第52話:変わり始める日常
不要新聞回収置き場に到着した私たちは目的の新聞を探した。ここ数日で新しく発行された新聞が束になって積まれており、三人がかりでも見つけるのは一苦労だった。
「あった、これです! カーリヤ族の地域で奇妙な腐乱死体を発見。遺体は白い菌糸に覆われており、顔の判別がつかなかった……ほら、そっくりですよ」
新聞の写真には被害者が写っており、例の死体と同じような菌糸類によって覆われている。場所は西方蛮族が統治する地域のすぐそばだ。最初に見たときは気に留めなかったが、よくよく考えれば奇妙な事件である。
「西方蛮族の仕業か?」
「確証はありませんが可能性は高いと思いますよ。場所も西部ですし、カーリヤ人が出入りしてもおかしくないです」
「奴らの扱う魔術は未知のものが多いからな。アルジェブラ殿、講師の中にカーリヤ族はいるのか?」
「神隠しを調べるついでに探してみましょう。ただし見つけても接触は控えてね。学院内で争いを起こせば私たちの立場が不利になるわ」
私はカロリーネ殿下やおしゃべりピッチから話を聞けばいいのかな。二人とも学院に詳しそうだから有益な情報を得られそうだ。こんなときこそ新聞屋が居たら助かるんだけど、肝心なときに現れてくれない。
もんもんと考えているとエマが「あっ」と声をあげた。彼女は一枚の新聞を見て驚いている。「どうしましたか?」と聞くと、彼女は一面を私に向かって広げた。
「パラアンコとシャルマーンの戦争についてだ。見ろ、フィリップ隊長率いる義勇兵部隊がサミダラ要塞を陥落したらしいぞ。戦線が本来の国境沿いまで下がり、奪われていたパラアンコの領土を取り返したそうだ」
「流石はフィリップ隊長ですね。戦術家としても優秀ですし、一級騎士のなかでも頭ひとつ抜けているのでは?」
「性格のおかしさも頭ひとつ抜けているわ」
「ハッハッハ」
アルジェブラと一緒に笑った。
ガラッ、といきなり扉が開いた。私たちは一斉に驚いて振り返ると、教室の入り口に背の高い男性講師が立っていた。片手に魔女新聞の束を抱えたウッドブラット教授だ。彼も私たちがいることに驚いたあと、訝しむように睨んだ。
「ここで何をしているのかね? 学院に滞在するのを認めたとはいえ、部外者の君たちが勝手に教室を使うのは見過ごせないな。早く出ていきなさい」
「えーっと、私たちは――」
「まったく、最初は真面目に講義を受けていたかと思えば、ぺちゃくちゃと喋って周りに迷惑を与え、講義をさぼって学院を散策し、今度は勝手に教室内へ侵入か。自由気ままで良いご身分だね」
ウッドブラット教授はひどく苛立った様子だった。エマとアルジェブラは学院に来た当初の友好的な態度しか知らないため、ウッドブラット教授の言葉に驚き、どういうことだと説明を求めるように私を見た。別に受講態度が悪いのは私のせいじゃないんだけどね。ピッチが勝手に話しかけてくるだけだし、講義をサボったのだって腐乱死体の現場を見にいくためだ。でもそんな説明をしても火に油を注ぐだけだとわかっているから、私はできる限り彼を刺激しないように言葉を選んだ。
「学院内で起きた死亡事件の調査をしていました。それに、この部屋を使ってもいいとルドウィックさんから許可をもらっています」
「ルドウィック……星詠みの魔女か? ふん、部外者の君たちが許可をもらえるわけないだろう!」
声を荒げるウッドブラット教授。どうにかして
「君たちは何も理解していない! この学院がどれほどの想いで設立されたのかを! だから平然と無許可で教室に入り、講義の邪魔をし、挙げ句の果てには死体騒動を引き起こすのだ!」
「ちょっとまて、我々は無関係――」
「無関係だと!? 君たちが学院に来てから
そこで教授は言葉を切った。彼の顔色がみるみるうちに青くなっていく。
「どうしましたか?」
ウッドブラット教授は私を見ていない。彼の目は私たちの後ろに向いている。思わず振り返ってみたが新聞の山があるばかり。エマとアルジェブラも困惑したように押し黙った。ウッドブラット教授はそんな私たちを無視して独白するように続けた。
「も、申し訳ありません。つい
虚空へ語りかけるように呟き、恐縮を繰り返すウッドブラット教授。講義中の理知的で落ち着いた雰囲気が消し飛び、すがるような必死さと悲壮感に満ち、涙をこらえているのか言葉尻が震え、くしゃくしゃになるほど強く魔女新聞を握っている。
やがて彼は吐き出すように呟いた。
「出ていきなさい」
一瞬、私たちは顔を見合わせた。どうしたらいいのかわからなかったのだ。ウッドブラット教授は苛立ちを隠さずに再び怒鳴った。
「出ていきなさい!」
今度こそ私たちは逃げるように部屋を出た。腐乱死体の記事が書かれた新聞は忘れずにアルジェブラが持っている。勝手に持ち出したら怒られるかと思ったが、ウッドブラット教授はまだ虚空に向かって話しかけており、アルジェブラの右手に握られた新聞には気づいていなかった。
私たちは早足で『不要新聞回収置き場』から離れた。今にもあの不気味な怒鳴り声が聞こえてきそうだった。
「あの教授、頭がおかしいんじゃないか? どうかしているぞ!」
「声を落としなさいエルマニア。聞こえるわ」
「聞かせてやればいいさ! そうしたら自分がいかに理不尽なことを言ったかわかるぞ。学院に入っていいと言ったのは奴だし、ルドウィック殿が許可をくれたのは事実だ。本人に確認をすればいいじゃないか!」
「あの新聞屋はしばらく学院に戻らないと言っていたから無理だわ。それに私たちは立場が少々まずいから、空き教室に集まっていたら何か企んでいるのではと疑われても仕方がない……かもしれない。ほら、腐乱死体が出てから学院がピリついているから」
腹を立てるエマをアルジェブラが宥めている。二人の一歩後ろをついていきながら私は考えていた。
魔術士じゃないエマやアルジェブラはまだ気づいていない。でも、私には確かに伝わった。ウッドブラット教授が虚空に話しかけるとき、何かの魔術が使われたような気配を感じたのだ。魔術の正体まではわからない。でもウッドブラット教授が錯乱をしたのではない、と私は思っている。部屋を出るときに見た教授の顔は、少なくとも狂人のソレではなかった。
立ち入り禁止区域。謎の腐乱死体。カロリーネ様の真意。そしてウッドブラット教授の変貌。わからないことだらけだ。傾きかけた夕日が西の窓から差し込み、柱につけられた古風なランプがぽつぽつと灯り始め、帰り道を示すかのように廊下の奥を照らしていった。
「思っていたよりも、おかしな学院かもしれませんねえ」
冷たいものを背筋に感じながら私たちは宿に向かった。
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