第54話:神隠しに潜む悪意

 

 サルトリア魔術学院の事務室にとある女学生が入った。様々な事務用魔導具が導入された室内に数名の事務員が駐在しており、女学生に気づいた職員が声をかけた。


「学生が何の用かね。今は講義の時間だろう?」

「ウッドブラット教授から学院の入退記録を取ってくるように頼まれましたの。どこにあるかしら?」


 事務員は一瞬、訝しむような顔をしたが、すぐに『例の事件』関係だろうと察した。学院内で死体が発見されたという情報はすでにほとんどの関係者が知っている。


「学院の入退記録……ああ、なるほど。二階の記録室に保管している。開けるときはこの鍵を使いなさい」

「わかりましたわ。それと中庭に魔導具が放置されているらしいの。ちょうど講義中で先生方が出払っているから、代わりに片付けてほしいとおっしゃっていましたわ」

「魔導具? どんなものだ?」

「星がたくさん浮かんでいましたわ。夜ならきっと幻想的な光景だったでしょう」

「ちっ、また占星術部の連中か。昼間も星の軌道を観測したいからって理由でよく問題を起こすんだ。まったく、駆り出される者の身にもなってほしい」


 ぶつぶつと文句を言いながら職員が出ていった。女学生は他の事務員が仕事に集中していることを確認すると、階段をのぼって記録室を探す。


「さて、手早く済ませないと……痛っ、昨夜は飲みすぎたかしら。後半の記憶がないわ」


 金髪の髪を後ろで結った女学生。その歩き方は学生らしからぬほど隙がなく、すらりと伸びた姿勢はまるで一振りの剣のよう。今は学生服に隠されているが、彼女の胸元には大きな騎士の呪痕が刻まれている。


 女学生の正体は弓騎士・アルジェブラ。パラアンコ軍所属の準一級騎士であり、西方蛮族との戦いで数多くの戦功を挙げた騎士だ。魔女を追い求める姿を勘違いされて“魔女狩り”の異名を持つ彼女だが、その実力は一級相当だとして他国にも知られている。

 そんな武名を轟かせる弓騎士が、羞恥心に耐えるように拳を握りしめながらコツコツと歩く。


(こんな姿、部下には絶対に見せられないわ。耐えるのよアルジェブラ。これも任務のためなんだから!)


 弓騎士アルジェブラ。齢二十後半にして学生服を着る。よもや本人もこのような醜態を晒すとは想像していなかっただろう。わずかに朱色がさした頬。もしもメヴィたちに見られようものなら、恥ずかしさのあまりに川へ飛び込むやもしれない。


「ここが記録室ね」


 古びた扉を開けると背の高い本棚がずらりと並んでいた。教職員の名簿や学院への入退記録、魔導具の管理など様々な情報が保管されている部屋だ。アルジェブラはすぐさま目当ての記録を探し始めた。


「入退記録……それも最近のものは……これかしら?」


 パラパラとめくりながら入退記録に目をとおす。彼女が探しているのは神隠しにあったパラアンコ人が学院に出入りをしているかの確認だ。カロリーネ王女の説得はメヴィに任せているため、アルジェブラは神隠しの調査に集中することにした。

 記録されているのは名前だけであり、出身国は記入されていない。それでも貴族であれば名前からパラアンコ人かどうか判別ができる。そしてサルトリア魔術学院では門をくぐる際に魔導具で確認をされるため、偽名を使うことができない。ゆえに名簿に記されている名前は真名。


「セシリア・フォン・ローゼンベルク……魔導研究所を主導していた貴族の娘ね。こっちはマティアス・ヴァイスマン、王都の有名な商人だわ。彼らだけじゃない、他にも……」


 アルジェブラですら知っているような有力者の名前がいくつも見つかった。彼女の手に力がこもる。実質的な人材の引き抜き。ただでさえ国外逃亡が問題視されているというのに、貴族や商人まで引き抜かれたらパラアンコは立ち行かなくなる。

 なお、神隠しにあった人がすべて学院にいるわけではない。ここの名簿に載っていない人たちはどこにいるのか。サルトリア以外に向かったのならば構わない。しかし、サルトリアを目指した上でたどり着けなかった可能性も考えられる。ここは敵国内だ。シャルマーンとの国境沿いには敵兵が配備されており、彼らに見つかれば不法入国者として殺されるだろう。アルジェブラたちは軍が秘密裏に用意した抜け道を使ったが、一般人が越えるとなれば危険度はいうまでもない。


 名簿の中に『カロリーネ・フォン・パラノーラ』の名前も記入されている。いったいどうやって国境を越えたのだろうか。不思議に思って名簿をなぞると、すぐ下に見覚えのある名前を見つけた。


「カロリーネ殿下と一緒に来たのは……トルネラ? あの女狐の?」


 トルネラは貴族ではないため、同じ名前の別人という可能性もある。だがアルジェブラの直感が女狐本人だと告げた。

 アルジェブラは首を傾げる。トルネラと王女殿下に繋がりがあるのも不思議だが、それ以上にトルネラが一人で国に帰っていることも奇妙だ。学院に同行しておきながら王女殿下を置き去りするとは何事か。


「トルネラが噛んでいるとすれば、後ろにいるのはあの男よね」


 脳裏に「突撃だ!」と意気揚々に叫ぶ義勇兵の姿が浮かんだ。そしてアルジェブラは盛大に表情を歪めた。奴が神隠しに関わっている可能性はあるだろうか。アルジェブラはしばし悩み、そして「十分にありえる」と結論づける。アルジェブラが義勇兵だった頃からあの男は軍や貴族とのパイプを持っていた。時には自らの栄光のために悪どい手を使ったのも知っている。そして最近はパラアンコの政治に関わる議会席を狙っている、という噂も。


「奴が関わっているなら話が変わってくるわね。神隠しの被害者名簿も違う見え方がするし……」


 行方不明者は平民から貴族まで多岐に渡る。だが貴族や商人だけに絞って考えると、行方不明になった者は融和派の人間、つまりカロリーネの派閥が圧倒的に多い。フィリップからすれば戦争を止めようとする邪魔者たちだ。

 無論、フィリップと同じ強硬派の人間も行方不明になっているが、これは恐らくカモフラージュだろう。調査の目を撹乱しつつ、議会席を狙う競争相手を蹴落としているのだとすれば、被害者の共通点にも納得がいく。


 アルジェブラは拳をわなわなと震わせた。彼女にはフィリップが目指す未来の一端に気づいたからだ。互いに嫌いな相手だからこそ見える世界。なぜフィリップは議会席を狙うのか。なぜ彼は義勇兵を立ち上げたのか。融和派の排除や、戦争に対する姿勢。勝てる戦いのはずなのに、なぜか手を抜くときがあることを疑問に思っていた。その答えにアルジェブラはたどり着く。


「ちっ、もうこんな時間……早く戻らないといけないわね」


 階下に気配を感じた。事務員が帰ってきたのだろう。怪しまれる前に撤退すべく、アルジェブラは名簿をしまって立ち上がった。

 アルジェブラの瞳に光が宿る。それは決して誠実で勇猛な輝きではなく、泥濘ぬかるみのように澱んだ冷たい光。パラアンコの安寧を妨げる病巣を取り除くという、いうなれば殺意であった。



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