第49話:錬金術って面白い


 隠し階段を降りようとしていた私たちは足を止めた。

 

「こんなところで何をしているの。その階段は学院の関係者しか立ち入りできないわ。見たところあなたたち、外の人間でしょう?」


 後ろに立っていたのは目を焼くような輝かしい金髪の少女だった。学生服が不釣り合いに思えるほど気高い気品。絹のように滑らかな肌。高級オイルで磨かれた革靴。誰が見たって貴族のお嬢様だと答えるだろう。

 私はこの少女を知っている。学院に来る途中の馬車で写真を見せてもらったし、パラアンコ人ならば誰だって知っている人物。騎士や魔術士とは異なる、権力者特有の圧が感じられる女学生。


「ウッドブラット教授を探していたら迷ってしまったのです。決してやましい気持ちはありません」

「教授ならとっくに講義を終えて自分の研究室に戻ったわ。あなたたち、よくこの扉を見つけられたわね。人避けの魔術がかけられているから普通は見えないはずだけど……」


 彼女はちらりと私の右腕を見た。


「あなた、魔女の関係者ね。その模様は輪廻の魔女かしら。ということは魔女の呪痕がもつ強力な魔除けが扉の魔術を破ったのでしょう。これは面白い。ウッドブラット教授も興味を示すはずよ」

「私はルーミラ・ルーの弟子です」

「ああ――義勇兵の。知っているわ。あなたたちの活躍はよく新聞に載っているから」


 私はおずおずと聞いた。


「失礼ですが……カロリーネ第三王女殿下、ですよね?」


 彼女はまるでいたずらが成功したかのように笑った。でもトルネラみたいな嫌らしさは感じられない。気品の高い人は笑顔ひとつでこうも違うのか。


「へりくだるのはやめなさい。サルトリア魔術学院で身分をひけらかすのは最も恥ずべき行為よ。私たちは対等。そうよね?」


 王女様と対等、ですって。流石に無理があるでしょ。ちらりとエマを見たら目をそらされた。王女様の相手は任せたって言いたいらしい。エマのほうが歳上のくせに面倒事はすぐ押し付けるんだから。ずるい相棒です。


「さて、改めて名乗りましょう。私はパラアンコ第三王女、カロリーネ・フォン・パラノーラよ。魔導に魅入られし学友として、仲良くしてほしいわ」


 カロリーネ殿下の肌に呪痕が浮かんだ。王族を示す金の呪痕だ。首元にまで達した呪痕を指先で撫でながらカロリーネ殿下は優雅に微笑んだ。


 ○


 カロリーネ殿下に呼び止められた後、私たちは大人しく引き返した。そもそもカロリーネ殿下が見つかったのだから階段を降りる必要はない。でもせっかくの隠し通路だし降りてみたかったな。

 なにはともあれ最優先だったカロリーネ殿下の安否は確認できた。あとは神隠しの原因を調査してから、メルメリィ教授にご挨拶をして、それからカロリーネ殿下をパラアンコに連れて帰ればいい。


 翌日、エマは手が空いたからアルジェブラの手伝いにまわり、私は一人でカロリーネ殿下に会いにいった。エマに迷わないか心配されたけど、今回は教室の場所を教えてもらったから大丈夫。地下一階を封鎖していた木の根もすべて撤去されていたから、私はすんなりとウッドブラット教授の講義室にたどり着いた。


 ウッドブラット教授の専門は錬金術だ。

 ちなみに錬金術というのは呪痕と異なる体系の魔術である。呪痕を使わずに魔力を操る手段として古くから伝えられ、呪痕が一般的になる前は錬金術が主流だった。呪痕よりも複雑で難しく、専門的な知識と錬金するための材料が必要だが、代わりに知識と力があれば禁忌と呼ばれるような魔術さえも実現できる。


 そんな錬金術をウッドブラット教授は教えているのだが、彼は大層変わった思想というか、感性がずれているというか、とにかく常識はずれな人だった。まず教室がまともじゃない。机が並んでいるおかげでなんとか教室のていをなしているものの、机は生き物の骨で作られ、天井は大小様々なきのこに覆われ、その間から古風なランプが吊るされている。自然豊かな部屋といえば聞こえが良いかもしれないが、私が知っている教室とはほど遠い。教室のすみには私がすっぽり入れそうな大鍋が置かれ、火をかけていないのにポコポコと沸いており、その大鍋から発せられる緑色の煙が教室に充満しているせいで空気が悪かった。


 私は教室に入るとカロリーネ殿下を探した。彼女は一番後ろの席に座っていた。彼女も私に気がついたようだ。にこやかに手を振っている。


「よく来たわメヴィ。錬金術の教室へようこそ。さすがに魔女の弟子も錬金術は学んだことがないでしょう。きっと勉強になると思うわ」


 カロリーネ殿下の後ろに侍女が立っている。一瞬だけ値踏みをするような目で見られた。ちょっと怖い。


「教室に充満しているこの煙は吸っても大丈夫なんですか?」

「ウッドブラット教授が問題ないっておっしゃったわ。なんでも、気分が高揚して前向きになるそうよ。肌にもよくて運気も上がるとか」


 カロリーネ殿下がうさんくさそうに肩をすくめた。彼女はすでに講義の準備を済ませている。滑らかな羽毛の羽根ペン、魔導回路を刻んで書き直せるようにした羊皮紙、『魔導と錬金術の関連性』と書かれた教本。どれも高価なものだ。


