第50話:初めての学院生活

 

 私はウッドブラット教授の錬金学に通いつめた。思っていた以上にハマってしまったのだ。私自身もびっくり。初めて腐敗以外の魔術が使えたから、という理由が一番大きいと思う。錬金術士が少ない昨今、本格的に学べる場所は珍しい。ルル婆の屋敷ですら錬金術はまともに学べなかった。良い機会だから可能な限り知識を詰め込んでおきたい。


 もちろんカロリーネ殿下の説得も続けている。でも今のところは進捗なし。一応、アルジェブラには王女殿下が帰るのを拒否したことや、私が頑張って説得していることは伝えたけど、彼女も神隠しの調査で忙しいらしく手を借りれそうにない。だから今日も私は一人でカロリーネ殿下を説得するために錬金術の教室へ来ている。会うたびに睨んでくる侍女様が怖いけどね。


「カロリーネ様、そろそろ帰りたくなりませんか?」

「あなたもしつこいわね。説得は無意味だってわかっているでしょう?」

「それでも説得しないと私が怒られちゃいますから、カロリーネ様がうなずくまで諦めませんよ」

「でもあなた、説得が目的と言うわりには真面目に講義を受けているじゃない。私が帰ったら錬金術を学ぶ口実がなくなるわよ?」

「ハッハッハ、私が錬金術を学んでいるのは説得のついでですよお」


 まるで私がサボっているみたいじゃないか。私は断じて私欲を優先しているわけではないぞ。私の気持ちを代弁するかのように、教室の大壺からひときわ大きな煙がぽふっと吹き上がった。

 ちなみに今日の講義は『壊れた物質の再錬成と、効率的な触媒の選び方』だ。回数を重ねるにつれて講義の内容が難しくなり、最近はついていけない学生たちがよく授業前に相談をしている。私は比較的優秀なほうだ。なんとか授業についていけているし、錬金術の腕も少しずつ上がっている。でも隣のカロリーネ殿下はもっと凄い。彼女はどんな錬金術も完璧にこなしてみせた。


「ねえ優秀なお二人さん。私に錬金術を教えてくれないかな?」


 そろそろウッドブラット教授が現れる頃かなと考えていると、学生の一人が私たちに話しかけた。蜘蛛の糸のように細くて真っ白な髪をした少女だ。タレ目がちな目元が眠そうな印象を与えるが、ハキハキとした喋り方や口角の上がった口元が彼女の明るい性格を物語っていた。


「あなたは誰ですか?」

「私はピッチ。君と同じ編入生だよ。私のほうが少し先輩だけどね」


 彼女は奇妙な格好をしていた。だぼだぼなコートに派手なスカーフを巻き、よれたとんがり帽子には色とりどりの花をさし、耳と同じぐらい大きなイヤリングをつけ、さらにポケットからは丸めた魔女新聞が飛び出している。

 カロリーネ殿下がトンッと魔導書を机に置いた。


「どういう風の吹き回しかしら。まさかあなたの口から『錬金術を教えて』なんて言葉が出てくると思わなかったわ。そうね、まずは自分の魔導書を持ってくることから始めなさい。基礎から教えるほど暇じゃないの」

「いや、いや、本当は前から教えてほしいと思っていたんだよ。でもカロリーネ様ってなんだかこう、雰囲気が怖いじゃん? だから頼んでも教えてくれないかなって思っていたんだけど……」


 ピッチは私を見ながら言葉を切った。カロリーネ殿下が「怖くて悪かったわね」と口を曲げている。


「どうやら、お姫様は噂よりも気難しくないみたいでね。ねえ君、そう君のことだよメヴィ。結構注目されているの、気づいている?」


 言われて教室を見回すと、学生たちが私に視線を送りながら話をしていた。ひそひそと、ちろちろと、陰口ではなさそうだけど、あまり好ましくない視線も混じっている。


「我らが錬金学のお姫様とお話しをできるのって君ぐらいだから、みんな興味津々なのさ。それで、話を戻すけど私も仲間に入れてくれない? このままだと今度の試験がすこーしまずそうなの」

