第56話:秘密の会合
大壺いたずら事件があった日からカロリーネ殿下や侍女、ピッチは講義に現れなくなった。私はまた一人ぼっちだ。残された私は錬金術の講義に集中して寂しさを紛らわせた。
錬金術は材料がどうしても必要になるから、呪痕を刻んでいるなら魔術のほうが簡単だけど、呪痕を用いないという特性が気に入った私は錬金術にハマってしまった。我ながら上達は早いほうだと思う。まあカロリーネ殿下やウッドブラット教授に比べたらまだまだだけどね。
私が錬金術に精を出す一方、アルジェブラとエマは日に日に焦りを
その話を聞いた私は錬金術の教室にある大壺を思い浮かべた。何かが溶けて変質した大壺の薬。いったい何を入れられたんですかね。おお、怖い怖い。
そんなある日、講義を終えて宿に帰ろうとしていたら久しぶりにピッチを見つけた。帰ろうとする学生の波に逆らうように、彼女は思いつめた表情で学院の中へ向かう。もう日が暮れかけており、今から学院に向かっても講義はない。不思議に思った私は話しかけようとした。
「お久しぶりです、ピッ――」
「静かにしろメヴィ」
突然後ろから口を塞がれた。声をかけられていなかったら暴漢かと勘違いしていただろう。振り向くと普段着姿のエマが口元に指を当てていた。
「びっくりしたじゃないですか。暴漢に襲われたのかと思いましたよ。ほら、私って可愛いから」
「ハッハッハ、物好きな暴漢だな。馬鹿を言っていないで今は隠れておけ」
「どうしてですか?」
「アレを監視している」
アレ、とはピッチのことだ。私は目を丸くした。たしかに彼女は講義中に話しまくる問題児だけど、監視されるような学生じゃないと思っている。
「学院内のカーリヤ人を調べたところ、何人か怪しい奴を見つけた。講師のほうはアルジェブラ殿が探っている。私は学生担当だ」
「じゃあピッチもカーリヤ人ですか?」
「純血だよ。家系までは調べられなかったが、結構なお嬢様だと思うぞ」
これまたびっくり。それじゃあ私は二人のお嬢様に挟まれていたというわけだ。道理で私たちは教室で浮いていたのだ。カロリーネ殿下だけでも目立つというのに、カーリヤ人のお嬢様であるピッチと、上品でお淑やかな私が揃っていたらそりゃあ話しかけづらいだろう。
「ピッチが学院に入った。見つからないように追うぞ」
私は追いかけながら空を見上げた。すでに日が沈みかけており、淡いビロードのような空が東からのびている。月は半月を過ぎたぐらい。
「もうすぐ夜ですね。見回りの講師がいるはずなので注意しましょう」
学院の中は昼間と違って閑散としている。氷の彫刻は動きを止め、蝶の形をした手紙がゆっくりと羽ばたき、壁にかけられた古風なランプがぼんやりと暗闇を照らす。だだっ広さも相まってちょっと不気味な雰囲気だ。
ピッチは何度か立ち止まっては周囲を警戒しつつ、北の塔を目指してずんずんと進んだ。この学院はもともと貴族のお城だったらしく、容易に攻め込まれないために複雑な構造になっているから、階を一つあがるたびに階段を探さないといけない。そして私たちは学院の構造をきちんと把握していないため、ピッチを見失えばまた迷子になってしまうのだ。まあエマと二人で夜の学院を探索するのも面白そうだけどね。今は任務に集中だ。
「見回りだ」
エマに腕を掴まれて空き教室に入ると、ランプを持った講師が目の前を通り過ぎた。学生が夜間に入ることはもちろん禁止だ。見つかれば反省文どころでは済まない。なにせここには危険な薬や貴重な材料がたくさんあるのだから。
なんだか悪いことをしているみたいでワクワクしてきた。前にポルナード君と魔導教会に忍び込んだ日を思い出す。普段は良い子にしているぶん、たまにこうしてはっちゃけると楽しいのだ。