「とりあえず座りなさい。じきに教授が来られるわ」

「講義を受けに来たんじゃなくて、カロリーネ様にお話があって来たんです」

「あら、何の用かしら?」


 カロリーネ殿下が少し首を傾けながら問い返した。たぶん私の目的は察していると思う。


「私はカロリーネ様を探すように依頼されて来ました。カロリーネ様の失踪によって王都は大混乱だそうです。我々と一緒にパラアンコへ帰りましょう」

「パラアンコには帰らないわ」


 カロリーネ殿下の返答は早かった。彼女はすでに私の目を見ていない。この話を続けたくない、という意思表示だ。はっきり拒絶されると私も困ってしまう。王女殿下を説得するなんて私には荷が重すぎる。


「どうしてですか?」

「どうしてもよ。今の私は王女ではなくて学生なの。それに帰るなんて無理だわ」


 どうして無理なのですか、と聞こうとしたが、その前に教室の扉が開いた。ウッドブラット教授が長いロープを揺らしながら入ってくる。学生たちは一斉に話すのをやめた。


「全員揃っているね。今日から新たな学友が加わったから、復習をかねて錬金術の理論について話をしよう」


 講義が始まってしまったため、私は大人しくウッドブラット教授の講義に集中した。

 講義はとても面白かった。ウッドブラット教授には講師の才能――これは教室に珍妙な物を置かないという前提だが――があるに違いない。私はこう見えて魔導に関する知識は人一倍だと自負しているが、ウッドブラット教授の知識量も中々のものだった。


「錬金術は原初の魔女・サルファ様が愛用された魔術だ。彼女は天賦の才によって生命すら錬成し、幾多の使い魔を生み出した。『サルファの獣』と呼ばれるものたちだ。そして錬金術には相応の材料が必要になる。よく錬金術士が用いる材料がなにか……そうだな、わかるかいトーマス?」

「自分の髪の毛です!」


 名指しをされた学生が威勢よく答えた。


「そのとおり。錬金術士が髪を伸ばすのは魔術の材料に使えるからだ。といっても髪の毛では高位の錬金術は使えない。火を灯したり光を放ったりはできるだろうが、より難しい錬金術を使いたいならばより価値の高い材料が必要になる。例えばとある錬金術士は臓器と引き換えに難病を治した……さあ君たち、自分の髪を抜きなさい。基本に立ち返ってみよう」


 教授の声に従って学生たちが髪の毛を抜いた。私も深緑色の髪を一本だけ引き抜いた。正直、少しワクワクしている。錬金術の存在は知っていたけれど、実際に行使するのは初めてだ。


「想像力はもちろんのこと、魔導の理解も大事だ。さあ、合図をしたら始めよう……三、二、一、はい!」


 教室のあっちこっちで小さな火やまばゆい閃光が走った。ある者は自分の羊皮紙に火をつけてしまい、またある者は隣の学生が放った光にくらんで壺を倒した。トーマスは良いところを見せようと髪を十本も抜き、大きな炎をつくって自分の頭に引火した。あっという間に大騒ぎだ。

 私はというと、ポンと音が鳴って髪の毛が消え、あとは何も起こらなかった。隣でカロリーネ殿下が笑いをこらえるように唇を噛んでいる。笑いたければ笑え! 私は真剣なのだ!

 コツがないかと悩んでいると、いつの間にかウッドブラット教授が隣に立っていた。


「気を落とさなくていいメヴィ。初めは誰だって失敗する。君はなぜ失敗したと思う?」

「錬金術が向いていないからですか?」

「いいや、錬金術への想い、ひいてはサルファ様への信仰心が足りていないからだ!」


 私は「はい?」と聞き返した。


「先ほど説明しただろう? まさか聞いていなかったのか? 錬金術の原点はサルファ様だ。つまりサルファ様へのたゆまぬ感謝と信仰心が、高度な錬金術に繋がるのだ」


 どう答えようかと困ってカロリーネ殿下を見たが、彼女は自分の錬金術に集中している。美しい金髪を数本引き抜き、細い指先でつまみあげると、ポンという音と同時に色鮮やかな火が燃えた。


「集中しなさいメヴィ。君がつまんでいるのは髪の毛ではなく、小さな火だと思うんだ。きちんと想像できたかい? それじゃあもう一度…… 三、二、一!」


 ポンという音が鳴り、今度は髪の毛に小さな火が灯った。燃えている時間は一瞬だが、私の髪の毛は地面に着く前に灰となって消えた。

 私はプルプルと震えた。苦節五年、ついに私は腐らせる以外の力を見つけたのだ。とても戦闘には使える威力じゃないけど、これで野宿や砦での生活がぐんと楽になる。


「よくやった! 流石は魔女の弟子だ。優秀な魔術士は飲み込みが早いね。さあ、感覚を忘れないうちに繰り返して覚えなさい。サルファ様への感謝も忘れずにね」


 そう言ってウッドブラット教授は他の学生の様子を見にいった。うまく錬金術ができなくて苦戦する学生の隣に立って、懇切丁寧に錬金術を教えている。大きな炎がまた上がり、天井の茸に引火して生徒が騒ぎ、ウッドブラット教授が素早く魔術を放って鎮火し、周りの学生が拍手をした。

 優秀な魔術士だ。話もわかりやすく、学生に分け隔てなく接し、突発的なアクシデントにも対応ができる。ただ一つ、問題点があるとすれば――。


「カロリーネ様、もしかしてウッドブラット教授って……」

「ええ、そうなのよ。あの人、サルファの祝福教会に入信している邪教徒なの」


 カロリーネ殿下は困ったように手をあてた。なんてこったい。



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