第46話:メルメリィ教授に会いたくて

 

 結論から言うと、メルメリィ教授は学院長室に不在だった。ウッドブラット教授いわく、多忙な人物であるため会えることのほうが珍しいそうだ。そのため私たちは街に宿をとって出直すことになった。楽しみにしていたぶん、ショックも大きい。


「学院長だから忙しいのでしょう。仕方がないわ」


 そう言ってアルジェブラが慰めてくれた。

 でも、次の日も、また次の日も、学院長室は空っぽだった。まるで私たちが訪れるのを避けているかのように。誰もいない学院長室の前で私たちは顔を見合わせる。


「どうします?」

「私に考えがあるわ。メルメリィ教授は講師を兼任しているから、彼女の講義室に直接行けば会えるはずよ」

「ウッドブラット教授を捕まえたほうが早いんじゃないか?」

「彼は神出鬼没ですからねえ。初日以降会っていませんし」


 そもそも学院が広すぎるのだ。ウッドブラット教授を探すだけでも大変である。


「私を呼んだかい?」


 三人の肩が「わーっ!」と跳ねた。いつの間にかウッドブラット教授が近くに立っている。アルジェブラが慌てた様子で口を開いた。


「ちょ、ちょうど探していたのよ。メルメリィ教授の講義はどこかしら?」

「彼女なら東塔で『魔女の基礎的な歴史学』を教えている。もし興味があるなら参加するといい」

「講義室まで連れていってもらえるかしら?」

「できれば案内をしてあげたいけど、残念ながら次の講義が入っているんだ。ほら、窓の外に大きな塔が見えるだろう? あれが東塔だ。寄り道をしなければ迷わずにいけると思うよ」


 それでは失礼する、と言ってウッドブラット教授は去ってしまった。私たちは言われたとおり、東塔に続くであろう廊下を歩き始める。

 この時間の廊下は生徒が少ない。でも全くの無人というわけではなく、奇妙な魔導具たちが廊下を行き交っていた。

 あくせくと窓を拭く雑巾。人の形をした炎を灯すランプ。折りたたまれた羊皮紙が蝶のように羽ばたきながら私たちの足元を抜け、氷で作られた彫刻の周りをくるくると飛んでから廊下の奥に消えた。ふと見上げると魚の形をした影が天井で泳いでいる。魔導地下街にも負けない神秘の学院。


 通りすぎる際に講義室の中をのぞくと、様々な年齢の学生が熱心に講師の話を聞いていた。たぶん基礎をおさえた五級魔術士向けの講義かな。ちょうど生徒たちが魔術の実践をしているらしく、水球を操ろうとして講師の顔にぶつけたり、氷の彫刻を作り変えようとして飛散したりと阿鼻叫喚な様子だった。


「生まれた場所が違ったら、メヴィちゃんも学院に通っていたかもしれないわね。いっそ今からでも編入しちゃう? あなたの年齢なら入学できると思うわ」

「それも面白そうですねえ。もし編入するなら部隊のみんなも連れてきましょう。きっと賑やかで楽しくなりますよ」

「あの人たちは……うーん、馴染めるかしら……?」


 気の良い人たちだから大丈夫だと思いますよ。

 それからいくつかの角を曲がり、階段を上っては下りるを繰り返した。そろそろ東塔に着くのではという頃、エマが不思議そうに言った。


「この廊下、さっきも通ったぞ。道を間違えたか?」


 言われてみると似た景色が続いている。宙に浮く雑巾が懸命に天窓を拭き、氷の彫刻が人の形になって私たちを嘲笑い、羊皮紙の蝶がぱたぱたと忙しそうに飛んでいった。私たちは顔を見合わせて「エマはおっちょこちょいですねえ」と言うと「先導したのは弓騎士殿だぞ」と返された。


「ここは私に任せてください。方向感覚には自信があります」


 ルル婆の屋敷からカタビランカまで旅をしたときだって私は一人だったからね。たぶん、階段がくねくね曲がっているのが迷う原因じゃないかな。ちゃんと窓の外を見て、方角を確かめながら移動すればたどり着けるはず――。

 そう思っていたけど、なぜか私たちは再び同じ場所に帰ってきた。


「この廊下、さっきも通ったぞ」

「おっかしいですねえ」


 再度顔を見合わせる。まるで終わりのない廊下を歩いている気分だった。

 それから東塔へ行こうと何度か試みるも失敗し、途方に暮れているうちに鐘が鳴った。講義が終わる合図だ。ごうん、ごうん、と私たちの不安を煽るような鐘の音。やがて講義を終えた学生が続々と廊下を歩いてくる。アルジェブラが学生の一人をつかまえて尋ねた。


「メルメリィ教授の講義室を知っているかしら?」

「西の第三学術塔五階、祝福の大広間ですよ。講義は『魔女の始まりとサルファの獣学』です。これを受けない手はありません! 原初の魔女が残した獣たちの謎を紐解く、とっても面白い講義ですよ!」

