第47話:新聞屋の忠告

 

 突然目の前に現れた新聞屋。アルジェブラが猫のように目を見開いたまま固まっちゃった。まあ突然目の前に魔女が現れたらびっくりするよね。特にアルジェブラは「魔女狩り」として名を馳せているし。私のように「また厄介者か」と呆れるほうが珍しいだろう。エマなんて恋する乙女のように目を輝かせている。


「ルドウィック殿、ご無沙汰している! また会いにきてくださったのか!」

「やあエマちゃん。今日も君は元気だね」

「ハッハッハ、魔女殿に会えるなら私はカタビランカまで走って帰るさ」


 この時だけはポンコツな相棒。私がしっかりせねば。


「何の用ですか?」

「メヴィちゃんは冷たい反応だなあ。エマちゃんを見習いなよ、こんなにも僕と会えて嬉しそうに――」

「何の用ですか?」

「ふん……僕の物置場に君たちがいるのを見つけたから声をかけただけだよ。まったく、魔女新聞は一応売り物だから、勝手に読まれるのはまずいんだけどねえ」


 なにが「ふん」だ。まるで私が悪いみたいじゃないか。


「ここってルドウィックさんの部屋なんですか?」

「そうだよ。言ってなかったっけ、僕はシャルマーンの出身だ。学院の外に僕が経営する印刷所がある。この街の学生たちはみんな僕の新聞が大好きでね、いつも新しい記事を書いてはみんなに売っているんだ」


 そう言いながら宙を描くように指先を滑らすと、ポンポンポンと部屋の燭台に火が灯り、薄暗かった室内の全容が明らかになった。過去の魔女新聞が詰め込まれた本棚は今にも飛び出しそうなほど大量に詰め込まれており、あふれ出した魔女新聞が床に散乱している。他にも“星詠みの魔女”というだけあって夜空に関する物が多い。窓際に並べられた望遠鏡のような魔導具。羊皮紙に描かれた夜空の地図。天井からは大きな惑星を模した球体が吊るされており、まるでリアルタイムのように雲が動いている。


「それで君たちはなぜ学院にいるのかい?」

「どうせ知っていますよね?」

「やだなあ、知っていても聞くのが様式美ってものじゃないか。まあいいや。メルメリィに会えなかったんだろう?」


 やっぱり知っているじゃないですか。ルドウィックはあえて回りくどい言い方をして、私たちの反応を楽しんでいるのだ。趣味の悪い男である。


「まあ会えないのも仕方がない。メルメリィは人間不信だからねえ」

「メルメリィ教授を知っているんですか?」

「知っているさ。僕は誰よりも彼女を知っている……ああ、その新聞を渡してくれるかい?」


 シャルマーン公爵家の記事が載った新聞をルドウィックに渡すと、彼は「こんなところにあったんだねえ」と呟きながら火をつけた。あっというまに黒くなっていく魔女新聞。燃える写真の中でピンクブロンドの少女が笑っている。


「メルメリィは他人を信用しない。そして僕も、彼女の過去は誰にも知られるべきじゃないと思っている。だから忠告しよう、招かれざる客人よ。彼女の機嫌を損ねる前に帰りなさい」


 わずかに新聞屋の雰囲気が変わった。同時にランプの光が吸い込まれて室内が薄暗くなる。暗がりの中央でほくそ笑む新聞屋。いつにもましてどんよりと沈んだ目をしており、顔に刻まれた呪痕も不気味な光を放っている。肌は死人のように青白く、だらりと垂れ下がった腕が亡霊のようで薄気味悪い。

 なにか地雷を踏んだかな。そう思っていると、私を庇うようにアルジェブラが進み出た。


「あまりうちの子を脅さないでくれるかしら。それと威嚇するのもやめて。思わず反撃しそうになるわ」

「この程度の脅しが効くほど素直な子じゃないよ、その子。さも無害な小動物みたいに震えていたら僕が引き下がると思っているんだ」


 ひどい言い草である。私に対する印象はどうなっているのだ!


「この子は本当に良い子なの。素直なだけじゃ生き残れない世界なのよ。そうでしょ、メヴィ?」

「はい、そのとおりです!」

「弓騎士ちゃんは少々、メヴィちゃんに肩入れをしすぎているんじゃないかな。そりゃあ君の境遇を考えたら気持ちもわかるよ? ――」


 ルドウィックは最後まで言い切らなかった。アルジェブラが腰のナイフを抜いて斬りかかったからだ。準一級騎士による太刀筋は達人のように速く、横一文字に振るわれた刃がルドウィックの腹を裂いたように見えた。しかしナイフが触れた感触はない。霧散するルドウィックの体。直後、彼は一歩下がった場所で何事もなかったかのように佇んだ。