講師がいなくなったのを確認してから廊下に出ると、ピッチはすでに上階へ進んでおり、特徴的なとんがり帽子が薄暗い階段に消えるのが見えた。私たちは早足で追いかけた。
「忍び込んでいるところをウッドブラット教授に見つかったら今度こそ大変ですね。魔女の生け贄にされちゃうかもしれません」
「そのときはエチェカーシカを代わりに差し出そう。奴も邪教徒だ、生け贄になるのは本望だろうさ」
「カタビランカから呼ぶにはちょっと遠いですねえ。彼女、今ごろ何をしているでしょうか。エマみたいに変な店で騙されていなければいいですが」
「どういう意味だ?」
心当たりがないとは重症だ。エマはきっと一級騎士になってもカモにされると思う。
「そういえば、エマは魔女にキャーキャー言うけど邪教には興味ないんですね」
「私は魔女を崇拝しているわけじゃないぞ? 誰だって有名人に会えば興奮するだろう。魔女もまた然り、というわけだ」
「普通は怖がるんですけどねえ。理想の主人を探しているって言ってましたけど、もしかして魔女に仕えるつもりですか?」
「それもまた一興だな。嫌われ者の魔女に仕える、ただ一人の従者……主人の心を独り占めできると考えれば、うむ、悪くない」
「ひええ、歪んでいますう」
相棒から少しだけ距離を取りつつ、私たちは最後の階段をのぼった。場所は北塔の最上階だ。貴族の中でも特に位の高い者が使うらしい教室の前でピッチは立ち止まっていた。大きなとんがり帽子の下から彼女の表情が少しだけ見える。いつものピッチとは別人のように冷たい表情。暗い横顔に呪痕が光っている。あれ、ピッチの呪痕ってあんなに成長していたっけ?
「一番奥の部屋に入るみたいだな。我々はどうする?」
「どうにかして覗きましょう。隣の教室が空いてるので丁度いいですね」
ピッチが部屋に入るのを確認してから、私たちは『古生物学』と書かれた教室に入った。見たことがないような生物の標本が並んでいる。床の上にも大きな骨の模型が置かれており、もしもぶつかれば隣の教室まで聞こえるだろう。慎重に避けながら奥へ歩いた。
「この壁の向こう側がピッチのいる部屋ですね。何か聞こえますか?」
「話し声は聞こえるが、内容まではわからんぞ」
「うーん、エマの聴力でも駄目ですか。じゃあ力技ですね」
木製の壁は触ると冷んやりとしている。呪痕に力を込めて、出力を上げ過ぎないように調節しながら、ゆっくりと魔力を壁に流した。魔力糸を伝って私の腐った魔導元素が染み出し、木製の壁がぽろぽろと崩れ落ちていく。一気に開けると気づかれるから少しづつ、崩れ落ちた欠片も腐らせながら穴を開けていく。
やがて覗き穴が二つ出来上がった。私とエマのぶんだ。二人で頷き合ってから穴を覗いた。
「――感心しないわ。今度は反省文どころじゃ済まないわよ」
ピッチの後ろ姿が見える。彼女は誰かと話していた。声が遠く、しかも反響してうまく判別がつかない。でも、ピッチの向こう側に滑らかな金髪が揺れている。
「反省文? 今さらそんな子ども騙しで躊躇しないよ。事態は一刻を争うというのに現実が見えていない人ばかりで嫌になっちゃう」
「現実なんて誰も見ていないわ。必要がないもの。ここは探求の地・サルトリア。無意味な現実から目を背け、魔導に生涯を捧げるための場所なのよ」
「言っておくけど一番現実が見えていないのはあなただよ。おかげで苦労したんだから」
苛立たしげなピッチの声に対し、相手は優雅に笑っているような口調だ。やがてピッチの立ち位置が変わり、話し相手の正体がわかった。彼女はカロリーネ殿下と会っていた。
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