第57話:迂闊な第三王女

 

 メヴィが覗き穴を一回り広げたことで部屋の全貌が明らかになった。大量の本が机を埋め尽くすほどに積まれ、棚には星の模型や銀の魔導具が並び、見るからに柔らかそうなソファが二つ、窓際に置かれている。そんな部屋の中央でピッチとカロリーネは向かい合っていた。


「そろそろ教えてくれるかな。私、ちゃんとあなたを殺したはずなんだけど?」

「おかしなことを言うわねピッチ。ほら、私はこのとおり生きているでしょ?」

「いいや、君は死んだ。私が殺した。あの日、君は北棟の空き教室で菌死体となって見つかった。そして君が死んだことを知った学院は、パラアンコから責任を追求されるのを避けるために身元不明の死体として火葬したんだ」

「そう……まあいいわ。確かにあなたは私を殺そうとした。でも残念ながら生きている」


 ピッチの声に抑揚がない。感情を失ったかのように低く、冷静で、残忍さをはらんだような雰囲気。淡々と事実を並べるような喋り方はいつもの彼女らしくない。

 対するカロリーネも口もとに優雅な微笑みを浮かべているが、瞳には獲物を睨むような鋭い光が宿っている。暗がりで光る金の呪痕と王族の瞳。隠しきれない敵意が両者の間で交差した。


「てっきり私を殺そうとしたのはメヴィだと思ったの。騒ぎが起きたのは彼女が学院に来たときだったし、あのルーミラの弟子だから。でも――」


 カロリーネが頬に手を当てながら困ったような顔をした。


「ピッチが刺客だとは思わなかったわ。意外と演技が上手いのね。目的は私が学院と手を組み、パラアンコとシャルマーンの間で停戦協定が結ばれるのを防ぐことかしら。だから錬金術の部屋でウッドブラット教授の態度を見たとき、すでに協定が結ばれたと思った?」


 ピッチが苛立たしげに表情を歪めた。図星だ。

 カロリーネが停戦を求める融和派の代表であることはカーリヤ族も把握しており、彼女がシャルマーン国内に向かったという情報はカーリヤ族に衝撃を与えた。なにせ王族が他国に、それも戦争中の敵国へ向かったのだ。よもや勉学に励むためだとは誰も思うまい。


「そうだよ。両国が手を組めばカーリヤ族はおしまいだ。私たちは唯一の後ろ盾を失い、今度こそパラアンコに滅ぼされるだろう。それだけは避けないといけないんだ」

「シャルマーンが間に入ってくれるかもしれないじゃない?」

「いいや、しないさ。私たちとパラアンコ、どちらの味方をしたほうが得かなんて集落の子どもにもわかる。パラアンコという共通の敵がいるからカーリヤ族とシャルマーンは手を取り合えた。敵でいてくれないと困るんだ」


 どくん、どくん、とピッチの呪痕が激しく脈動する。呼応するように周囲の魔導元素が彼女に集まる。


「人間は姑息な生き物だ。安心して攻撃するために大義名分を用意しようとする。人種が違うから。思想が危険だから。強大な力を持っているから。争いの火種は決してなくならず、行き場を失った矛先は私たちへ向く。そうなる前にあなたを殺さないといけないんだよ」


 魔力が奔流した。ぴりぴりと肌を揺らす覇気。一級を凌駕する呪痕。カロリーネが目を細める。彼女はすぐに理解した。これはただの上級魔術士が放つ覇気ではない。


「その魔力量……やはりあなた、西方蛮族がひた隠しにしていた魔女ね?」


 今にも襲いかかろうとしていたピッチの足が止まった。まさか言い当てられると思っていなかったらしく、帽子の下で目を丸くしている。


「西方蛮族の双子の族長、その片割れが数年前に魔女として目覚めたらしいけれど、あなたのことかしら?」

「……びっくりした、王女殿下はなんでも知っているんだね」


 ピッチは素直に認めた。これから殺す相手ならば話しても構わないだろうと気を緩めたのだ。隣の部屋で二人の義勇兵が聞いているとも知らずに。

 ピッチの呪痕が完全に浮かび上がった。頬まで刻まれた呪痕が魔女の証を示す。


「せっかくだし名乗っておこっか。私はピネ・チェア・ドロシー……カーリヤ族に代々伝わるドロシー王家の末裔さ」


 芝居がかった仕草で挨拶をすると、ピッチは勢いよく床を蹴った。


「さよならカロリーネ様。あなたは学院に来るべきじゃなかった」


 弾かれたようにピッチが飛び出し、カロリーネの首を掴んで押し倒した。上級騎士ですら目で追うのが難しい速さ。ピッチの呪痕に魔力が注がれ、押し倒されたカロリーネの体から急速に菌糸が成長し、養分を吸収しながら彼女を飲み込んでいく。魔術の余波はその周囲にもおよび、ピッチの菌は床や天井、机に置かれた本といったあらゆるものを巻き込んだ。


 カロリーネの体がびくんと痙攣した。張りがあった肌は老婆のごとく萎み、細い指先からは血の色が失せ、美しかった相貌も無数の菌糸によって覆われる。


 幻想的な光景だった。真っ白な菌糸が命を吸うことで成長し、仄かな光を帯びながら室内をあっという間に死の世界へ変える。吹き上がった胞子が月明かりに照らされ、雪が降るかのごとくきらきらと輝く。ピッチがゆらりと立ち上がり、動かなくなったカロリーネを見下ろした。その瞳は今しがた学友を殺したというのに全く動じていない。

 “菌糸の魔女”ピネ・チェア・ドロシー。魔導の深淵に触れた魔術士が一人であり、カーリヤ族を守る守護者である。


「今度こそ……任務達成かな」


 彼女は帽子を脱いだ。真っ白な髪がふわりと揺れる。


「とりあえず、あの子に邪魔をされなくて良かった。腐敗ってのは厄介だねえ。種を植えたはずなのに全部腐っちゃった。ルーミラめ、外道な研究をするのは構わないけど、やるならパラアンコ以外でしてほしかったな」


 ピッチは帽子に咲く花の形をした菌糸を可愛がるように撫でた。彼女の誤算。それはメヴィが魔女の弟子だったこと。錬金術の教室で胞子を浴びせたとき、実はメヴィの体にも菌糸の種が植えられていたのだ。ピッチの予定では今頃メヴィも菌死体として見つかっているはずだった。しかし現実は上手くいかない。少女の魔力はピッチの魔術すらも腐らせてしまった。ピッチは焦った。もしもメヴィに見つかったら暗殺が失敗するかもしれない。慎重派の彼女は腐敗の力を脅威だと判断し、邪魔をされる前にカロリーネを殺そうと決めた。


「んー、停戦協定の有無は結局わからなかったけど、まあ第三王女を始末できたし問題ないか。いやあ疲れたなあ。早く帰って兄様に褒めてもらおうっと」


 彼女は軽い足取りで部屋を出た。壁に空いた二つの覗き穴には気づかないまま、目的を達せられたと満足げな様子である。ピッチの足音が完全に遠ざかるのを待ってから、メヴィとエマは部屋に入った。



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