「ハッハッハ、怖いね。思い出したくない過去をちょっとつついただけじゃないか」

「そうして記事にするつもりかしら。『アルジェブラ女史、いまだ過去の傷は癒えず。激昂して斬りかかる!』とか。この子たちをでっち上げたみたいにね」

「それは名案だな。君には妄想の才能がある。どうだい、僕のところで働かないかい?」


 アルジェブラがトマトみたいに真っ赤な顔で再度斬りかかろうとした。でもこんな場所で争うのはまずい。しかも相手はルドウィック。絶対に面倒事が起きると思った私は二人の間に割り込んだ。


「ルドウィックさんは、パラアンコの第三王女殿下を学院で見かけませんでしたか?」

「ああ、いたよ。たしかお友達と一緒に楽しそうな様子で講義を受けていた。どうやら彼女、ウッドブラット教授を慕っているみたいで、教授の講義を受けるときの顔といえば、見てるこっちが恥ずかしくなるほどだよ」


 お姫様、学院生活を楽しんでいるみたい。敵国で何をしているのやら。私だって戦場に行くよりも部隊のみんなと遊びたいのにね。これで神隠しに学院が一枚噛んでいるのは確実だろう。ルドウィックの言葉を信じるならば無理やり拐われたという感じではなさそうだが、ここが敵国である以上は油断できない。


「殿下がいるとわかったなら十分だわ。早く探しにいきましょう」


 すぐにでもルドウィックを視界から排除したい様子のアルジェブラが私の手を引こうとする。でも、先に新聞屋が呼び止めた。


「メヴィちゃんだけ残ってくれ。君に話がある」


 ルドウィックの話とは何だろうか。アルジェブラが心配そうに見てくる。まあ危険な話ではない、と思う。さっきの一件で彼女は過剰にルドウィックを警戒しているようだけど、ルドウィックは敵じゃない。もちろん信用しているわけじゃないけどね。少なくとも記事のネタになるうちは襲ってこないだろう。


「大丈夫です。二人とも外で待っていてください」


 私の言葉に納得していないのか、アルジェブラは渋々といった様子でエマと一緒に部屋を出た。


「それで話って何ですか?」

「まずはルーミラから伝言だ。『セルマを寄越したいからカタビランカに帰る日を教えろ』ってさ。いつになりそう?」


 ルル婆、もしかして寂しがっているのかな。そんなに会いたがっているなんて私、ちょっと嬉しい。

 でも私たち義勇兵は不規則な生活だから、いつ帰るかと聞かれても正確に答えられない。たとえばパシフィックはいつも地下街をふらふらしているから本部で会うことは滅多にないし、逆にトルネラはフィリップと会うためにカタビランカから離れない。ポルナード君は諜報系の仕事でよく街の外に出たりする。私とエマもどちらかというと外が多いかも。つまり街に滞在する時間は人によって、もしくは任務によってバラバラなのだ。


「今回の依頼がどれぐらい長引くかによりますね。もし解決してもすぐに帰るとは限らないですし。とりあえず、十四歳になる頃には帰る、と伝えてください」


 ルドウィックが「僕は伝書鳩じゃないんだよ」と困った顔をした。でも彼は引き受けてくれるだろう。何だかんだでルドウィックはルル婆のことを気に入っているみたいだから。


「そうか、君はもう十四歳になるのか。初めて会ったときはあんなに小さかったのに、今は……いや、今も小さいな」

「うるさいです。他の要件はなんですか?」

「魔力量の多い魔術士を探しているんだ」


 ルドウィックは黒い霧を手のように操り、吊るされている惑星模型をくるくると回した。黒い霧が夜空のように天井に広がり、キラキラと小さな光を降らせた。


「君って戦場でたくさん殺しているだろう? もしその中で優秀な魔術士がいれば殺さずに教えてほしいんだ」

「ルドウィックさんなら教えなくてもその目で見えるんじゃないですか?」

「君みたいな例外はまだしも、木っ端の魔術士を一人ずつ見ていたら僕の脳が焼き切れるよ。そういうわけだからよろしくね。もちろん報酬は弾むから」

「参考までに理由を聞いても?」

「聞かないほうがいいよ?」


 ルドウィックが口許に指を当てた。なるほど、やぶ蛇はつつくべからずだ。恐ろしいね。

 私が追求を止めると、ルドウィックが「そろそろ時間か」とつぶやいた。彼の体がみるみるうちに消え始める。まずは足先から霧になり、腰、胸と順番に溶けていき、最後は頭だけになった。


「もっと話したかったけど、こう見えて忙しい身なんだ。また時間があれば会いに来るよ。ちなみに僕はしばらく離れるから、この部屋は好きに使っていいからね」

「どこか行くんですか?」

「ちょっと野暮用さ」


 素敵なね、と彼は付け加えた。どうせろくでもないことだろう。


「ああ、それとメヴィちゃん。弓騎士に優しくされてもホイホイついていったら駄目だからね。彼女、お国のためなら何でも犠牲にする危ない人だからさ。つき合う相手は選んだほうがいいよ?」


 どの口が言うのだか。少なくとも新聞屋よりはマシだろう。



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