としてはとんだ迷惑よ。この地が中立である理由は、そういった国や貴族同士のしがらみを無視するためなの。人が正しく魔導と向き合い、研鑽をするための場所。融和派の王女なんてお呼びじゃないわ」


 それじゃあ神隠しはメルメリィ教授の仕業ではないらしい。せっかく手掛かりが掴めたと思ったのに残念である。

 パン、と手を叩くと彼女の姿は再びメルメリィ教授に戻った。


「さあ、お喋りが過ぎたわね。そろそろ本題に入りましょう。魔術の中にも禁忌と呼ばれるものがあり、代表的なのは死者蘇生よ。なぜ禁忌とされるか知っているかしら?」

「成功例がないうえに危険だからです」

「ええそう。成功例がなかった。本当に一度もなかったの。死を克服するために多くの魔術士や錬金術士が生涯を捧げたわ。たとえば魔導具の父と呼ばれた帝国の初代魔導大臣は多額の資金を研究に費やし、今もなお彼の後継者が不死の研究を続けている。大地信仰の枢機卿は洗脳によって自らの意識を他者に植えつけようとして失敗した。サルファの再誕を願った祝福教会の大祈祷士。姉の亡骸を背負う渡来騎士。名だたる英傑が挑み、全て失敗した」


 メルメリィ教授の視線がエマに向いた。


「でも唯一の例外がある。エルマニア、あなたは知っているかしら?」

「あいにく魔導には疎いのだ。もしも知っていれば魔導協会にでも情報を売って一儲けしただろう」


 相棒の返答を聞いたメルメリィ教授は意味ありげに笑った。どこぞの新聞屋に似た、自分本位で捻くれたような笑い方だ。でも顔が整った彼女はそんな笑顔も魅力的に映った。


「そう……あなたはまだ知らないのね。まあ話せないでしょう。とっても繊細な話だから」

「どういう意味だ?」

「メヴィの出生についてよ。ふふ……秘密主義なところはルーミラに似たのね。あの人も昔からそうだったわ。精霊を愛しすぎたがゆえに人を信用せず、いつしか身内の人間にすら口を閉ざすようになった。その行く末がシャトルワースの悲劇だというのに、あの人はまだ変わっていない」


 メルメリィ教授は滑るようにして室内の棚に寄った。飾られた写真立ての一つに、若い研究者たちの姿が映っている。ばたばたして気づかなかったが、よく見ると端っこにいるのは若い頃のルル婆だ。若いといっても二十年ぐらい前だろうか。仏教面で腕を組みながら立っており、彼女の反対側にはメルメリィ教授の姿がある。


「昔話をしましょう。ルーミラが魔女になる前、彼女はシャトルワースの研究所に勤めていた。私とルーミラは研究者仲間だったの。といってもお互いに仲が悪かったからまともな交流はなかったけどね。新しい研究成果が出るたびに相手の研究室へ自慢の手紙メッセージを送ったのよ。ルーミラは精霊を使って届けさせたし、私の場合は相手の夢に現れて嫌味っぽく言ってやった。ルーミラには夢見が悪いって怒られたわ」


 ルル婆は写真から相応の歳を重ねているが、メルメリィ教授の姿は写真とまったく変わらない。幻術がそう見せているのか、それとも本当に歳を重ねていないのか。

 仲が悪いという言葉に私は納得した。どおりでルル婆の屋敷にメルメリィ教授の論文がないわけだ。


「とある研究で精霊が死んだの。書類上では事故とされているわ。でもその日をきっかけにルーミラは変わった。死んだ精霊はルーミラの友人だったのよ。彼女は研究所を信用しなくなった。ルーミラは死んだ友人を呼び戻すために魂の研究を始め、禁書と呼ばれるような魔導書や人体実験に手を染めるようになった。輪廻の魔女に至る第一歩ね」

「研究所の悲劇がなければシャトルワースは滅びなかった、と言いたいのか?」

「どうでしょうね? 人の性根は変えられない。ルーミラは遅かれ早かれ魔女になったでしょうし、そうしたらシャトルワースはやっぱり滅びたかもしれないわ。まあ人の生死なんて願いの前では些細なものよ」


 善良なエマには理解しがたいかもしれないけど、魔女に人の価値観は通じない。彼女たちは欲望の権化だ。自らの行いに罪悪感を覚えるような人はそもそも魔女にならない。ルル婆も、ルドウィックも、エレノアも、みんな一つの願いに固執して頭がぶっ飛んじゃった人たち。

 つまるところ、人の価値観で魔女を裁こうだなんて無意味ナンセンスである。私はそれを理解しているけれど、エマは相変わらず眉をしかめたままだった。


「輪廻の魔女がシャトルワースを滅ぼしたのは私怨か?」

「あなたは私怨だと思う? それは甘いわ。魔女という生き物はね、復讐なんて無駄なことはしないの。もっと有意義で合理的なことに使うわ」

「有意義で合理的なことだと? 街を一つ消し去るほどの虐殺が?」

「ただ殺すなんてもったいないもの。命ってとても大事なのよ。一つや二つでは難しいけれど、万に迫る数が集まれば奇跡だって起こせるわ」


 メルメリィ教授がすーっと私に近づいた。彼女は愛おしそうに目を細める。暗くよどみ、欲に溺れた瞳で私を見つめている。魔導の深淵に触れた者のかおだ。人の命を数として認識し、常識を捨て、生物の枠組みを超えんとする魔女だ。


「そう、奇跡なのよ。死んだ魂をそのままのカタチで呼び戻すためならば、街一つ滅ぼして人形に変えるぐらい軽いものでしょう?」


 エマはしばし理解に苦しむように表情を歪め、やがて真意を察した彼女は「信じられない」と言いたげな目で私を見た。勘の良い彼女のことだから私がなのは知っていただろう。でも輪廻の海から蘇ったのは流石に予想外だったようだ。たぶん貴族の捨て子か何かだと思っていたのかな。残念ながら違うんだよね。

 シャトルワースの悲劇は個人的に調べたことがあるから私は動じなかった。たしかに酷い話だ。でもルル婆ならやりかねないし、師匠を責めるつもりもない。私は見ず知らずの誰かに心を痛めるような良心を持ち合わせていないのだ。

 そんな私だからこそ。人として大事なものが欠けた私だからこそ、ルル婆に選ばれたのだと思う。


「ほとんど完璧な状態で輪廻の海から呼び戻した。ルーミラが成した偉業は魔導の歴史を何百年と進めるものなの。でも彼女は技術を秘匿した。唯一の手掛かりはメヴィ、あなただけ」


 メルメリィ教授がふわふわと宙に浮かび、両手から網のような魔力糸を広げた。私たちの視界が覆い尽くされていく。逃げ道のない魔力の檻に閉じ込めんとする。

 とっさにエマが剣を構えた。私も呪痕に魔力を込めた。


「ルーミラの弟子なんて辞めて学院に入りなさい。あなたの力は学院で解明するべき……いえ、解明しなければならないの。人が魔導を理解するために。魔術士にとってより自由な世界をつくるために。我らが一員となり、人を次なる領域ステージに推し進めましょう」


 有無を言わさぬ口調でメルメリィ教授が命令する。彼女の瞳は冷たかった。絶対的な優位者が私たちを見下ろした。



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