第45話:サルトリア魔術学院

 

 赤硝国家シャルマーンは豊かな国だ。入国してから数日、私たちはいかに自国が困窮しているかを痛感した。まず食事が違う。酪農が盛んなシャルマーンでは平民でも肉を手に入れることができ、市場にはみずみずしい野菜が並べられ、人々に笑顔があふれている。国が違うだけでこうも格差が生まれるのか、と私は民間の馬車に揺られながら思った。


 馬車では乗り合わせた人が色々な話を聞かせてくれた。例えば、パラアンコとの戦争はシャルマーン軍が連日勝利しているとか、パラアンコの将校が次々に脱走しているとか。まだマースリン・エダの戦死やサミダラ要塞の激しい攻防などは国民に伝わっていないようだ。


 これもプロパガンダだろう。自国にとって有利な情報のみを流し、国民の士気を高め、軍への信頼や周辺国へのアピールをする。そうやって戦場以外でも戦いが繰り広げられている。

 でもプロパガンダに関してはフィリップも負けていないと思う。即席要塞を出発するとき、彼は夜襲によって敵に甚大な被害を与えたことや、シャルマーン兵が周辺の村で略奪をしたこと、その残虐さをこれでもかと誇張して伝えていた。とくに略奪をおこなった敵軍への怒りは凄まじく、憤慨する彼らがちょっぴり怖かった。私の仲間は平気だったけど、他の兵士はすっかりフィリップの色に染められちゃってさ、シャルマーンに報復をとか、フィリップ様万歳とか、ああやって信者を増やすんだね。


 あと意外だったのが、西方蛮族――つまりカーリヤ人との交易が盛んなことだ。西方蛮族の支配地域とシャルマーンの土地は隣接しており、古くから両者は交流があったらしい。パラアンコとは戦争をしつつも、西方蛮族とは交易を続け、いざ戦場で出会えば西方奴隷を相手でも容赦しない、といういびつな関係。いったいいつまで保つだろうね。


 馬車を乗り継ぎながら西に進んだ私たちは、ついにサルトリア魔術学院に到着した。正確には学園都市と呼ぶのが正しい。青を基調にした建物が立ち並び、建物の間には学院の紋章が吊るされ、魔術士のローブを着た生徒が行き交い、活気あふれる街並みが広がっている。街の各所にはランプの魔導具が設置され、見たことのない生き物を連れる者や、どこに売っているのか聞きたくなる奇怪な帽子をかぶる者、急がしそうに空を走る魔術士、悲しげな表情で魔女新聞を読む淑女など、魔導に関わる人間ならば好奇心を抑えられないような光景が広がっていた。


「ここにいるのって全員が魔術士なんですか?」

「いいえ、そうとも限らないわ。呪痕を刻める人は限られているから。でも学院に通う理由は魔術士になることだけじゃなくて、例えば学院で学んだ知識を活かして研究者になったり、そのまま講師になったりする人も多いの」

「呪痕は一種の才能だからな。魔術士や騎士になれるだけ恵まれている。私も騎士になれなければ今頃は貴族に嫁いでいただろう」

「そういえばエマってお嬢様でしたね。騎士が似合いすぎて忘れていました」

「実はお嬢様なのだ。まあ実家に帰るつもりはないがな。ちなみにメヴィも所作が綺麗だが、輪廻の魔女殿に教わったのか?」

「生まれつきですよ」


 エマに鼻で笑われた。本当だぞ。初めから身についていたんだぞ。

 ぷんすか怒りながら街道を進むと、前方に学院が見えてきた。まるでお城のような建物だ。丘の上にから街を見下すように建てられ、螺旋を描いたスロープが大きな門まで繋がり、とんがり帽子の細長い塔が空をつんざくように連なっている。門の周りには氷のような装飾がいくつも飾られ、太陽の光に反射してキラキラと輝いていた。ルル婆の屋敷も豪華だったけどサルトリア魔術学院には到底及ばない。

 首が痛くなるほど大きな学院門。その両脇に門兵が立っている。流石に許可なしで入るのは難しそうだ。アルジェブラが門の管理室に近寄って女性に話しかけた。


「ごめんください。メルメリィ教授と会いたいのだけど、関係者以外でも入れるかしら?」

「約束はされていますか?」

「いいえ、何も」

「でしたら、身分を証明できるものはお持ちですか?」

「いいえ、何も」

「それは……厳しいかもしれませんねえ」


 なにせ私たち、密入国者なもんで。身分を証明したらパラアンコ人だってバレちゃうんです。

 でも大人しく帰るわけにもいかないため、アルジェブラが交渉を始めた。「この首飾りは価値があるものよ」とか、「あとでお食事でもどうかしら」とか、ついには「いくら払えばいいかしら」と直球で尋ねたり。交渉というよりも買収では?