「そ、そう。ありがとう。ちなみに西の学術塔はどうやって――」

「では急いでいますので! あなたたちも遅刻しないように気をつけて!」


 場所を聞こうとしたが、学生はあっという間に走り去ってしまった。いつの間にか廊下は学生であふれ返っており、エマと手を繋いでいないとはぐれてしまいそうだ。


 アルジェブラが「とりあえず西の学術塔を目指しましょう」と言った。三人でかたまって、人の波に運ばれるように進んでいく。大きな吹き抜けの渡り廊下を通り、ぐるぐると回る螺旋階段をのぼり、なぜかエマの好奇心で脇道にそれ、壁に飾られた絨毯の裏側にある細道に足を踏み入れた。まるで秘密基地みたいな小さな部屋が無数にならび、窓から暖色の光がもれている。こじんまりとした店を開いている部屋もあり、アルジェブラが入りそうになるのを頑張って止めた。天井は薄暗く、ドアに魔導具が吊るされ、ぽつぽつと灯る明かりを頼りに、上へ下へと進んだ。そして――。


「また迷いました」

「寄り道をするからだ」


 明るい廊下に出た私たちは、今度こそ居場所がわからなくなった。そもそも学院の構造が悪いのだ。こうもあっちこっちへ移動したら方向感覚を失うのも仕方がない。

 せめて手がかりがないかと周りを見渡すと、部屋の扉に『不要新聞回収置き場』と書かれている。窓からのぞくと読み終わった魔女新聞が雑多に積まれていた。


「このまま歩き回っても不毛だろう。どうだ、ここで魔女新聞でも読んでいかないか?」


 エマが目を輝かせた。この女はタダ読みがしたいだけである。でも疲れたのは事実だし、軽く休憩するのは良いかもしれない。


 『不要新聞回収置き場』の室内は日差しが当たらずひんやりとしていた。適当に落ちている新聞を手に取ってみると、一面に『旧シャトルワース領消滅! 魔女の仕業か!?』と書かれている。日付は二十年ほど昔のようだ。ルル婆が新たな魔女として載っており、その立ち姿は今よりもずっと若々しい。また別の新聞には『シャルマーンの公爵家、長女が行方不明に』と書かれていた。どうやら一人娘が社交会の夜に消えたそうだ。ピンクブロンドの綺麗な少女が微笑んでいる。


 他にもいくつかの記事がある。魔術士協会の汚職事件や、落炎鳥の目撃情報、シャルマーンに新たな鉱山が見つかったことや、カーリヤ族……つまり西方蛮族の住む地域で奇妙な腐乱死体が見つかったことなど。その恐ろしい死に様に周囲の住民が震えている、といささか誇張気味に書かれていた。


「ルドウィックさんは働き者ですねえ。いったいどれだけ目があるのやら。きっと私たちのことも盗み見していますよ」

「なぬ、それは困るぞ。実は戦場に長くいたせいで鎧が汚れているのだ。こんな姿は見せられん」

「ルドウィック? 待ちなさい、まさかあなたたち、“星詠みの魔女”と関わりがあるの?」


 アルジェブラが食いつく。そういえばエマと違うベクトルで魔女に敏感な女だった。


「関わりがあるというか、勝手に向こうが絡んでくるんですよね。しかも私たちのことを好き勝手に書くんですから厄介です。ほら、見てくださいよこれ。『義勇兵の問題児、またしても街を破壊する!』だなんて、ひどい濡れ衣ですよ」

「それはあなたたちが横着をしようとして大事な像を壊した件でしょう。依頼をくれた先方が随分と怒っていたわ」

「何も壊さずに戦えなんて私には無理ですう」


 私は何でもできる便利屋じゃないのだ。繊細な依頼は私じゃなくてパシフィックに頼めばいいのに。あの人ならヘラヘラしながらうまくこなしてくれると思う。


「というか話をそらさないで。あなたたちから星詠みの魔女殿に協力をあおげないかしら。色々と謎の多い人物だけど、大陸に名を馳せる魔女だし、もしも力を貸してくれたら頼もしいわ」


 そう言うと思ったから言わなかったのだ。ルル婆やセルマにも忠告されたし、あまり魔女とは関わりたくない。特にあの新聞屋は少々。カタビランカの水門の件だって私の推測が正しければルドウィックの仕業だし、なによりもルル婆があれほど毛嫌いする相手である。


 どう断ろうかと考えていると、急に部屋が暗くなり、窓の隙間から滲み出すように黒い霧が広がった。私は知っている。いったいどこで聞いているのか知らないが、厄介者が現れる合図だ。


「それは無理な話だよ。僕は人に縛られない。中立で公平な立場として正しい情報を伝えるのが新聞屋だ」


 霧の中からルドウィックが現れた。エマが黄色い声をあげた。



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