「あなたが改善するべきなのは講義中のお喋りをやめることじゃないかしら?」

「辛辣だねえお姫様。でもこれは仕方ないんだよ。なにせ私は途中から加わったから講義の内容がわからなくって」


 カロリーネ殿下が「メヴィだって途中から加わったけどついてきているわ」と言うと、ピッチは肩をすくめるだけで聞き流した。


「私を助けると思って頼むよ。また今度お礼するからさ」

「それは楽しみだわ。あなた、とってもセンスがいいもの」


 お花だらけのとんがり帽子を見上げながら、カロリーネ殿下が皮肉げに言った。その言葉をピッチは了承と受け取ったらしく、私の隣に座ると羽根ペンやら羊皮紙やらを机の上に広げた。ちょうどそのとき、ウッドブラット教授が講義室に入ってきた。


 それから講義が始まってからもピッチは事あるごとに話しかけてきた。「メヴィの出身地はどこなの?」「パラアンコ!? カロリーネ様と同じなのね! ぜひ話を聞かせて!」「カロリーネ様ぁ、講義が終わったらご飯を食べに行こうよ」「ねえメヴィ、カロリーネ様って意外と耳が遠いみたいだよ」なんて調子でずっと喋っている。

 あまりにもうるさいものだから怒ったカロリーネ殿下が机をトンと叩くと、羊皮紙が生き物の口のように折れ曲がってピッチの手に噛みついた。痛そうにぶんぶんと腕を振るピッチ。流石はお姫様、無駄のない魔術だ。感心しているとウッドブラット教授が私を見ながら「遊ばずに集中しなさい」と注意をされた。私は悪くないのにね、理不尽です。


「教えてよメヴィ、どうやってカロリーネ様と仲良くなったの?」

「学院で迷っていたところを助けてもらっただけですよ」

「カロリーネ様が人助け? いったいどこで?」


 講師に注意をされてもピッチは意に返す様子がない。周りの学生やカロリーネ殿下の反応から察するに、ピッチが不真面目なのはいつものことなのだろう。いわば彼女は錬金術の講義を荒らす狼であり、私はさながら狼に与えられた餌ってわけ。


「黙りなさいピッチ。あなたの声がうるさくて集中できないわ。本当に錬金術を学ぶ気はあるの?」

「もちろんだよお姫様。ただ残念なことに私ってじっとするのが苦手でね。昔っから落ち着きがないって兄様に怒られたんだ」


 ピッチが笑うたびに帽子の花からポフポフと花粉が舞った。


「ケホッ、花粉が顔にかかりました。もうちょっと離れてください」

「えーっ、そんな冷たいこと言わないでよ。気になるなら触ってもいいんだよ?」


 そう言いながらピッチが抱きついてきた。揺れた拍子に花粉が飛び散り、私だけではなくカロリーネ殿下まで粉まみれにしてしまう。蛇のような目で睨んでくるカロリーネ殿下。発せられる王族の圧力。悪いのは全部ピッチです!


「いいから講義に集中してください。ウッドブラット教授に怒られますよ」

「大丈夫だよ、私って謝るのは得意だもん」


 ピッチの頬っぺたをぐいぐいと押しのけつつ、顔にかかった花粉をピッチの服で拭いた。そうしたらなぜかピッチから愕然とした表情を向けられた。だって顔が粉っぽくなったのはピッチのせいだし。


 その後もピッチのお喋りは止まらない。机の真ん中に私が座っている関係上、どうしても話しかける相手が私になってしまう。しかも話の内容はカロリーネ殿下についてばっかり。そんなに気になるなら直接聞けばいいのに。延々と喋るせいでカロリーネ殿下の機嫌は下がる一方だし、ウッドブラット教授からも非難するような目を向けられるしで最悪だ。


 でも辟易へきえきとする反面、なんだか学院の一員になったような気分で少しだけ楽しかった。こうして学友とワイワイ喋りながら勉強するなんて初めてだった。いつまで学院に滞在できるかな。カロリーネ殿下が帰りたがらないし、もう少しだけ学生でいられるかな。当初の目的を後回しにするぐらいには、私は初めての学院生活を楽しんでいた。



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