「メルメリィにお客さんかい?」

「お帰りですか、ウッドブラット教授」


 渋い声の男に後ろから話しかけられた。どうやら学院の講師らしい。彼は私たちを見ると、その彫りが深い目元を細めて「これは珍しいお客さんだ」と笑みを浮かべた。


「いいじゃないか、通してあげなさい。彼女もきっと喜ぶよ」

「ですが、さすがに部外者を入れるわけには……」

「ここは魔術学院だ。そしてこの子たちは呪痕を刻んでいる。なら関係者といって差し支えないだろう?」


 差し支えないのか? 結構な暴論だと思うけど口を挟まないでおく。

 ウッドブラット教授の巧みな説得によってついに女性が折れ、私たちの立ち入りを許してくれた。よくわからないけど結果オーライだ。女性が「私は知りませんよ……」と呆れたように呟いた。


「ついてきなさい。学院は広大だ。迷わないように私がメルメリィの部屋まで案内をしよう」


 ウッドブラット教授に先導されながら学院に入った。ちょうど講義の休憩時間だったらしく、多くの生徒が廊下を歩いている。そしてウッドブラット教授はことあるごとに生徒から話しかけられていた。人望が厚い人なのだろう。おかげでいつまでたってもメルメリィ教授の部屋にたどり着けない。

 でも私は退屈しなかった。こんなにも煌びやかで、笑顔にあふれて、誰もがやる気に満ち溢れた場所は初めてだった。私の知っている学校とは違う。宝石箱のように色鮮やかな世界。こんな場所なら私も楽しく通えたのかな。


「パラアンコにはこういった学院がないのかい?」

「私たちがパラアンコ人だって知っていたんですか?」

「魔女新聞の購読者なら誰だって気づくさ。君たちはあまりにも有名だ。実際に見ると思っていたよりも大人しくてびっくりしたよ」

「ハッハッハ、どんな印象を持っているのか気になりますねえ」


 笑っていると、エマに「少しぐらい誤魔化せ」と小突かれた。そんなこと言われても無理ですよ。魔女新聞に載っているなら誤魔化せないもん。教授は「新聞にのるような有名人と出会えて嬉しいよ」とお茶目にウインクをした。


「安心しなさい。わかったうえで学院に入れたのだ。メルメリィがきっと興味を持つだろうと思ってね。それに、学院を見て目を輝かせてくれる子を衛兵に引き渡すほど冷酷じゃないよ」

「ほらエマ、私は悪くないです」

「屁理屈を言うな。というか子ども扱いされたことをもっと恥ずかしがれ」

「私は子どもですう」

「二人とも喧嘩をするのはやめなさい。恥ずかしいのは私よ」


 言い合う私たちをウッドブラット教授は優しげに見守っている。


「いい学院だろう? ここには魔導に心を惹かれた者がこぞって集まり、それぞれの知識をぶつけ合って、魔導の高みを目指すことができる。生まれも思想も関係ない。国や貴族のしがらみもない。まさに理想郷だ」

「学院が好きなんですね」


 彼は「もちろんだ」と頷いた。


「サルトリア魔術学院を建てるのは私の……いや、私たちの夢だったのだ」


 その言葉には積年の想いが込められているように感じられた。きっと私の知らない苦労がたくさんあったのだろう。

 ウッドブラット教授から学院の説明を受けながら廊下を進んだ。生徒の魔術が飛び交う教室前。妖精たちの遊び場。宙に浮かぶ魔導書の書庫。いくつもの小塔が連結した学術塔。途方もなく広い学院をぶらぶらと歩いた。

 やがて『学院長室』と書かれた部屋に到着した。この扉の向こうにメルメリィ教授がいる。私ははやる気持ちを抑えながら扉が開かれるのを待った。



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